届けるという仕事
桜が「ありのまま」に振る舞ったら……こうなりました。
■桜side■
優司が長期滞在しているという神殿に、はるばるやって来てあげた。
よく分からないけど、彼に親切にすればいいんでしょ?
この私にかかれば、そんなの楽勝よ!
彼は、もう一人の誰か――神官エラと共に歩いていた。
彼女の隣の彼は、穏やかで、どこか楽しそうだった。
ムカつく。
私には困った顔とかため息とか、そんなのばっかりなのに。
私から見た優司は、国王の命令にうなずき、荷車を押して王都と砦を往復する宅配便のおじさんだ。
「なにが面白くて、そんなこと……」と思うが、彼に親切にして「勇者」の称号を取り戻さなければならない。
近くでチャンスをうかがうため、彼が半年も滞在するという神殿に来てあげた。
護衛の騎士や世話を焼いてくれる侍女も連れて、私はまるでお姫様のよう。
異世界ライフは、これが正解よね!
それなのに、神殿に着いたら、半分以上の人がすぐに王都に帰ってしまった。なんなのよ、もう。
ある日、兵士が、優司に命令口調で話していた。
「なあ、勇者様よ。酒の瓶も運んでくれや。割れたら責任取れよな」
「わかった。荷台に詰め物をしておく。落とさないように運ぶ」
文句ひとつ言わないから、舐められるのよ。代わりに「調子乗んなよ」と言ってあげた。
それだけではない。
配達の帰り道、桜は偶然、彼が野盗に襲われた商人のために荷車の一部を貸し出していたのを見た。
商人の男が涙を流して感謝していたのに、優司は「ちゃんと受けた依頼じゃない、礼はいい。どうせ途中まで同じ道だから」と言っている。
「運んだ分の報酬をもらうのは当然でしょ?」
私は少しだけ語気を強めて言った。
優司はちらりと振り返り、「困ってる人を放っとけなかっただけだ」と笑ってみせたが、桜にはその笑顔が少し寂しげに見えた。
――臨時対応の分、割り増しでもいいくらいよ。
あんなの、タダで引き受けるなんてバカみたい。
私のおかげで商人が支払おうとしたのに、受け取らないし。
そういうのが何度も続いた。
優司は荷車の管理も自分でしている。
壊れても自動修復するスキルがあるらしいが、こまめにチェックをして、毎晩自分で磨いている。
勇者なんだから、人にやらせればいいじゃない。
子どもに道を聞かれれば地図を描いて説明する。
老婆が落とした荷物を拾い上げてから、届けてあげる。
それを、誰かに誇ろうともしない。
黙って、淡々と、過剰に親切を振りまいている。
「なんでそんなに黙ってやるの……? 評価されなければ、やらないのと一緒じゃん」
そう口にしたとき、自分でも驚くほど声が震えていた。
言葉にできない感情が、胸の奥でざわついた。
最初は、正直見下していた。要領の悪いお人好し、ただの運び屋。
だけど、その背中がなぜか頭から離れない。
どこかでまた見かけると、意味もなくほっとする。
……どうして。
私には、何もしてくれないのに。
ほんの少しでいいから、こっちを見てくれたらいいのに。
ある日、彼の後ろ姿を見ながら、桜はふと思う。
この人が、剣で戦う勇者じゃなくてよかった。
そう思った自分にびっくりした、
ただ黙々と、誰に見られるわけでもなく、あたりまえのように動く――そんなの偽善だ。
そう言っても優司は揺るがない。
……理解できない。
でも、そこには、自分の知らない「本物」がある気がした。
その夜、胸がざわついて眠れなかった。
彼が誰かと親しげに話していると、胸がチクリと痛む。
「……なにこれ。嫉妬? まさか、私が?」
認めたくなくて、苛立ちばかりが募っていく。
次の日から、エラに対する嫌味が止まらなくなった。
「三十歳のオバサンのくせに、若作りして痛々しいよね」
「男の前だけ声のトーン上げるとか、媚びすぎでキモいんだけど」
「どうせ『神官様』に気に入られてるんでしょ。こういう女が得するんだよね、世の中って」
誰も笑わなかった。でも、桜は止まれない。
自分よりずっと年上のエラが若々しく動き回り、周囲から好かれていることを、素直に認められない気持ちが渦巻いた。
元の世界で、自分がいつも周囲の期待に応えようと必死だったこと……また、心の余裕がなかったことにも気づきたくなかった。
心の奥底には、ずっと燻っている焦りと不安がある。
でもそれを素直に認められず、心のバランスを保つために、
「みんなの目を覚まさせてあげなきゃね」と、明後日の方向へ舵を切ってしまったのだった。
神殿に来て二週間が経つ頃、優司についに怒鳴られた。
その日はぬかるんだ道を走り、農村に荷物を届けた。
そのときに優司に叱られ、帰り道は口をきいてもらえなかった。
傷ついているのは私なのに。
優司が泥だらけの服を着替えようとしたところに、エラがお湯を運んできた。
半裸を見られたらしく、いい大人がもじもじイチャイチャして。
あのタイミング、私がいなかったらなかったでしょ?
……感謝くらいしてもバチ当たんないと思うけど。
そんな気持ちだったから、いつもよりエラに対して、キツいことを言ったかもしれない。
だからって、怒鳴ることないじゃない。
「いい加減にしろよ!
エラさんが、お前に何をした?
お前が気まぐれでついてくるって言うから、今日も弁当を一人分増やしてくれたんだぞ。
前の日には行かないって言っていたくせに、当日増やす苦労を考えたことあるか?
どれだけ俺たちが世話になってると思ってる。
そんな人を侮辱するなんて――最低だ!」
「なによ! 私ばっかり責めないでよ! そんなの誰にでもできるじゃん。偉そうにしないでよ!」
思わず言い返してしまった。
「仕事も手伝わずに、ふらふらして、そんな口をきくのか……。
自分の不安や苛立ちを、他人にぶつけるな。
今日のおばあさんだって、俺が助けたくて手を差し出したんだ。
あんな顔をさせるなんて――もう許せない」
その声は怒りと……どこか悲しみに満ちていた。
哀れまれてるの?――そう思った瞬間、無性に腹が立った。
だから、つい言ってしまったのだ。
「神殿なんか嫌いって言ってたくせに、女神官のことは好きなんじゃないの?! いやらしい!」
そして、そのひと言が決定打になったのか――
翌朝、神殿を追い出されたのだ。
帰りの旅路は、最悪だった。
護衛の騎士は行きの半分しかいないのに、モンスターの数は倍以上だし。
侍女も半分で、気が利かないというか、なんかもう、雑。
途中で馬車は壊れるし、道に迷うし、食事はまずいしで、トラブル続き。
行きは一週間だったのに、帰りは十日以上もかかった。
ほんと、みんな無能で困っちゃうわ。
ちゃんとした人材を異世界から来た私につけるのは、当然でしょ。
……だいたい、優司のヤツが、私に感謝も感激もしてないっていうのが、一番おかしいのよ!
■優司side■
最初は、ただ自己中心的な子どもだと思ってた。
口は悪いし、何かと突っかかってくる。
何か気に食わないと、露骨に機嫌を損ねる。面倒なやつだ。
でもそのうち気付いた。
――こいつ、ひどく飢えてるんだ、と。
誰かに見てほしい、必要とされたい、そんな思いが全部『攻撃』になって出てる。
後輩にも、そんなやつがいた。
なんとなく気にかけてたら、やたら嬉しそうにしてさ。
ちょっと仕事のコツを教えただけで、ぐんぐん吸収して、いいドライバーになった。
……まあ、そのうち懐かれすぎて、逆に振り回されて、大変だったけどな。
桜には、あの後輩のような素直さはない。
正直、個人的にはいけ好かないと思っている。
それでも――未成年は保護されるべきだ。大人として、最低限は気にかけるか……。
そんな中途半端な迷いが、かえってよくなかったのかもしれない。
関われば調子に乗るし、突き放せば騒ぎになる。
ほんと、距離の取り方が難しい。
あの日、南の農村への種子と肥料の配送に出た。
道は悪い。というか、泥道すら舗装のうちに入るレベル。
荷車の車輪がぬかるみに埋まり、どうにか抜け出した。
その後は、クライドの馬の後ろをついていく。
あの馬はとても賢く、地面の状態を見極めて歩くから、比較的ましな場所を選んでくれたのだ。
桜はその間、手伝うどころか文句ばかり。何度帰れと怒鳴りたいと思ったことか。
村に着いたとき、子どもたちが駆け寄ってきた。
「勇者さまだ!」
「勇者ってもっとピカピカの鎧着てるんじゃないの?」
「悪かったな、泥だらけのスコップ勇者で」
笑いながらそう返すと、子どもたちはケタケタと笑った。
年老いた農婦が足を引きずりながら畑を歩いていたのを見かけた。俺は近寄って、農婦と背負っていた荷物を荷車に乗せた。
「まぁまぁ、勇者さまったら」
「こっちの方が速ぇしな。ついでだ」
俺は誰かに見せようと思ってやってるわけじゃない。ただ、運べるなら運ぶ。手が届くなら手を差し伸べる。
そのときも桜は荷台が汚れると文句を言った。お前が清掃するわけじゃないだろう。
農婦が恐縮してしまい、途中で降りると言いだした。
手伝わないだけじゃなく、邪魔をするなんて、勘弁してくれ。
一緒に行動していたクライドに、桜を連れて町の入り口で待機してもらうよう頼んだ。
「護衛だから離れられない」と言われたが、危険地帯へ行くわけじゃないと説明し、なんとか説得した。
……そういえば、コイツの護衛たちはどうしてるんだよ。 誰も一緒に来てないな。
帰り道、大人げないとは思いながらも、俺は一言も口をきかなかった。
桜は俺の荷車ではなく、クライドの馬に乗せてもらうことにした。
その間も、彼女はクライドが「騎士じゃなくて兵士」というだけで、何かと小馬鹿にしたような態度をとっていた。
本当に、申し訳ない。
「慣れてるから、気にするな」
そう笑って言われて、余計に胸が痛くなった。
この国の騎士は、「貴族で見た目がいい」のが優遇されるらしいぞ。
俺の護衛は一人の兵士で済むが、桜の護衛は騎士が何人必要なんだ。それを見ただけでも分かるだろう。
元の世界でのことを思い返す。
運送の仕事は、正直キツかった。
荷積み荷降ろしで体は悲鳴を上げるし、渋滞や予期せぬトラブルなんて日常茶飯事だった。
祖父も運送を生業にしていた。
自営業で、どこまでも自由に走っていた。
俺はそこまで自由じゃなかったけど、それでもこの仕事が好きだった。
体力、判断力、地理の勘──全部が活きる。
カーナビは便利だけど、最後に頼れるのは自分の経験と判断だ。
現場を自分の裁量で回す。その緊張と責任感、そして無事に荷を届けたときの達成感。
それが俺の誇りだった。
こっちの世界に来て、不便なことが比べものにならないくらい多い。
けど──
困っている人を見たとき、迷わず助けに行けるようになった。
よほどの金持ちでもない限り、時計なんて持っていないこの世界では、時間に縛られることがない。
元の世界では、一分一秒を争っていた。
道ばたで困っている人を見かけても、助けられなかった。
約束の時間に遅れればクレームになるし、次の仕事を失うかもしれない。
あの環境では、余裕なんて持てなかった。
でも今は違う。
時間に追われず、人に手を差し伸べる余裕がある。
それが、自由だと感じた。
だから、あのとき農婦が見せた「謝る顔」が、ずっと忘れられない。
あれが決定打だった。
もう、桜の面倒はみられない。
みたくもない。
神殿に戻り、泥のついた服をすぐに着替えたかったが……桜が「自分の服を弁償しろ」と騒ぎ出した。
勝手についてきたんだろう、という主張が通じない。俺がおかしいのか?
隣の客室に戻らせるまで、ずいぶん時間を取られた。
そのせいで、更にイライラして、注意力が散漫になっていた。
部屋の扉を閉めるのを忘れたまま、着替え始めて……ちょうど、お湯を運んできてくれたエラさんに、裸を見られてしまった。
「お疲れ様です、ユージさん――きゃっ!?」
互いに一瞬、時が止まる。
俺の手はシャツの裾にかかり、桶を両手で抱えていた彼女は視線を逸らしきれず、頬を赤らめた。
うぶな神官さんに、誠に、誠に申し訳ないことをした。
まさかそんなトラブルを、桜に「いやらしい」と言われるとは想像もしなかった。
――あれは事故みたいなもんだったのに。
あいつの思考回路、どうなってんだ……?
それでも、どうやって桜を王都に帰るよう説得するかと、頭を悩ませていた。
というのに、懲りずに、桜は夕食の席でエラさんに暴言を吐いた。
もう、こいつに配慮なんか必要ないな。
翌朝、神殿の中庭にいたら、桜がやってきた。
開口一番、言い訳が始まる。
「悪気はなかったの! あんなに怒るなんて思わなかったし……」
悪気がないなら何をしてもいいと思っている節がある。それが一番厄介だ。
「もう帰れ。王都に戻れ」
そう言うと、桜は目を丸くした。
「なんで!? 一緒にいたいって思っちゃダメなの?」
「仕事の邪魔だ。自分で役に立ちたいって言ってただろうが。
今のままじゃ誰の助けにもなってない」
その場で神殿の書記に頼み、王都へ連絡を入れてもらった。
しばらくして、慌てた様子で騎士と侍女が駆けつけてきた。
事情を説明すると、「そういうことなら仕方ないですね」と納得し、すぐに帰り支度を始める。
「私、本気で変わりたいって思ってたのに……!」
「お前、ほんとに口だけだな」
桜は最後まで不満げだったが、侍女に付き添われて、渋々馬車に乗った。
ようやく、静かな日々が戻ってきそうだ。
桜は記憶力がいいし、やる気になれば何かできそうな雰囲気はあった。
でも、どこかで「努力しなくても選ばれるのが当然」だと考えているようだ。
「変わる」と口では言うけれど、どう変わりたいのか、どうやって変わるのか――そこを考えようとしない。
その動機だって、勇者になれなかったからだ。
勇者になるために、神に「感謝していると認めてもらう」ことが必要だと思っているだけじゃないか。
人は、自分の意思で「変わりたい」と思わなきゃ、変われないぞ。
……もう俺の手には負えない。
優司が大人としての対応を諦めました。何事にも限度ってありますよね。
……もっと優司が頑張るべきだという方、いらっしゃいますか? どきどき。