神殿の神官
神様との関係を、少し紐解きます。
辺境の砦からさらに南西へ。
朝霧の中、山の中腹にある神殿へと向かう。荷車の車輪がゴトゴトと音を立てていた。
「あと少しで神殿だぞ、勇者・ユージ」
騎馬の兵士・クライドの言葉に、俺は気の抜けた返事を返す。
「神殿か……正直、気乗りしねぇんだよな」
神なんて信じちゃいねぇ。 いや、いることはわかったよ。異世界に転生させられてんだから。
でも__あの事故の元凶が、勇者召喚に関わる神だったっていうんなら、恨みの一つも言いたくなる。
「今までも神殿に行ってただろう?」
「いや、今までのは、砦に付属した療養所みたいなもんだったからさ」
クライドが「ふうん」と、どこか納得しきらない声を上げた。
■
神殿の白い石造りの建物は、静かで、冷たい印象を与えた。
「こちらへどうぞ、勇者さま」
出迎えたのは、静かにほほ笑む女神官だった。腰までの銀髪と水色の目。控えめで穏やかな微笑みに、神に仕える者らしい静けさがあった。
「私はエラと申します。この神殿で『神の媒介』を務めております」
「……どうも。運搬担当の優司です」
相手に知られているとしても、「勇者」と名乗りたくなかった。
利用されるだけの道化……そんな気がするのだ。
俺が神殿の奥に案内されることになり、クライドは愛馬の世話に向かった。
こうして砦への補給物資を届けた後に神殿へ来たのは、老神官の指示だ。
「公国神殿連絡室」という部署が俺と桜の窓口になっている。
そこで仕事の打ち合わせをしていたら、ふらりと老神官が現れて「ついでに行ってきてくれい」と業務を追加した。
神殿連絡室の担当としばらく押し問答をしていたが、俺は黙って聞いていた。
元の世界でも、こういう場面あったよなと思い出しながら。
個人事業主なら仕事の内容や条件を交渉するのだろうが、俺は雇われた立場だった。
与えられた仕事を、手際よく、黙ってこなす。
色々と考え込んでストレスを溜めるようなことはしない、それも生きる知恵だ。
「では、神のご意志を伝えます」
魔法陣の上に立ち、手を組んで目を閉じるエラ。銀の髪がふわりと舞い上がる。
目を開いたとき、水色の目は金色に光っていた。
「~~汝は『器』ではないが、『鍵』である~~」
エコーのような響きを帯びた声が、空間に広がった。
神官の髪が静かに降り、彼女はまぶたを閉じた。
再び目を開けると、水色の目に戻っている。終わったらしい。
「……どういう意味ですか?」
「申し訳ありません。私は伝えるだけで、意味は分からないのです」
王都の老神官に言われて来たが、これは帰ってから訊くしかない。
紙と筆記具を借り、日本語で書き留める。
これから一週間かけて戻るのに、覚えていられる自信はなかった。
■
王都に戻り、公国神殿連絡室に完了報告をする。
老神官に帰還を伝えてくれと言いかけたところで、そのまま中央神殿に向かうよう指示された。
神殿の中庭で薬草茶を飲みながら待っていると、桜が現れた。
「久しぶりだな。お前も呼ばれてんのか」
ドレス姿でヨチヨチとこちらに近づいてくる。
たまにカクンと変な動きをするのは__高いヒールでも履いてるのか?
「相変わらず、平民みたいな格好ね!」
いや、元の世界でもこっちでも、俺は平民だが?
「同郷のよしみで、体幹を鍛えるトレーニングでも教えてやろうか?」
荷の上げ下ろしや長時間の座りっぱなしで腰をやらないよう、俺もそれなりにトレーニングをしてきた。
桜の歩き方を見ていると、体の軸がぶれているせいで、うまく歩けていないのが分かる。
「余計なお世話よ!」
……まあ、こんなフリフリのドレスなら、転んでも大怪我にはならないだろう。
ほどなく神殿の地下へ案内された。
三人で神託を照らし合わせる__密談だ。
桜が償還前に受けた神の言葉は__「芽吹くには、ひとたび地に還れ。音なき場所に声を置け」
異世界転移するときにはこう言われたという。「汝が招いた死をあがなえ。生を譲り、感謝を尽くせ」
俺たちが異世界転移した後、神殿に神託が下った。「無音の国に、声はいらぬ」
そして、今回の「汝は『器』でなはいが、『鍵』である」
うむ……さっぱり分からん。
「おそらく、サクラ殿には最初、何か役目を与える意図があったのでしょう」
老神官が淡々と解説する。
「ただ、他者を生け贄にする形での転生は、試練の神の意にそぐわなかった。
それで方針を変え、勇者を交替させたように見えますな」
テーブル中央の透明な石、周囲の十二の石。そのどれかが老神官の言葉に呼応して光った。
「そして、ユージ殿は『声を置く』という役目までは継いでいない。
未来を左右する『鍵』として選ばれた。運命を動かす分岐点……」
老神官は円盤の縁をなぞりながら、言葉を柔らかく継いだ。
「サクラ殿には、『守られた命』への感謝を行動で示すこと。
ユージ殿には、自分の『選んだ道』を焦らずに進むこと。……風のように、しなやかに」
■
異世界人の二人が地下室を出て行った。
老神官は居住まいを正し、一人で円盤に向き直った。
二人には説明しなかったが、ここは神殿の最深部。
中央には主神を示す石、周囲に従神を示す石が配置されている。
特別な作法で語りかけ、神々の意思を仰ぐ場なのだ。
「……試練の神・イグレーア様が動かれたか」
人を試し、見極め、世界を揺さぶる神。
少女を怠惰な公国に送り込んだのは、混乱をもたらすためか。再生か滅び__どちらでもよい。
だが、少女は他者を害し、神の不興をかった。
「勇者」という優位性を得られなかった少女が、どう行動するか……それもまた楽しんでおられるのか。
「『無音の国に、声はいらぬ』は……イグレーシア様ではない? 預言の神・セオリア様か?」
石の輝きで、推理を修正する。
言葉は示すが介入せず、結果を見届けるセオリア様。
神殿は公国の行方に介入するな、ということでしょうか。
そして__「鍵」。
これは、未来を自らの手で変える者。歩みの神・ロセール様の兆しか。
「器ではない」とは、本来の勇者ではないと言う意味か。
「器が壊れぬよう『守り』が必要、ということでよろしいでしょうか?」
神々との対話は、失言をしないよう、畏れ多いと怯える本能を抑えこんで臨むもの。
寿命が削られる。
老神官は冷や汗を拭い、息を切らしながら地上へ戻るのだった。
■
優司に、今までとは違うタイプの仕事が入った。
南東の神殿、神の言葉をもらったあの場所に半年ほど滞在する。
その神殿を拠点にして、国境を兼ねる川沿いに支援物資を届けるのだ。
その中には、大水の被害を受けた例の農村も含まれている。
配る物資は、近隣の領主様から受け取るようにとのこと。
滞在中、あの預言を告げた神官__エラによく話しかけられた。
「今日の昼食は、村から届いた野菜でスープを作りました」
「裏庭の花がようやく咲いたんですよ」
あの時の神秘的な雰囲気は皆無で、ほにゃっと気が抜けるような空気をまとっていた。
異世界に来たばかりの頃、俺は神殿を避けていた。
この世界に召喚されたのは神の意志だという。
「……ふざけるなよ」
あの日、荷台には急ぎの荷物があった。待っている人がいた。
俺だけじゃない、荷物に関わった人全員の未来の予定、希望をすべて断ち切ったんだ。
「俺たちの人生をもて遊んだのが、神ってわけか」
そんな神を信仰することなど、できるわけがない。
神殿で寝起きするようになってしばらくの間、神官たちが声をかけてきても、俺はそっけなくあしらっていた。
彼らの目には「神殿が召喚した勇者」としての俺が映っている気がして、不愉快だった。
「信仰を広めたいだけだろ。俺は運ぶだけだ」
そんなふうに突き放した。
宗教がらみでなければ、別に話すのは構わなかった。
だが、挨拶代わりに神の話をされるのが、どうにも受け入れがたかった。
そして、彼らはそれ以外の話題を持っていないようなのだ。
心当たりのない敵意を向けられたと思った神官たちは戸惑い、やがて俺と距離を置くようになった。
だが、エラは違った。
ある日、村への補給の途中で雨に降られた。神殿に帰り着き、裏手で荷車を拭いていた。
「濡れてしまいますよ」
エラは、自分のローブを差し出した。
「大丈夫だ」
「勇者様は『人の荷』ばかり気にしますが、ご自分のことも少しは大切になさってください」
その言葉が、優司の中に静かに響いた。
それからも、神の話はしない。ただ、日常の話をする。
「この村の大根は甘いんです」
「この花は夜だけ香るんですよ」
そんな風に、ささやかな時間を分け合うようになった。
やがて世間話を交わせる神官が増えていく。
ある日、神の絵を描いているという絵師が声をかけてきた。
「噂を聞きました。荷車に神の絵が必要なら、描かせていただきますよ」
そう申し出てくれたが――結論から言えば、断った。
内心では「荷車に神の絵? 冗談じゃない。これ以上、関わり合いたくない」と思っている。
だが、大人として、柔らかい言葉を選んだ。
「……気持ちはありがたいけど、うちの荷車にはちょっと__畏れ多いよ」
神殿の青年は少し戸惑ったようだったが、俺の顔を見て、何かを察したのだろう。
それ以上は何も言わず、話は終わったのだった。
何度も「夢」として語っておいてなんだが、トラックをデコレーションするというのは、「本気であり、戯れでもある」__そんな程度の夢だった。
二〇二四年、トラックドライバーにも時間外労働の上限規制が本格的に適用された。
拘束時間や休息時間にも細かく制限がつき、「稼ぎたくても働けない」現実が一気に広がる。
人手は足りず、物流は滞るだろうと、業界内外に不安と不満が渦巻いた。
適用が決まった数年前から、仲間のひとりはずっと言っていた。
「将来が不安だ。もう、何が楽しくて生きてるのか分からん」って。
だから、つい言っちまったんだ――「いつかさ、愛車を派手にデコろうぜ」ってな。
あれは半分、冗談。半分、慰め。
ちょっと未来に光があるように見せかける、ごまかしみたいなもんだった。
本気で叶えるつもりなんてなかったし、あいつだって笑って流すと思ってた。
でもまあ、そう言ってやれば少しは気が紛れるかなって……俺も、あいつも。
夢ってさ、「目指すもの」っていうより「逃げ場」になることもある。
そういうもんだったんだよ、あれは。
その少し前から、貯金の額を見ながら「デコトラにするのもアリかもな」なんて冗談めかして思ってた。
口に出したのは、あのときが初めてだった。
……気づいたら、俺にとっても、ちょっとしたときに口にする「夢」になってた。それだけの話だ。
だから、神殿の絵師が「神の絵を描こうか」と申し出てくれたときに、詳しく話す気になれなかった。
「神以外なら何が描けるのか」――そんな質問すらしなかった。
おっさんがこの歳までやってこられたのは、時にちょっとした逃げ道を使ってきたからだ。
強がって見せるのも、自分にウソつくのも……生き延びるには必要なスキルってわけさ。
■
神官たちと仲良く話せるようになっても、俺の中には澱のように「神に対する不信」はくすぶっていた。
ある日、思わずぽつりとつぶやいた。
「あんたは、神を恨んだことはないのか」
エラは驚いた顔をして、それから静かに首を横に振った。
「ありますよ。何度も。
何かを神様のせいにしないと前に進めないことも、あると知っています」
「それでも神官をやっているのか。……器用だな」
「そうでしょうか。
でも……ユージ様も、神を恨みながら、人のために神殿の荷を運ぶこともある。
矛盾しているようで、それはとても……人間らしいことだと思います」
彼女は、神の代弁者であると同時に――神から少し離れたところにも立てる人なのだと、気づいた。
エラは、そんな俺に無理に信仰を勧めることはなかった。
「洗濯物が風に飛ばされて……ありがとうございます。やだ、笑わないでください」
彼女の話は、ただの雑談だった。
それが心地よく、不思議と心に染みた。
ある晩、夕食の片付けをしながら聞いた。
「私が……神を恨んだのは、口減らしで神殿に入れられたときです」
エラは少し笑ってから、目を伏せた。
「なぜ自分だったのか、ずっと考えていました。妹じゃなくて、なぜ私が選ばれたのかって。
きっと私は、家の中でもいちばん期待されていなかった。愛されていなかった……そんなふうに思ってしまって」
淡々と語りながらも、その声にはかすかに震えがあった。
「それに……神様が本当にいるのなら、不作になる前に、誰かが飢える前に、助けてくれるはずじゃないかって。
そう思ったことも、一度や二度じゃありません」
ふっと息を吐き、遠くを見るような目をした。
いたずらっ子のような表情で、エラは首をすくめる。
「でも……それでも、ここに残る道を選んだのは、自分なんです。
私、ご飯を食べるためにここにいるんですよ」
王都の神官長には内緒ですよ、と笑って言う。けれど、その奥に寂しさを抱えてるのが漏れてくる。
帰る家もなく、信じることを強要され、ただここで過ごすしかなかった少女。
神の声を代弁できる上級神官になったのは、偶然だと笑い飛ばした。
……その後で他の神官に、神の言葉を聞くためには、過酷な修行が必要だと耳打ちされたのだが。
■
神殿の生活も4ヵ月が過ぎた頃、突然、桜がやって来た。
俺に感謝して、親切にするためだとか……それは「勇者」になる手段としてか?
そして今日も――
「桜! 荷台に乗ってんじゃねぇ! その分、積めなくなるだろうが!」
「いーじゃん、元は私の異世界人生だったんだから!」
「俺に勇者を譲って、その計画は終わってんだろうが? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ。」
勘弁してくれ。話が通じねぇ。
「ついていくわ。私もなんか役に立ちたいし」
「お荷物……」
「それ、女の子に言うセリフ!? ひどくない!?」
俺の護衛として半年神殿にいる予定のクライドは苦笑し、エラは目を伏せて小さく笑った。
「では、お弁当を一人分追加しますね」
笑い事じゃねぇ。まるで子守だ。
子どもの頃に将来の夢を訊かれて、何と答えていましたか? 大人にウケがよさそうなことを答えていませんでした? 私はそうでした。
本当の夢なんか恥ずかしいし、否定されたら傷つくじゃないですか。そんな感じの「夢」のお話でした。