運び屋勇者、誕生
回想から始まります。
先日の、王様との謁見を思い出す。
不思議な魔道具に表示された俺のステータス「筋力S・耐久S」を見て、王様は飛び上がった。
「これは素晴らしいぞ! お主は剣を振るうか? 盾を持つか?」
と満面の笑みで手を握ってくる。微妙に生暖かくて粘っこくて、気持ち悪い。
「剣なんて振ったことないですし。戦いはプロに任せた方がいいと思いますよ」
にべもなく断ると、騎士団長っぽい人が目を見開いて驚いている。王の側近たちはヒソヒソと何かを言い合い始めた。チラチラとこちらを見てくるのが、うっとうしい。
魔道具を操作している人が「魔力は低水準。平民並みですね」と告げる。
それを聞いて、急にテンションが低くなる王様たち。
「……勇者が戦えぬとは。では、そなたには何ができる?」
責めるような口調で言われた。
「荷物を運べます」
沈黙が落ちた。思いっきり期待外れとか、そんな感じ。
いや、俺は真剣に答えているぞ。
トラック一筋の二十数年。大型免許で日本中を走り回った。
……まぁ、それが異世界で何の役に立つかって言われたら、俺にも分からない。
「……ならば、そなたに相応しい仕事を与えよう」
そう言われて渡されたのは、魔導具仕込みの頑丈な木製の荷車だった。まあ、よく数日で用意できたものだ。一応荷車を用意しておいて、戦える人材だったらいいな、ってとこか?
まあ、そんなやり取りのあと。
俺は荷車勇者、もとい――運び屋勇者として、異世界で仕事をすることになった。
……表面上、落ち着いてやり取りをしたけど、正直ムカついてる。
『役に立て』だと?
どの立場でそんなこと言ってるんだか――怒鳴りたい気持ちはある。
……でも、ここは我慢しておこう。
何がどうなってるのか、状況がまだよく分からない。こんなときに下手に動いて失敗するのは、経験上よくあることだ。
まずは、自分の身の安全を最優先に考えること。
ラノベでよくある「異世界召喚のダメなパターン」ってやつだからこそ、慎重に。警戒を解かずに、まずは自分を守れる場所を確保しないとな。
この謁見のあと、俺は王宮の客室から使用人棟に移った。桜はそのまま、貴族用の客室を使うらしい。
権力者に利用される危うさを教えてやるべきかとも思ったが――きっと言っても聞かないだろう。むしろ、口うるさいと煙たがられるだけだ。
荷車を見てあんな顔をしたくらいだから、使用人棟に喜んで来るとは思えない。
……未成年の子どもを見捨てるようで、少し気が咎めた。
大人として最低限の責任は果たすべきかとも思うが――正直、今の俺にそこまでの余裕はない。
それに、自分が高校生の頃、大人のアドバイスを素直に聞いていたかというと……どちらかといえば、逆らってた方だしなぁ。
喜んで謁見室を出て行く桜の姿を見て、水を差すのも無粋かと俺は沈黙を選んだ。
初の任務は、一週間かけて辺境の砦へ補給物資を輸送するものだった。
同行するのは、真面目すぎて眉間にしわが定着してそうな若き騎士・クライドさん。
「護衛は私が務めます。勇者殿は輸送に集中してください」
「ありがとよ、騎士さん」
ぬはははは、騎士様に護衛されてるよ、俺。すげー。
「いえ、自分は騎士ではなく、騎兵です。騎乗しますが、あくまで兵士です。」
失礼、違ったらしい。
……もしかしたら、俺の「監視」も兼ねているのかね。鋭い目つきに、そんな気がした。
道中は森と丘と、延々と続く未舗装の街道。
あちこちがぬかるんでいて、トラックが恋しくなる。
エンジンひとつで、こんな泥道なんて鼻歌まじりで越えてたな。あの振動、あの音。文句も言わず、きっちり仕事こなすやつだった。
だが、この荷車も頑丈だ。手押しでも転がりは悪くない。
そして、不思議なことに騎乗の兵士と、徒歩で荷車を引く俺の速度が同じなのだ。クライドも目を丸くしていたから、普通ではないようだが。
魔道具の威力なのか、「勇者」という存在の底力なのか……もう、よく分からん世界だ。
二日目、道端の木陰で休憩を取っていたとき、事件は起きた。
ガサッ。 茂みから現れたのは、黒くてぬめった体表の、いかにも敵っぽいモンスターだ。
獣というより爬虫類に近いそれは、目にも止まらぬ速さでこちらに飛びかかってくる。
「勇者殿、下がって!」
クライドが剣を抜くが、俺の背後にいたもう一体には気づいていない。
思わず手にしたのは――荷車の脇に刺していたスコップだった。
「うおらぁああああッ!」
バッティングセンターの要領で振り抜く。
ズドン、と重たい手応えと金属の打撃音と共に、モンスターは地面にめり込んだ。とにかく頭を叩き続ける。
「勇者殿……」
クライドの視線が、変わった。
相対しているモンスターを手早く切り捨てると、俺の方に駆けつけ、めり込んでピクピクしているモンスターを剣で貫いた。
「……あなた、本当に勇者なのですね」
モンスターが死んだことを確認して、俺たちは立ったまま一息吐いた。
「一応、そういう話だな」
「だったら、前線に出てモンスターぶっ倒すとか、そういうの……やらないのですか?」
優司は手にしていたスコップを土に突き立て、軽く肩をすくめた。
「俺が戦場で暴れたって、誰かが飯食えなきゃ意味ないだろ。荷が届かないと、戦えねえんじゃね?」
クライドは苦笑いしつつも、どこかもどかしそうな顔をして、くしゃりと自分の髪をかいた。
「……いや、わかってるんすけど。もっと『勇者らしく』活躍できんのになって。もったいないなって――」
こいつは若いから、活躍して、名を売りたいと考えているのだろうか。少なくとも「勇者」と呼ばれることが名誉だと思っているのだろう。
優司は空を見上げ、うっすら笑う。
「そっちは、お前らに任せた。俺は……運ぶ方が、性に合ってるんでな」
元の世界でも、荷下ろしの最中に積み荷が崩れかけたときは、とっさに支えるか、身を引くか――一瞬の判断がものを言う。
腕力だけじゃなく、反応の速さや判断力も問われる仕事だった。
だから、きっと戦士になる道だって、選ぼうと思えば選べた。
でも俺は、荷物を運ぶ方がいい。
力や判断力は、人を傷つけるよりも、誰かの役に立てる形で使いたいんだ。……それが許される、平和な世界で生きてきたんだよ。
モンスターとはいえ、この手で生き物を殺す気で殴りつけた。その結果、目の前で命を失う姿を見た。
そんなのは、アニメの異世界だけでよかったのに……。
五日目の昼前、峠道のカーブを抜けたところ、前方の道に丸太が転がされていた。
「……わざと、だな」
クライドが馬を止めた瞬間、左右の林から男たちが現れる。
「兵士ひとりに従者がひとりか。しかも荷車持ちだ。いただきだな!」
木陰から現れた粗暴な男たちは、笑いながら近づいてきた。
スコップを握る手に、力がこもる。こいつらは盗賊だ。身ぐるみを剥ごうとする悪党なんか、ほぼモンスターだ。そう考えることにした。
先頭のひとりが荷車の取っ手に手をかけた瞬間――電流のようなものが走った。魔道具である荷車は、持ち主に対する害意に「拒絶」の反応を示す。……という説明を、今、思い出した。すごいな、魔導具。
「……なんだコレ、っ痛ぇ……っ!?」
驚いて隙ができたのを見逃さず、兵士が一人を切りつけた。従者――俺がスコップを横にして、一撃を叩き込む。何かが折れる音がした気がする。
文字通り真剣勝負だ。情けをかける余裕なんかない。
枯れ葉と土を握り、顔に投げつけてきやがった。目が開けられないが、位置を予想してスコップで突いてやる。手応えがあったので、その辺りをスコップの面でバシバシ叩いてやる。
くそ、目が痛い、開けられない。眼科なんてあるのか? 失明したらどうしてくれる。
「勇者、ストップ。縛り上げるから」
クライドの声がした。手に瓶を握らされて、目にかけるか飲むかしろと言われた。あれか、異世界定番のポーションってやつか。
飲んでみると蜂蜜水のような、ほんのり甘い味だ。目元が暖かくなり、恐る恐る目を開けてみる。
三人の山賊は、クライドによって縛られていた。
ちょうど昼時だったので、縛った山賊を木陰に転がしたまま昼食にした。俺たちはパンと干し肉をかじる。
「さて、こいつらどうする? 砦に連れてくん?」
「めんどくせぇですけど、その方がいいのかな。解放して、他の人を襲わせるわけにも――」
「も、もがももも」
盗賊の一人が、猿ぐつわをしたまま喚いている。反省するから……とでも言っているのだろうか。嘘くさい。
そのとき背後の茂みが割れ、巨大な影が現れた。
ぬるりと伸びた舌が、山賊をひとり、あっという間に丸呑みにする。
「……決まったな。急いで逃げよう!」
クライドは水筒を腰にくくりつけ、手早く馬の手綱を握った。
俺はパンを急いで咀嚼してから呟いた。
「成仏してくれよ」
「ジョーブッ……?」馬上でクライドが聞き返す。
「俺の国で、『恨まずあの世に行ってくれ』って祈りかな」
荷車の持ち手を飛び越えて中に入り、ダッシュでその場を離れる。
「その言葉は、『死者を縛る言葉』と誤解されかねないぞ」
クライドが蹄の音に負けないように大きな声で忠告してくれた。
「人前では言わない方が良いってか?」
「死霊術士と間違われたくなかったら、な」
そういうジョブもいるのかぁー。
ファンタジーだな、マジで異世界だ。盗賊をやっつけ、大蛇から逃げる俺たち。無事に逃げられたからだが、すごい高揚感がある。子どもの頃のように、声を上げて笑い出したくなった。
そんなこんなで、辺境の砦に着いた頃には、クライドとかなり打ち解けていた。あれだけ共闘すれば、当然か。話し方も敬語じゃなくなっている。
「ユージ、あんたは……本当に運ぶことに誇りを持っているんだな」
「誇りってほどじゃねぇけどな。預かったものを責任持って届けるだけだ。
……ありがとうって言ってもらえるのは、やっぱり気分がいいよ」
食料、薬、補修資材。 誰かが運ばなきゃならない。俺の仕事は地味だが、確かに誰かの命を支えてきたし、こちらの世界でもそれは変わらない。無事に砦について、少し自信を持てたような気がした。
砦の門番に、物資を運んできたことを説明した。クライドが書類を見せて、中に入る許可が下りた。
まずは、砦の補給長の元へ案内された。
現場の兵士たちに最も近い補給管理役で、砦の中では中堅ポジションだそうだ。
荷車の荷台から麻袋を降ろすと、補給長が手早く中身を確認しながら、小さくうなずいた。
「干し肉、保存水、矢筒に油壺……ありがてぇ。これなら最前線に届けられるな」
日焼けした顔に深い皺を刻んだその男は、荷物を検める手を止めずに話す。
「……王様は『魔王討伐のための召喚』って言ってたらしいな。あんた、それを信じるかい」
俺は口を引き結び、少し考えてから首を振った。
この国の軍の一員ということは、王様の手先だ。余計な疑いは持たれたくないが、情報はほしい。
補給長は荷袋を括りながら、ふと声を低めた。
「魔王なんて、海を渡った先の遠い国の話だ。実際にやり合ってんのは向こうの連中で、こっちにはあまり関係ねぇ。
俺たちが構えてるのは、もっと現実的な『ごたごた』さ」
「……隣国との揉め事、か」
「察しがいいな。三つの国と接している国境沿いじゃ、どこでも小競り合いが絶えねぇ。
あんたみてぇな異世界の客人を呼ぶってのは、『国内の不満』を外に向けるのにも都合がいいってわけよ」
俺はため息をついた。思っていた以上に、随分と都合のいい「駒」扱いだ。
それにしても、なぜ、そんな情報を俺に与える? 国が隠していることを、軍の人間が暴露するのはおかしくないか?
「道中、気をつけて、また運んでくれや」
背中を叩かれた。背中で感じた手のひらは厚そうで、硬いマメがあるような感触だ。
補給長は最後にぽつりと加えた。
「……荷物の中身に、興味は持たんほうがいいぜ」
「いや……配る先を確認するために中身は見るよ」
「それもそうか、がははは」
笑い声を上げてはいるが、その目は笑っていなかった。きな臭い。胡散臭い。そんな思いが深まるばかりだ。
……中身を見ないですむように、宛先を書く木札でも作るか。
次は、砦内の別の建物に移動する。
神殿の一角に療養所が作られて、そこで数名の神官が働いていた。
麻袋の中から、負傷者のための薬や衛生用品を取りだして手渡す。
「包帯・薬草・聖水……ああ、この薬は傷の深い方から順に使わせていただきますね」
棚には物が半分も並んでいないため、なんとなく寂れた雰囲気が漂っている。その棚に、もう一人の神官がいそいそと並べ始めた。
それを見てホッとする。必要な物が必要な場所に収まった風景は、心安まるものだと気付いた。
「ここには物資が届かないのか?」
ちょっと心配になってしまう。戦争の影響なのか、辺境だからなのか……?
「……そうですね。勇者様もここまで苦難を乗り越えて届けてくださったと思います。
そこを乗り越えられない方々もおられますので。
運が良ければ手に入る、悪ければ諦める。そんな暮らしでございます」
不意を突かれ、動揺してしまった。この砦の人々は、「届かないこと」に慣れているのか。
反射的に、ここも「届くのが当たり前」な世界にしたいと思った。
だが、落ち着け。俺は一人しかいない。
そんな生活の基盤を、異世界から来た男一人がなんとかしようとするのも、おかしな話だ。
……実力の伴わない正義感は身を滅ぼす。年を重ねる中で、そのことを思い知った。
せめて、自分の届ける分くらいは、ちゃんと届けよう。
ああ、なんだ。それなら、元の世界でしていたことと同じだな。
体が若返ったせいで、無鉄砲な情熱に引きずられてはいけない。俺は胸に手を当てて、深呼吸をした。
その夜、クライドと酒を酌み交わした。思えば、こんなふうに誰かとゆっくり飲むのはいつぶりだろう。
ここ数年、若いやつはあまり職場に入ってこなくなったし、コロナ禍もあって、気軽に飲みに出かける機会はめっきり減った。同年代の同僚たちは、酒が弱くなったり、医者に止められたりで、自然と誘い合うことも少なくなった。
だからかもしれない。クライドと飲んでいる今が、妙に心に染みる。
初めはこいつも、どこか俺を警戒してた。勇者なんて肩書きが、いかにも胡散臭く見えたんだろう。いや、異世界人にどう接していいか、わからなかったのかも。
正直、俺も「勇者です」なんて名乗るのは照れくさいを通り越して、もう恥ずかしいの一言だった。
でも、他に名乗れる肩書きもないしなぁ。いっそ「異世界人です」とでも、言ってみるか。
でも今は違う。こいつは、俺をちゃんと『ひとりの人間』として見てくれるようになった。それが嬉しい。
「これが、ウズラダの漬け魚だ。匂いは強いが、いけるぞ」
勧められた皿には、香草と発酵した何かで味つけされた焼き魚が載っていた。
見た目は正直クセがありそうだったが、恐る恐る口に運ぶと、意外とまろやかで、少し甘みもある。白身に近い味で、日本の干物にどこか通じるものがあった。
「……うまいな、これ」
「だろ? 初めてのやつはだいたい顔をしかめるんだが」
口に残る香りと酒が、口の中で混じり合う。クセの強い酒の肴というものは、なぜか味わい深い。
くだらないおしゃべりに、ふたりして、声を立てて笑った。
酒も、食い物も違う異世界だけど――この夜は確かに、『昔よくあった、仲間と飲む時間』だった。
久しぶりの楽しく酒に、胸のどこかが緩み、人の暖かさを感じた。
クライドの故郷の話も、仕事の愚痴も……人の営みや悩みは変わらないらしい。ただ、国王の悪口は不敬罪になると止められた。偉そうなジジイが、なんぼのもんじゃい。
その後の一週間ぶりの風呂とベッドは、まさに天国だった。
こうして俺は「運搬勇者」として最初の任務を完遂し、正式に荷物を届ける仕事に就くようになった。
基本は国からの指示だから、兵士が護衛につく。クライドやその同僚が順番につき、こちらの世界にも顔見知りや仲間ができた。
誠に不本意ながら、徐々にこちらの世界に馴染んでいく。まあ、馴染めないよりはいいかと、諦めの境地になりつつあった。
一度目の砦とは違う砦に物資を運んだときのこと。
砦の門をくぐると、空気が血の匂いを運んできた。俺が荷車を止めると、武骨な兵士たちがこちらをちらりと見た。
「勇者様が荷運びとは……」誰かがぼそりとつぶやく。だが皮肉にしては声に力がなかった。
干し肉、矢束、火打ち石、薬包――どれも命の綱だ。無言で受け取る手が震え、安堵の涙がにじむ目。それらが余裕のない状況を物語っていた。
誰かが今日一日を生き延びる。その一端を担える上に、勇気づけられるなら、名ばかりの「勇者」を演じても構わないと思う日もあった。
だが、砦を離れて冷静になると、戦争の旗印にされるのはごめんだと思う。
山中にある神殿の分院に行ったこともある。霧が立ち込める山道を登りきった先、小さな鐘の音が俺を出迎えた。
青い衣の神官が深く頭を下げる。「お疲れさまでした、勇者さま」
荷台には薬草、聖水、包帯、祈祷用の布。
火傷した巡礼者、言葉を失った子、脚をひきずる男――神に仕える場は、同時に人の痛みを受け止める場所でもあった。
「……ここにも、召喚されて捨てられた人がいましたよ」
シスターの言葉は過去形だ。俺は何も言えず、ただ箱を奥へ運ぶ。
捨て駒にされないよう、立ち振る舞いに気をつけろという警告を、ありがたく受け取った。
大水で被災した農村に行ったときのことは、忘れられない。ヘドロと化した土の匂いが鼻をつく。倒れた納屋、壊れた柵、泥水で使えない井戸。
かつて村だった場所に、わずかに残った人影があった。俺が荷車を止めると、泥だらけの少年が駆け寄る。
挨拶を交わした後、少年が振り返って「勇者だって!」と声をあげた。周囲が静まり返る。荷車と勇者の組み合わせなんぞ、想像を超えているだろう。
俺は言葉を返さず、重い小麦の袋を担いで、崩れかけた倉に運ぶ。
だがそこにも泥が入り込んでいた。兵士が数人、無言で泥を掻き出すのを手伝い始める。
疲れ果てた人たちは感謝ではなく、謝罪を口にした。逆に、不満をぶつけられることもあった。遅すぎると。なぜもっと早く助けてくれなかったのかと。
ただ、生きる糧になるものを届ける。それが俺にできる、唯一のことだった。
どうかその糧が、生きる気力を奮い立たせてくれと、祈ることしかできない。
隣国との共同検問所に行ったのは、別の意味で忘れられない。
国境沿い、監視塔とテントが並ぶ中立地帯。兵士たちが鋭い目で互いをにらみ合う中、俺は荷車を進めた。
積んでいたのは、王印入りの絹布、瓶詰めの酒、香草――戦の道具ではなく贈答品だ。
「まさか、勇者が使い走りとはな」
隣国の兵士が乾いた笑いをこぼす。
「勇者を動かしたってだけで、国王は『誠意を見せた』ことになるらしいぜ」
荷を降ろして、俺は無言で空を仰ぐ。
虚しさが胸をよぎる。これは立派な騎士様が届ければよかったんじゃねぇか? 名ばかりの肩書きが、一人歩きを始めている気がする。「勇者」って何だ?
それからしばらくして、荷車に空きがあるときは、こっそり料金をもらって荷物を運ぶようになった。
考えてみたら、俺って衣食住は提供されてるけど、給料もらってないんだよな。……いや、これ、普通におかしくないか?
兵士たちは事情を察して、俺の小遣い稼ぎを黙認してくれてる。ありがたいけど、逆にモヤモヤする。
いっそ誰かが密告でもしてくれたら、堂々と文句のひとつも言えるのに。
「勇者様に給料も出さずに、コキ使ってんじゃねぇよ」ってな。
そんな小遣い稼ぎで、王都の裏通りにある孤児院に行った。王都の華やかな街並みを外れて裏路地に入ると、石畳はぬかるみと煤にまみれていた。
古びた扉を叩くと、小柄な老婆が顔を出す。
「あんたが『運搬勇者』かい。物好きだねぇ」
荷台から降ろすのは、地方の商人に依頼された古着、古びた本、湿布薬に干した果物などだ。
子どもたちが戸口からこちらを見つめていた。無言のまま、大人の顔色をうかがう目。
俺はかける言葉が見つからず、少しだけ視線を落とす。
「食べるものは……足りてるか?」
老婆は笑わず、「足りたことなんて一度もないさ」と答える。
依頼人の名を告げると涙ぐみ、「うちの出世頭だ」と震える声で言った。
そんな日々を重ねた。実績を重ね、「運搬勇者」が国中に物資を運ぶことが評価され始めた。
最近では、興味を持って好意的に話しかけてくれる貴族も、ちらほらいる。
依頼の相談を受けたときは、一応「国を通してほしい」と返しているが……本当にそこまで義理立てする必要があるのか、正直迷っている。
王宮を出て、街で荷車を調達すれば――もしかすると、自分ひとりでもある程度やっていけるのかもしれない。だが、街の治安や王家との関係を考えると、軽はずみに動けない自分がもどかしい。
貴族の中には、口では称賛しながらも、荷車を見る目に蔑視が混じる者もいる。「労働すること」自体をどこか見下しているのか――それとも、ただ見慣れないものへの拒否感なのか。
まあ、そんな人たちとはあまり接触しないように暮らしていける仕事に、感謝だな。
ふと、日本にいた頃を思い出す。
好景気に沸いたバブルの頃は、肉体を使う仕事や現場の技術職が『3K(きつい・汚い・危険)』と言われた。面白おかしく暮らすことがステイタスになり、真面目に働くことを軽んじる空気もあったように思う。
俺の同級生には大工や電気工、整備士がいた。「お友達価格」で助け合って、みんな案外、心地よく暮らしていたんだ。離婚をきっかけに地元を離れたが、次の職場ではまた、同僚の「お友達」にずいぶん助けられた。
知恵や労力を出し合って、肩を寄せ合って生きていく。
そんな暮らしをしてきたからこそ、この世界の平民とも自然に馴染めるのかもしれないな。都会で暮らしていた人が田舎暮らしで戸惑うみたいな、そういう苦労は感じていない。
ある夜、配達先の宿舎の裏で、俺はぼんやりと空を見上げた。星座も、きっと全然違うんだろな。元々詳しくないから、比べられないが。
さて、今日も荷車を布で拭くか。
「……ふっ、これをデコったら、どんな風になるのかね」
そう。俺の夢は、デコトラだった。じいちゃんのトラックは金ピカで迫力のある絵が描かれていた。
「俺もいつか、自分だけのド派手なトラックで走るんだ」と言ったら、じいちゃんが頭をなでてくれたっけ。
ああ、次のボーナスでデコトラに手が届いたのになぁ。
今は燃料代も高いし、運送業もギリギリで回している感じがある。デコトラに金かける余裕なんて、なかなかない。
それに、派手なのは「社用車ではNG」って会社も増えているから、俺が勤めている会社は「社用車OK」でラッキーだと思っていたんだ。
じいちゃんみたいに、全面に絵を描いてもらったり内装をグレードアップするのは無理だろう。だけど、ちょこっとペイントするくらいならできる。そのための金が、もうすぐ貯まりそうだったんだよな。
こっちの世界にペンキとか塗料とかあるんだろうか。
……で、肝心の神絵師はいらっしゃるのか? この荷車を新たな相棒にすると決めて、夢のデコトラにしようと思いついたとき、最初にぶち当たった壁がそこだった。
「次は、塗料と画家探し……ってとこか、くくくく」
何をやっているんだろうと、思わず笑ってしまう。
どこにいても、俺は「俺」らしい。
異世界でも見る「夢」が同じなんて……いや、ワケの分からない異世界だからこそ、夢を手放さずに抱えていくべきだろう。
自分がワクワクできる環境を、恥ずかしがらずに萌えを追究するのは自分の幸福のためだ。
そうして元気に働けば「ありがとう」の一言がもらえる(もらえないことも多々あるけど)。この一言が最高に人生を輝かせると、俺は信じている。
勇者かどうかなんて、もう関係ない。戦わなくても、ちゃんと世界を支える一員なんだ。
誰かの「日常」を守ってると胸を張ろう。
その思いを胸に、俺は明日も荷車を引こう。
ちょっとだけ、ペンキの匂いがする未来を夢見ながら。
早々に「勇者どうでもいい」宣言が出てしまいました。
でも、心意気は「勇者」らしくなっているのでは……と思います。




