新たな任務
赤いカーペットの上に現れた扉は、小気味のいい音を立てて開いた。この扉は何も異世界にのみ通ずるわけではなく、遠く離れた場所へ移動する際にも使用することができる。その場合は神なら誰でも開閉できるが行き先か現在地のどちらかが、必ず神殿でなければならないのが難点である。
そんな扉から出てきたのは、金の冠をした一人の女神だった。左が肩の下まである長髪で、右がうなじにかかる程度の短髪という不思議な髪形をしており、額の大きな星型の飾りと黄金色に輝く髪も相まって、傍目にはまるで流れ星のようである。
服装も、金のマントに金のロングスカートに金のヒールと金一色とかなり奇抜な恰好ではあるが、前を見据える凛々しい瞳ときつく結んだ口元が、持ち主の厳格さと気品を代弁して
いた。
コツコツとしなやかな足音を響かせながらカーペットの上を歩き、神王の座る玉座の前まで来ると、その女神は静かに跪く。片側の長髪が流れ星のようになびいた。
「来たか、ティンクよ」
「テゥィンクでございます。神王様」
テゥィンクは唇を弾くように発音し、自らの名前を正す。
「……そうじゃったな。それで? どうじゃ、今年は」
地球で密かに人々の願いを聞いて回り、その中から毎年一つだけ叶えてやるのが想いの神テゥィンクの役目であった。
「こちらをご覧下さい」
そう言って、テゥィンクは分厚い紙の束を手渡す。
「うむ」
神王は一通り目を通し終えると、顔を顰め、苦々しく口を開いた。
「――――どうも今年は、利己的な願いばかりじゃな」
「お言葉ですが神王様。私に言わせれば、利己的でない願いなど、一つとしてございません。
願いとは、自分自身が望んだ上で成り立つもの。所詮如何なる願いも独り善がりな自己満足に過ぎないのです」
「ならば御主は、何を望む? 御主はどんな願いを叶えたいのじゃ」
「……?」
神王の真意が掴めず、テゥィンクは言葉をつまらせてしまう。
「今年は、御主が好きに決めるが良い」
「私が、ですか? ……それでは」
しばし目を閉じ考え込むと、テゥィンクはやがて資料の束から一人の少女の写真を出した。
「この者の願いなど、いかがでしょう」
「なるほど、恋愛成就か。まだ一度も叶えたことのない願いじゃな。うむ、おもしろい」
「それでは、今年はこの者の願いでよろしいですか?」
「待て、その者の相手は誰じゃ? 有り得ぬ恋ではならんぞ」
「心配はいりません。ごく普通の青年でございます。恋の理由も一目惚れと平凡なものです」
「そうか。ならば――――」
最中、テゥィンクの開いた扉の前に覆いかぶさるようにして、もう一つの扉が出現し、中からセルゼルノが現れた。
「どうかなさいましたか? 神王様」
「あぁ、すまぬ。どうやらセルゼルノが帰ってきたようじゃ」
「セルゼルノが?」
テゥィンクが振り返ると、セルゼルノは何かの書物を片手にゆっくりと歩み寄って来る。
「今年の願いはその者でよい。もう戻って構わぬぞ、ティゥンクよ」
「承知いたしました。……あと正しくは、テゥィンクでございます。神王様」
テゥィンクはそう声を荒げ、不服にしながらも芯のある背ですっと立ち上がる。
「神王様。世・改の歴史を記す書物を手に入れてきました」
セルゼルノは、歴史の教科書を掲げ、神王に見せつける。
「おぉ、久しぶりだなースィンク!」
すれ違い際、セルゼルノが笑いながら声を掛けると、テゥィンクは足を止め、
「テゥィンクです! 間違えないで下さいね。セルゼルノ」
眉間に皺を寄せ、口引きつったぎこちない愛想笑いを浮かべてから再び歩き出す。
「なぜティンクはあんなに怒って――――」
「テゥィンクです!!」
その剣幕に、神王も思わず身をすくめた。
「……それで、どうじゃ? 大した誤差はなさそうか?」
「はい。今のところは」
「そうか。……だがどうも最近、人間の数が激増しておるようじゃ。じゃからバランスを取るため、今から半年後に大災害を起こすことにした。良いな?」
「そう言われましても、災害が起こるのは世界の地球であって、私には関係ないのでは?」
「いや、そんなことはない。世・改は世界で生まれた神である御主が造ったのじゃから、世界の地球で災害が起これば、世・改の地球でも、違いはあれど、何かしらの災害が起こるはずじゃ」
「しかしその災害は、いつか必ず終息し、人間が全滅するまでには至らないものなのですよね?」
「……それはまだわからん。この世界にはイブがおるからな。危うくなればいつでも終わらせることができる。しかし世・改で、災害を、――――つまり運命を捻じ曲げられるのは御主だけじゃ。全ては御主次第。我々にどうにかできるものではない」
「ですが! 私には生み出すか失くす力しかありません!」
「まぁそう焦るな。人間も、そう簡単死に絶えることはないじゃろう」
「そうだといいのですが……」
セルゼルノが俯くと、視界の端で、神王が立ち上がるのが見えた。
神王のそんな姿を見るのは、これが初めてかもしれなかった。
セルゼルノはなんとなく嬉しかった。
「まぁとにかく、両の世界を半年後にし、変化を見るとしよう」
「しかし世・改に影響を与えられる神は、私だけではないのですか?」
「それは扉が閉まっておればの話じゃ。扉が開いておれば両の流れは繋がっておる。一方の時が進めば、もう一方の時も連動して進む」
神王はおもむろに右腕を上げ、ガチャガチャを回すような仕草をする。
以前の半分ほどしか回さなかった。
「では行くがよい。もしも世・改で想定外の規模の災害が起こっておれば、終息させるまで、帰って来てはならぬぞ。でなければ、世界の予備として――――役に立たん」
「………はい。それでは行って参ります」
セルゼルノは神王の視線から逃れるように扉の向こうへ向かう。
事実上、半年以上歴史の教科書を借りっぱなしになってしまったとも知らずに。




