第15話 城壁
ラルフの要求に、雨宿は従わなかった。
しかし無視もしなかった。
土地登録。税。治安。住民代表。
王都と交渉するため、人々は役割を決めた。
ヨナス一人へ任せない。
それが雨宿の答えだった。
だが数日後、公会所属の兵士と王都警備隊が再び現れた。
「強制閉鎖命令」
居住者は退去。
建物は調査終了まで接収。
広場に怒声が上がる。
ヨナスが前へ出た。
「話し合いの途中です」
ラルフは冷たく言う。
「終わった。王都が決めた」
兵士が進む。
子どもが泣く。
エナがリクを抱く。
リーサがノアの肩を抱く。
オルドが杖を握る。
ヨナスの胸に、一つの必要が生まれた。
彼らを傷つけたいわけではない。
王都を倒したいわけでもない。
ただ、この人たちが追い出されないための境界が必要だ。
灰色の世界。
金色の線。
雨宿をぐるりと囲む壁。
鑿を地面へ当てる。
――ガチリ。
大地が震える。
石が立ち上がり、高い城壁となって雨宿を囲む。街道側には巨大な木の門。
兵士たちは思わず後退した。
ラルフの顔が歪む。
「貴様……!」
ヨナスは門の内側から言った。
「これは、あなたたちを傷つける壁ではありません」
「反逆だ!」
「違います。私たちは、ここで暮らしたいだけです」
門が閉じる。
攻撃しない。
ただ、拒む。
その夜。
ヨナスは城壁を見上げていた。
家だけではない。
帰る場所を守るものまで造れる。
でも同時に、外の世界との境界も造ってしまった。
雨宿はもう、ただの小さな集落ではない。
後戻りはできなかった。
強制閉鎖命令が届いたあと、雨宿の人々は初めて本格的な恐怖に包まれた。
これまでは「王都が来るかもしれない」という話だった。今は兵士が目の前にいる。
家の中で荷物をまとめ始める者もいた。
「戦いになったら子どもを連れて逃げる」
「どこへ?」
「分からない」
その会話を聞いた時、ヨナスの胸に第一話のエナとリクが重なった。
行く場所がない人を、また雨の中へ出すのか。
それだけは嫌だった。
ラルフは広場の入口で命令書を読み上げた。
「これは王国法に基づく措置だ」
ヨナスは彼を睨みながらも、背後の騎士たちを見る。
全員が敵意を持っているわけではない。命令で来ている人間もいる。
だから武器を造るという発想は、一瞬浮かんでもすぐ消えた。
剣。槍。落とし穴。
何一つ、金色の設計図にならない。
自分の力は、やはり人を傷つけるためには応えない。
代わりに視えたのが城壁だった。
境界。
中と外を分けるもの。
ヨナスは鑿を握る前に、住民へ振り返った。
「これを造ったら、雨宿はもっと王都から警戒されるかもしれません」
皆が静かになる。
「今なら、まだ出ていくという選択もあります」
エナが最初に首を振った。
「私は、もうリクを連れて逃げたくありません」
バルトも続く。
「ここで暮らす」
オルドは杖を地面へ突いた。
「わしはここに井戸がある限り動かん」
ミレイはヨナスを見る。
「ヨナスさんは?」
以前なら、皆を逃がして自分だけ残ると言ったかもしれない。
でも今は違う。
「私も、ここにいます」
その言葉を自分の意志で言えた。
城壁が完成した瞬間、人々は歓声より先に静まり返った。
大きすぎた。
高さ。厚さ。門。
昨日までの雨宿の風景が変わった。
安全になったはずなのに、ヨナスの胸には重さが残った。
壁は守る。
同時に、隔てる。
「嫌いですか」
ミレイが聞く。
「必要だと思ったから造りました。でも、好きではありません」
「それでいいんじゃないですか」
「必要なものを好きでなくても?」
「薬だって苦いでしょう」
ヨナスは笑った。
城壁ができた後、雨宿では見張りの当番を決めた。ヨナス一人が守るのではない。夜は二人一組で門を確認する。
初日の夜番はバルトと若い旅人だった。
ヨナスが代わろうとすると、バルトは首を振った。
「今日はお前の番じゃない」
「でも」
「皆で守るって決めただろ」
ヨナスは引き下がった。
城壁という巨大な建造物より、その一言の方が心強かった。
雨宿は、ヨナスが守る場所から、皆が守る場所へ変わり始めていた。
城壁完成後、子どもたちは最初こそ怖がったが、数日で慣れた。リクなどは壁の影で遊び始め、ノアは門の開閉を見るのが好きになった。
大人たちは逆に、壁の存在を重く受け止めていた。
「守られてる感じはする」
「でも、閉じ込められてる感じもするな」
そんな声もあった。
そこで昼間は門を開けておくことになった。見張りは置くが、旅人はこれまで通り入れる。
ヨナスはその決定にほっとした。
守るための壁が、誰かを拒むための壁になっては、雨宿という名前の意味がなくなる。
この原則は、防衛戦の後も守られることになる。
門を開けている昼間、最初に入ってきた旅人は城壁を見上げて怯えた。
「入って大丈夫なのか」
見張りのバルトは笑った。
「壁は中へ入れないためじゃない。勝手に追い出されないためだ」
その説明を聞いたヨナスは、城壁の意味が少し整理された気がした。
境界は拒絶だけのためではない。
安心して扉を開けるためにも、どこまでが自分たちの責任範囲かを示す必要がある。
家に壁と扉があるように、町にも境界が必要になる。
ただし扉は閉めっぱなしにしない。
雨宿はその方針を選んだ。




