第八話「花と死と」
第八話「花と死と」
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次に真魚が飛んだとき、西行はすでに歩いていた。
嵯峨野の野原だった。
春の光が草の上に降りていて、遠くに山が見えた。
真魚が現れたことに気づくと、西行は歩みを止めた。
振り向きもせず、ただ止まった。
来い、ということだと真魚はわかった。
真魚は西行の隣に並んだ。
二人で並んで、しばらく歩いた。
やがて西行が口を開いた。
「お前はこの歌をどう読む」
「もろともに われをも具して 散りね花 うき世をいとふ 心ある身ぞ」
真魚は歌を頭の中で繰り返した。
一緒に私も連れて散ってくれ、花よ。
この世を嫌う心がある身なのだから。
真魚はゆっくりと言った。
「桜と一緒に、消えてしまいたいという歌ですか」
西行は何も言わなかった。
続けろ、という気配だった。
真魚は少し考えてから続けた。
「消えたいというより、この世の重さに疲れた、
という感じがします。
私も学校でそう思うことがあります。
全部やめて、どこか遠くへ行ってしまいたいって」
西行はそれを聞いて、少し間を置いてから言った。
「わしも、そう思っていた」
静かな声だった。
「宮廷にいた頃、毎日そう思っていた。
誰も本当のことを言わない場所で、
本当のことが見えてしまう。それがどれほど苦しいか」
真魚は黙って聞いていた。
「でも散らなかった」と西行は続けた。
「散る代わりに、出家した。
この世を捨てたのではない。
この世の別の場所へ移っただけだ」
真魚はその言葉を、胸の奥にしまった。
消えるのではなく、移る。
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しばらく歩いてから、西行が次の歌を口ずさんだ。
「ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ」
真魚はその歌を聞いて、すぐに言った。
「花を見続けていたから、散るときが余計に悲しい。
慣れたからこそ、別れが辛い。
そういう歌ですか」
「そうだ」と西行は言った。
真魚は少し考えてから言った。
「好きになるから、悲しくなるんですね。
好きにならなければ、悲しくならないのに」
西行はわずかに首を振った。
「好きにならなければ、何も見えない。
悲しみは、深く見た証だ」
真魚はその言葉を聞いて、胸の中で何かが揺れた。
悲しみは、深く見た証。
観察眼があるから傷つく、と真魚はずっと思っていた。
見えなければよかった、と何度も思った。
でも西行は、見えることを証と言った。
「私は、見えすぎて疲れることがあります」と真魚は言った。
「わしもそうだった」と西行は言った。
「それでも見ることをやめなかった。
見えるものを歌にした。それがわしの生き方だった」
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やがて二人は立ち止まった。
目の前に、満開の桜があった。
西行は桜を見上げながら、歌を口ずさんだ。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
真魚は静かに現代語訳した。
「願うなら、桜の花の下で春に死にたい。
お釈迦様が亡くなった如月の満月の頃に。」
西行は黙っていた。
真魚はその歌を胸の中で繰り返しながら、言った。
「これは、死を怖いと思っていない歌ですか」
「怖くないわけではない」と西行は言った。
「ただ、どうせ死ぬなら、美しい場所で死にたかった」
真魚は満開の桜を見上げた。
「本当に、花の下で亡くなったんですか」
西行はわずかに目を細めた。
「如月の十六日だった。満月の一日後だ」
真魚は息を呑んだ。
自分が詠んだ通りに死んだ人が、目の前にいる。
「それは、」と真魚は言いかけて、言葉が続かなかった。
西行は桜を見上げたまま、静かに言った。
「歌は、願いだ。強く願えば、歌は現実になることがある」
風が吹いて、花びらが舞った。
しばらくして、西行は真魚を見た。
「お前の願いは何だ」
真魚は答えられなかった。
まだわからなかった。
でもその問いは、胸の奥に深く刺さった。
花びらが、二人の間を静かに舞い降りた。




