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第七話「歌の旅へ」

第七話「歌の旅へ」


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西行は、猿丸太夫の生まれ変わりだ。


真魚はそう確信していた。

でもそれを口にする必要は、もうなかった。


あの沢のほとりで、二人はすでに通じ合っていた。

言葉ではなく、沈黙で。

それからの西行は、変わった。


---------------


次に真魚が飛んだとき、西行は真魚を待っていた。


吉野の山だった。

春の光が木々の間から差し込んでいて、遠くまで桜が続いていた。

西行は岩の上に座って、真魚が来るのをわかっていたような顔をしていた。


「座れ」と西行は言った。


真魚は西行の隣の岩に腰を下ろした。


西行はしばらく桜を見ていた。

それから静かに言った。

「一つ聞く。お前はこの歌をどう読む」

そう言って、西行は口を開いた。


「吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はずなりにき」


真魚は歌を頭の中で繰り返した。


吉野山の梢の花を見た日から、

心は身体にも寄り添わなくなってしまった。


「吉野の桜を見てしまったから」

と真魚はゆっくり言った。


「それからずっと、心だけが桜のそばにいて、

 身体がついていかない。そういう意味ですか」


西行は何も言わなかった。

でも真魚の方を見た。

続けろ、という目だった。


真魚は桜を見ながら言った。

「好きすぎて、離れられない感じ。

 身体は別の場所にいるのに、心だけここにある感じ、

 わかる気がします。

 私も本を読んでいる時、そういうことがあります。

 本を閉じても、まだその世界の中にいる」


西行はそれを聞いて、少し間を置いてから言った。

「花を見た日から、わしは変わった。

 花が散るたびに、何かが引きちぎれるような気がした。

 それでも毎年、また見に来てしまう。やめられなかった」


真魚は黙って聞いていた。


「お前の言う通りだ」と西行は続けた。

「好きすぎて、離れられぬ。それがわしにとっての桜だった。

 そしてそれがわしを、旅へ駆り立てた」


風が吹いて、花びらが舞った。


真魚はその花びらを目で追いながら思った。

この人は桜に恋をしていたのかもしれない、と。



---------------


しばらくして、西行が次の歌を口ずさんだ。


「吉野山 去年のしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねむ」


真魚はその歌を聞いて、すぐに言った。

「去年たどった道ではなくて、

 まだ見たことのない方へ行って、

 花を探そうという歌ですか」


「そうだ」と西行は言った。

「同じ道を歩いても、去年と同じ花は咲かぬ。

 ならば、まだ見ぬ方へ行く」


真魚は少し考えてから言った。

「それって、前に進むということですよね。

 同じところに留まらないで」


西行はわずかに目を細めた。

「お前はよく気づく」


それは褒め言葉なのか確認なのか、

真魚にはわからなかった。

でも悪い気はしなかった。


「でも」と真魚は続けた。

「まだ見ぬ方へ行くのは、怖くないんですか。

 知らない道を一人で行くのは」


西行はしばらく黙っていた。

「怖い」とやがて言った。

「いつも怖い。それでも行く。

 行かなければ、見られぬものがある」


真魚はその言葉を、胸の奥にしまった。


怖くても、行く。


「どこまでも歩き続ける」

空海の言葉が、真魚の中でふと重なった。



---------------


西行と真魚の感じ方は、少し違った。


西行にとって桜は、魂を揺さぶるものだった。

身を焦がすような、激しい感情と結びついていた。


真魚にとって桜は、きれいだと思う。

でもそこまで激しくはない。


その違いを真魚は不思議に思った。

同じ歌を読んで、同じ情景の中に立っているのに、

感じるものが違う。


「私には、あなたほど強くは感じられません」

と真魚は言った。

「桜を見て、身体から心が離れるほどの気持ちは、

 まだわかりません」


西行は真魚を見た。

「今はそれでいい」

と西行は言った。

「感じ方は人それぞれだ。わしと同じに感じる必要はない。

 お前にはお前の感じ方がある。それを大切にしろ」


真魚は少し驚いた。

この人は、自分と違うことを怒らない。

むしろ、違うことを肯定してくれる。


学校では、違うことは目立つことだった。

目立つことは、危険なことだった。

でもここでは違う。


真魚はそのことが、静かに嬉しかった。

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