第三話「どこまでも」
第三話「どこまでも」
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川島真魚という名前を、真魚は好きではなかった。
学校で出席を取られるたびに、少し恥ずかしかった。
魚という漢字が入っている名前は、クラスに一人もいなかった。
みんな、花のかわいい名前や、翔・奏などかっこいい名前だった。
どうして自分だけこんな名前なんだろうと、
小学校に上がった頃から思っていた。
ある日、真魚は母親に聞いた。
「ねえ、なんで私の名前、真魚なの」
母親は少し考えてから、こう答えた。
「空海っていうお坊さんがいてね。
その人の子供の頃の名前が、真魚っていうんだよ」
「空海って何した人?」
「すごい人だよ。本でも読んでみたら?」
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図書館で、真魚は空海の伝記を探した。
絵がたくさん描いてある、子供向けの本だった。
最初のページを開いた瞬間から、真魚は引き込まれた。
幼い頃から賢くて、唐という遠い国まで渡って仏教を学んで、
日本に帰ってきてから文字を広めて、お寺を建てて、
病気の人を助けて、
一人の人間が、こんなにたくさんのことをしたのかと、
真魚は息を呑んだ。
そして本の終わりの方に、その言葉があった。
「空海はこんな言葉を残しました。
『この広い空が尽きて、世界中の人がいなくなって、
それでも人々が幸せになれるなら、私はどこまでも歩き続ける』
空海はそう思いながら、日本中を旅したのです」
真魚は、その一文を何度も読み返した。
どこまでも歩き続ける。
自分の足で、自分の道を。
この人も、真魚という名前だったんだ。
なんだか、それだけで少し嬉しかった。
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それから真魚は、伝記を読み漁るようになった。
空海の次は織田信長で、
次は伊達政宗で、次は卑弥呼で、
次はナイチンゲールだった。
図書館の伝記コーナーの本を、端から端まで読んだ。
歴史の人たちは、みんなそれぞれの道を歩いていた。
誰かに言われたからじゃなくて、
自分が信じるものを信じて、
どこまでも歩いていた。
真魚はその人たちのことが好きだった。
現実のクラスメイトより、本の中の人たちの方が、ずっと話が合う気がした。
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中学校に上がっても、それは変わらなかった。
いや、むしろひどくなった。
小学校の頃は、まだよかった。
みんな子供だったから、残酷さに無自覚だった。
でも中学校のクラスメイトたちは、もう少し賢くなっていた。
賢くなった分だけ、悪意が洗練されていた。
カーストというものがあった。
誰が上で誰が下か、最初の一週間で決まった。
真魚にはそれが最初からわかった。
見えてしまったから。
でも見えているからといって、どうにかできるわけじゃなかった。
ただ見えたまま、その中に置かれていた。
こざかしい子というのがいた。
面と向かっては何も言わない。
でも真魚が給食のトレーを持って歩いていると、さりげなく足を出す。
椅子を引く。ノートに落書きをする。
どれも「わざとじゃない」という顔ができることばかりだった。
先生には言えなかった。
証拠がないから、じゃない。
言葉にした瞬間に、自分が惨めになる気がしたから。
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真魚は図書室に逃げ込んだ。
本の中の人たちは、裏切らなかった。
空海も、信長も、ナイチンゲールも、ページを開けばそこにいた。
真魚が何も言わなくても、真魚のことを笑わなかった。
でも本を閉じれば、また教室に戻らなければならなかった。
どこまでも歩き続ける、か。
空海の言葉を、真魚はときどき思い出した。
でもどこへ歩けばいいのか、まだわからなかった。
自分の道がどこにあるのか、真魚にはまだ見えていなかった。




