表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/12

第三話「どこまでも」

第三話「どこまでも」


-------------------


川島真魚という名前を、真魚は好きではなかった。


学校で出席を取られるたびに、少し恥ずかしかった。

魚という漢字が入っている名前は、クラスに一人もいなかった。

みんな、花のかわいい名前や、翔・奏などかっこいい名前だった。

どうして自分だけこんな名前なんだろうと、

小学校に上がった頃から思っていた。


ある日、真魚は母親に聞いた。

「ねえ、なんで私の名前、真魚なの」


母親は少し考えてから、こう答えた。

「空海っていうお坊さんがいてね。

 その人の子供の頃の名前が、真魚っていうんだよ」


「空海って何した人?」


「すごい人だよ。本でも読んでみたら?」


-------------------

図書館で、真魚は空海の伝記を探した。

絵がたくさん描いてある、子供向けの本だった。


最初のページを開いた瞬間から、真魚は引き込まれた。

幼い頃から賢くて、唐という遠い国まで渡って仏教を学んで、

日本に帰ってきてから文字を広めて、お寺を建てて、

病気の人を助けて、

一人の人間が、こんなにたくさんのことをしたのかと、

真魚は息を呑んだ。


そして本の終わりの方に、その言葉があった。

「空海はこんな言葉を残しました。

 『この広い空が尽きて、世界中の人がいなくなって、

  それでも人々が幸せになれるなら、私はどこまでも歩き続ける』

 空海はそう思いながら、日本中を旅したのです」

真魚は、その一文を何度も読み返した。

どこまでも歩き続ける。


自分の足で、自分の道を。

この人も、真魚という名前だったんだ。

なんだか、それだけで少し嬉しかった。


-------------------


それから真魚は、伝記を読み漁るようになった。

空海の次は織田信長で、

次は伊達政宗で、次は卑弥呼で、

次はナイチンゲールだった。

図書館の伝記コーナーの本を、端から端まで読んだ。

歴史の人たちは、みんなそれぞれの道を歩いていた。

誰かに言われたからじゃなくて、

自分が信じるものを信じて、

どこまでも歩いていた。


真魚はその人たちのことが好きだった。

現実のクラスメイトより、本の中の人たちの方が、ずっと話が合う気がした。


-------------------


中学校に上がっても、それは変わらなかった。

いや、むしろひどくなった。

小学校の頃は、まだよかった。

みんな子供だったから、残酷さに無自覚だった。

でも中学校のクラスメイトたちは、もう少し賢くなっていた。

賢くなった分だけ、悪意が洗練されていた。

カーストというものがあった。

誰が上で誰が下か、最初の一週間で決まった。

真魚にはそれが最初からわかった。

見えてしまったから。

でも見えているからといって、どうにかできるわけじゃなかった。

ただ見えたまま、その中に置かれていた。


こざかしい子というのがいた。

面と向かっては何も言わない。

でも真魚が給食のトレーを持って歩いていると、さりげなく足を出す。

椅子を引く。ノートに落書きをする。

どれも「わざとじゃない」という顔ができることばかりだった。


先生には言えなかった。


証拠がないから、じゃない。

言葉にした瞬間に、自分が惨めになる気がしたから。


-------------------

真魚は図書室に逃げ込んだ。


本の中の人たちは、裏切らなかった。

空海も、信長も、ナイチンゲールも、ページを開けばそこにいた。

真魚が何も言わなくても、真魚のことを笑わなかった。


でも本を閉じれば、また教室に戻らなければならなかった。

どこまでも歩き続ける、か。


空海の言葉を、真魚はときどき思い出した。

でもどこへ歩けばいいのか、まだわからなかった。

自分の道がどこにあるのか、真魚にはまだ見えていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ