表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/12

第十話「旅の果てに」

第十話「旅の果てに」


-------------


「お前は、少しずつわかってきたな」


西行のその言葉が、真魚の胸の中に残っていた。


わかってきた。

でも、まだ全部はわからない。



-------------


次に飛んだとき、西行は街道を歩いていた。

真魚が現れると、西行は歩みを止めずに言った。


「ついてこい」


真魚は西行の後をついていった。


二人で並んで、道を歩いた。

どこへ向かうのかわからなかった。

でも真魚は、それでよかった。


やがて西行が口を開いた。

「この歌をどう読む」


「道のべに 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちとまりつれ」


真魚は歌を頭の中で繰り返した。


道のほとりに清水が流れている、そのそばの柳の木陰よ、

ほんのちょっとと思って立ち止まったのだが。


「少しだけ休もうと思ったのに、気づいたらずっといてしまった。

 それほど心地よかった。という歌ですか」と真魚は言った。


「そうだ」と西行は言った。


真魚は歩きながら言った。

「私にとっての図書室みたいな場所ですね。

 少しだけ逃げ込むつもりが、

 いつの間にか一番落ち着く場所になっていた」


西行はその言葉を聞いて、わずかにうなずいた。

「旅の途中に、そういう場所がある。

 長居するつもりはない。

 でも足が止まる。

 心が止まる。

 そういう場所が、歌を生む」


真魚は柳の木陰を想像した。

清水の音。

木陰の涼しさ。

旅人が一人、そこに立ち止まっている。


「立ち止まることは、悪いことじゃないんですね」と真魚は言った。


「立ち止まらなければ、見えないものがある」と西行は言った。

「急いでいては、清水の音も聞こえない」


真魚はその言葉を胸にしまった。


立ち止まることで、見えるものがある。



-------------


しばらく歩いてから、西行が次の歌を口ずさんだ。


「何事の おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」


真魚はゆっくりと言った。

「何がいらっしゃるのかはわからないけれど、

 ありがたくて涙がこぼれる。

 伊勢神宮で詠んだ歌ですか」


「そうだ」と西行は言った。


真魚は少し考えてから言った。

「わからないのに、ありがたいって思えるんですね。

 何かを証明できなくても」


「そうだ」と西行は言った。

「理屈ではない。ただそこにある大きなものに、

 心が動いた。それだけだ」


真魚はその言葉を聞いて、思った。


歌って、そういうものかもしれない。


うまく説明できなくても、心が動いた瞬間がある。

その瞬間を、言葉にする。

理屈じゃなくて、感じたことを。


「私も、うまく説明できないけど心が動くことがあります」

と真魚は言った。


「土地の名前の由来を調べているとき。

 苗字の意味を知ったとき。

 昔の人がそこにいたんだと思うと、なぜか胸が痛くなる」


西行は真魚を見た。

「それが、お前の心の動く場所だ」と西行は言った。


「大切にしろ」



-------------


やがて二人は高い場所に出た。


遠くに富士山が見えた。

山頂から煙がたなびいていた。


西行は富士を見ながら、

歌を口ずさんだ。


「風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな」


真魚はその歌を聞いて、静かに言った。

「風になびく富士の煙が空に消えていくように、

 私の思いもどこへ行くのかわからない。」


西行は黙っていた。


真魚は富士の煙を見ながら言った。

「思いって、どこへ行くんでしょう」


西行はしばらく黙っていた。それからゆっくりと言った。

「わからない。でも消えはしない」


真魚は煙を目で追った。


空に溶けていくように見えても、

消えてはいない。

形を変えて、どこかへ行く。


「西行さんの歌も、消えていないですよね」

と真魚は言った。


「千年経っても、私のところに届いている」


西行は富士を見たまま、何も言わなかった。


でもその横顔が、かすかに緩んだ気がした。


風が吹いて、煙がたなびいた。

真魚はその煙を見ながら思った。


自分の思いも、いつか誰かに届くだろうか。

自分の歌が、いつか誰かのところへ飛んでいくだろうか。


「お前の思いも」と西行がぽつりと言った。

「きっと届く」


まるで真魚の心を読んだように。


風が、二人の間を静かに吹き抜けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ