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部屋の中に足を踏み入れると、すっきりとした爽やかな香りが鼻を刺激した。若草ほど青々しくなく、でもどこかツンとした癖のある香りだった。
「さぁ、中へ」
思わず入口で立ち止まったスイを促すように、部屋の奥にいる人物から声がかかる。スイは遠慮がちに双子の後に続いた。
「見たことのない子だけれども、説明してくれるのよね?」
広い机の上で手を組み、にこやかに双子の顔を見て、最後にスイと目を合わせる。山吹色の瞳がスイの空色を静かに捉えた。
緩やかなうねりがある柔らかそうな長い髪の毛と、ひどく端正な顔立ちはいかにもフィーリスらしい。ここへ来るまでの間に見かけた他のフィーリス達も皆髪の毛が長く顔立ちが整っていた。
フィーリスとはそういった生き物なのだなと感心すらしてしまう。その姿形がすでに神秘的で人間とは一線を画す存在感を放っているのだ。さすが聖者と崇められるだけのことはある。
両側にいる双子とあまり変わらない歳に見えるが、この人が長官というやつなのだろう。ルトアの話し方に似た穏やかさがあるけど、聞いているだけでこちらの背筋が伸びるような妙な迫力があるのだ。
逆らっちゃいけない人、というよりは逆らう気さえ起きないような、そんな感じがある。
初対面だというのに一目見ただけで上下関係が構築されてしまったかのような気分だった。
「もちろんです。そのためにここへ連れて来ました。彼は私達の常識では計り知れない状態なのです。自己申告では人間ということですが、その身に宿す力は我々に酷似しています」
ルトアがそう口火を切ると俺を拾った経緯から話し始めた。
そういえばそういう出会いだったなと、ついこの間の出来事なのに随分と昔のことのように思えてしまう。ここ何日間かでかなり濃度の高い日々を過ごしてきたのだ。そう思うのも仕方のないことなのかもしれない。
毎日何かしらの新しい発見や驚きがあった。そして今も、初めての土地で自分のこれからについて見定められようとしている。
緊張で鼓動が強くなっていく中、チラリと隣を見ると大きなあくびをしながら両腕を上に伸ばすカルラが目に入った。
え……長官がいる目の前で? 長官って偉い人のこと、だよな?
カルラのその気怠げな態度はいつも通りと言えばいつも通りなのである意味安心するが、今この場においてはそれでいいのかと問いたくなる。
「そう、つまりこの子がラオザームだと?」
「プネウマはそう言っておりましたが、ラオザームについて何かご存知であればご教授いただきたく……」
ラオザームという単語が出てきたことでドキリと一際大きく心臓が跳ねた。急ぎ目線を戻すと、山吹色の瞳がスッと細められる。
「そうね……知っているわ。確かにラオザームは破滅をもたらすと言われている存在、いえ……言われていたというべきかしら。何故ならそれは伝承、伝説と呼ばれる類いのものだから。今では覚えている者のほうが少ないし言い伝えすら風化しつつある。かく言うわたくしも少し聞いたことがあるという程度ね。残念だけど」
伝承? 伝説?
俺はそんなあやふやな存在なのか?
それともあのプネウマが嘘を言っていた?
頭の中で疑問が次々と生まれる。
ここに来れば答えが見つかると思っていた。だが今、再びふりだしに戻ってしまったかのような感覚を味わっている。
「だからわたくしもラオザームについては詳しくはないのよ。……でもそうね、書庫に何か資料が残っているかもしれないから明日にでも探しておくわ」
書庫か……。確かに伝承などと言われていた存在ならば何かしら残っている可能性は高い。
残っていて欲しいという願望にも似た気持ちが湧き上がる。だがそれと同時に、明かされる真実が自分の想像を遥かに超えた恐ろしいものだったら、という気持ちが頭を掠めた。
どっちが俺の本音なのだろう? 分からない……。
「ところで、坊やの名前を教えてくれる? わたくしはマルセル。この子達の上司みたいな者よ」
「えっ、あ、スイです。よろしくお願いします」
急に話題を変えられて、ごちゃごちゃしていた思考が停止する。マルセルさんはニコッと微笑むと、席を立ち近づいて来た。
人間離れした美しい造形の顔。長く柔らかそうな髪の毛。少し低めの声は、落ち着いているだけでなく威厳を感じさせる。
この部屋に入った時に嗅いだ香りがより一層強くなり、マルセルさんから香っていたのだと分かった。
山吹色の瞳は近くで見ると中心に向かって色が濃くなっていてとても綺麗だ。
……ちょっと近すぎやしないか?
そう思った時にはすでに遅く、スイはマルセルに思い切り抱きしめられていた。
「あぁ〜ん、なんて可愛らしいの! わたくしの好みだわこの子!」
「う……たすけ……」
ギシギシと骨が軋む音が聞こえそうなくらい熱烈な抱擁を受け、握り潰された蛙のような声しか出ない。
「マルセル様! スイが粉々になってしまいます!」
「馬鹿マルセル! スイを離せ!」
双子が慌ててマルセルを引き剥がすと、スイは膝をつき数回むせた。
し、死ぬかと思った……。
「あぁ、ごめんなさい! つい力が入ってしまって。大丈夫かしら?」
申し訳なさそうに眉を下げるマルセルからスイを守ように、ルトアとカルラが間に入る。ルトアはスイの背中を優しくさすり、カルラはマルセルに怒号を飛ばした。
「ついじゃねーよ! 危うく殺すところだっつーの! てめぇは昔からそうやって気に入ったもの次から次へと壊すのどうにかしろ!」
「しょうがないじゃない! 愛しさが溢れると自制心が決壊するのよ!」
「するのよ、じゃねぇよ! 自制しろ! そして反省しろ!」
二人が言い合う側でルトアの手を借りながらなんとか立ち上がる。
後もう少し救助が遅かったらどうなっていたことか……。
細身のマルセルさんの体のどこにこんな剛力が蓄えられていたのか、不思議極まりない。ペンより重い物を持ったことがないと言われたほうがしっくりくる容姿なのだ。
そして絞め殺されそうになったことで、見た目によらず力持ちな事実の他にも分かったことがある。
話し方や雰囲気からマルセルさんは女性かと思っていたのだが、熱い抱擁の先にあったのは、力強くガッチリとした胸板だったのだ。




