第2章 強欲(Greed)その2
3.
ダントンは工房に戻ると、まず小瓶の蓋を開けた。
細い木の棒を中に入れると、黄色い粉がほんの少し付いてくる。耳かき一杯分というのは確かにほんの少しで、これで何の効果があるのかと半信半疑だった。しかし舌先に乗せると、苦みと甘みが混ざり合った独特の味が広がり、すぐに喉の奥でじわりと熱くなった。
最初は何も変わらなかった。
5分が過ぎ、10分が過ぎ、ダントンがしびれを切らして金槌を手に取ったとき、突然、何かが変わった。
まず全身から力がみなぎってくる。齢45、強がっているが体力が落ちてきている。それがどうだ、若い頃に戻ったように、いやそれ以上に力が出る。
それだけではない、視界が鮮明になった。金槌を振るうとその軌跡が自分の目に、コマ送りのように見えた。体の隅々まで血が流れているのが感じられ、指先から足先まで、一本一本の筋肉が完璧に制御されているような感覚。
「……おお」
ダントンは金槌を振るい続けた。
速い。信じられないほど速かった。普段なら一時間かかる作業が、二十分で終わった。それも、精度を落とさずに。いや、むしろ精度が上がっていた。手の震えがなく力の加減が完璧で、金属が思い通りに形を変えていく。
疲れない。
これが最も驚くべきことだった。腕が重くならない。息が上がらない。汗はかくがそれは労働の汗であり、消耗の汗ではない。
「これが……時の顆粒とやらの力か」
ダントンは口端を吊り上げた。
翌日、職人たちが出勤し、仕事を行う。しかしダントンの目には、彼らの仕事ぶりがひどくのろく見えた。まるで水の中を歩いているかのように、ゆっくりと、無駄な動きだらけで作業している。どれだけ見ていても、もどかしい。
「お前ら、もういい」
ダントンは職人たちを振り向いた。
「全員解雇だ。今日で工房を去れ」
「え?」
「俺一人の方が、お前たち全員合わせた量の仕事ができる。今、お前たちに払う賃金が無駄だと気づいた。出ていけ」
「そんな……急に……」
「出ていけと言った」ダントンは再び金槌を振るった。
「今すぐ荷物をまとめて出ていけ!!」
職人たちは顔を見合わせ、泣く者もいたが、ダントンは見向きもしなかった。
翌日からダントンは一人で工房を回した。
ダントンは働き続けた。朝から夜まで、いや、夜中もほとんど休まずに、ひたすら金属を打ち続けた。これまで五人の職人で一日に仕上げる量を、一人で上回った。三日もすると、在庫が積み上がり始めた。取引先への納品も滞りなくこなし、さらに新しい取引先を開拓し始めた。
金貨が増えていった。
一ヶ月が過ぎた頃、工房の奥の金庫室には、以前の倍の金貨が積まれていた。ダントンはその金貨の山を前に、高らかに笑った。
「こりゃそのうち全ての金貨が俺のところに厚真るんじゃねえのか」
声が工房の石壁に反響し、虚ろに戻ってきた。
ずっと路地裏の工房から真夜中でも金槌を打つ音がする。それは絶える事がなかった。
ある日工房の戸を激しく叩く音に気付いた。
無視していたが、あまりにも続くので、ダントンは重い腰を上げた。
「なんだ今俺は忙しいんだ。納品なら勝手に入って品物置いて帰れ」
そう言いながら扉を開けると、そこには一人の男が立っていた。見覚えはある、確か向かいの住人だったはずだ。
「なんだじゃない。このところずっと一日中金槌の音出しやがって、こちとらろくに眠れねえんだよ!!」
それはダンカンが一日中工房で金槌を叩いている音への騒音抗議であった。
「それがどうした。さっきも言ったが、俺はお前と違って休む暇がないくらい忙しいんだ。うるさいというなら、てめえ引っ越せばよいだけだろうが」
「それが人様に迷惑かけている言い草か!!」
ダンカンと男は殴り合いとなったが、一日中金槌を振っているダンカンに負ける要素がなかった。男は叩きのめされて、道端に放り出された。
それ以降は誰もダンカンの工房に抗議を行く者がいなくなった。
4.
同時期に最初の兆候が現れた。
喉が乾く。
それは最初、「よく動く体には水分補給が多く必要なのだ」と考えられた。実際、ダントンは以前の何倍も働いているのだから、汗も多くかく。水を一日に桶二杯分飲んでも不自然ではないと思った。
しかし、三週間が過ぎたころから水を飲んでも飲んでも渇きが癒えなくなった。
朝起きると、すでに喉がひりひりしている。水を一杯飲んでも、五分もしないうちにまた渇く。作業中は絶えず汗が流れ、拭いても拭いても顔から首から滴り落ちる。
それだけではない、体温が高かった。
それに気がついたのは、秋も深まり裏通りでも外套が必要になった頃だ。近所の鍛冶屋の主が「今年は冷え込みが早い」と嘆いているのに、ダントンは外套どころか上着さえ要らなかった。薄手の作業着一枚でいても、皮膚から熱が発散されているような感覚があった。
「暑い……」
真夜中、窓を開け放って作業をしながら、ダントンは呟いた。
冬の夜気が窓から流れ込んでくるというのに、かえってそれが心地よかった。
しかし、それらはダントンに取ってさほど困ったことではなかった。
一番、困った事は薬の効果が薄れてきたことだった。
このところ耳かき一杯分の顆粒を飲んでも、最初の頃のような爆発的な高揚感が来なくなった。動けることは動けるが、最初の「世界が止まったように見えた」感覚が戻らない。
ダントンは少し増やした。
耳かき一杯半。
翌日、感覚は戻った。それどころか、最初よりも強くなった気がした。体が軽く、思考が速く、金槌を振る腕が機械のように正確に動いた。
「一杯では足りなくなっただけだ」
とダントンは自分に言い聞かせた。
「体が薬に慣れてきたんだろう。量を増やせばいい。それだけのことだ」
女店主の言葉が、頭の隅をちらりと通り過ぎた。
’’量を超えれば、燃焼は制御不能になります。’’
しかし、その声をダントンは金槌の音で消した。
四週間が過ぎた頃、ダントンは耳かき二杯分を飲んでいた。
二ヶ月後には、三杯分になっていた。
体からの警告は続いていた。
眠ることはできる。しかし眠っていても、体が燃えているような感覚が続く。明け方に目を覚ますと、シーツが汗でびっしょりと濡れていた。鏡を見ると、目の下に深い隈ができ、頬がこけていた。体重が落ちていた。作業着がぶかぶかになり、革のベルトを最後の穴まで締めても緩かった。
「代謝が上がっているせいだ。余計な脂肪が燃えているだけだ」
ダントンは自分に言い聞かせた。
金貨はさらに増えていた。
工房の奥の金庫室には、今や腰まで金貨が積み上がっている。その光景を見るたびに、ダントンは全てのことを忘れられた。目の前の金貨を見れば、体の異変も、渇きも、暑さも、全部些細なことに思えた。
大事なのは金貨だ。金貨は裏切らない。人は期待を裏切るが、金貨は永遠に輝き続ける。
そう信じて、ダントンは今日も時の顆粒を口に運んだ。
ご来店(ご一読)いただきありがとうございます。
もし当薬局のカルテに興味をお持ちいただけましたら、ページ下部の星マークより評価をお願いいたします。
皆様の評価やブックマークが、次の薬を調合する原動力となります。




