第2章 強欲(Greed)その1
しばらくは毎日投稿する予定です。
0.
黄昏時、映画を誇る帝都の大通りから外れた裏通り。
そこは出所の怪しい商品をこっそり売る店、胸元を開け派手な衣装で流し目を送る女、訳ありの人たちが住んでいる。
その一角に、大きなガラス窓のある石造りの店があった。窓から見える店内は妙に明るくて、棚には見たこともない異国の文字で書かれた箱や小瓶がきれいに並んでいる。
ここの店主の女は二十代半ば。黒髪は夜の水のように重く艷やかで、瞳は琥珀を溶かしたような色をしている。胸元の開いた紺色のドレスを着こなしている。顔立ちは身を見張るほど整っており、絶世の美女といって差し支えはない。
セックはこちらに気づくと水晶球から視線を外し、こちらを向いてにこやかな顔となる。
「あらこんにちわ、いえもうこんばんわかしら。黄昏薬局にようこそ。私はここの店主セック。ここに訪れるのは皆さまはみな悩みを抱えた方ばかり、私はその方に合った処方をしております。
さて、今回のお客さまは金に取り憑かれたとも言えるお方。お金が好きで好きで、もう金に埋もれたいくらい。さて、このようなお客さまにはどのような処方をいたしましょうかねぇ」
1.
ダントンという男がいた。
帝都の裏路地に工房を構える、金属細工師だ。もっとも「細工師」と呼ぶのもいささか憚られる。本職は金属工芸品の量産業者であり、要するに安い職人を雇って粗製乱造し、商人に大量に売りつけるという商売をしていた。
四十二歳。中背で、幅広い肩に分厚い胸板。かつては職人として体を動かしていたためか、今でも筋肉質な体格を保っている。しかし顔は、その体格とは不釣り合いなほど疲弊し、ぎらつく目だけが異様な輝きを放っていた。頭髪は薄くなり始め、無精髭が顔の下半分を覆い、皮膚は煤と油で黒ずんでいる。手のひらには長年の労働でできたたこが幾重にも重なり、指の節は関節炎で腫れていた。
ダントンは金が好きだった。金の中でも金貨が一番好きだった。
いや、愛していた、崇拝していると言ってよい。金貨こそが彼の神であり、信仰であり、生きる目的の全てだった。金貨の音が好きだった。掌の上でのずっしりした重さが好きだった。夜、工房の奥の金庫室で、燭台の光にかざして輝く金貨を眺めていると、伝説の理想郷にたどり着いた気になってくる。
その金貨のために、彼は何でもした。
職人には最低限の賃金しか払わなかった。工房の環境整備には一文も使わなかった。材料は常に最安値のものを仕入れ、客には「帝国最高品質」と嘘をついた。仕事が遅い職人は即座に解雇し、怪我をした職人には見舞金も払わなかった。彼らが泣こうが喚こうが、ダントンには関係なかった。働けない者は不要だ。金を稼いでくれない者は、ただの穀潰しだ。
しかし、どれだけ職人を絞っても、どれだけ自分が働いても、一日は二十四時間しかない。
これが、ダントンにとって不満だった。
もし一日が四十八時間あれば、今の倍稼げる。もし自分の体が疲労を感じなければ、今の3
倍は動ける(お前は赤いヤツか)。睡眠さえ不要なら、一年三百六十五日、一秒も休まずに金貨を稼ぎ続けられる。なぜ体というヤツは、こんなにも性能が低いのか。なぜ眠らなければならないのか。なぜ疲れるのか。
「俺はもっと稼ぎたいんだ」
深夜、工房の鍛冶場でそう呟くのが、ダントンの習慣だった。その言葉が聞こえてくる度、周囲の職人は自分への非難かとビクついていた。
そのような男にとって、あの夜は必然、いや運命だったのかもしれない。
事の発端は、一人の職人の失踪だった。
マルコという名の二十歳そこそこの若い職人だ。器用で手が早く、素直に言うことを聞くので、ダントンは他の職人よりも多い仕事を割り当てていた。
しかし、無理が祟ったのだろうか、彼は三日前から体調不良を訴えていたのだが、ダントンは「俺の若い頃は体調不良でも働いたもんだ」と一蹴し、仕事を続けさせた。
ところがその夜、マルコは工房から消えた。
道具を残したまま、作りかけの品を残したまま、突然いなくなってしまった。翌日には大口の取引先への納品が控えているというのに。今はマルコ一人でも欠けると納品に間に合わない可能性が出てくる。
「あの野郎!!逃げやがって」
ダントンは外套を引っかけると、工房を飛び出した。マルコを見つけて引きずり戻すつもりだった。
しかし帝都は広い。表通りを外れ、路地に入り、また路地に入り、マルコの行方を追ううちに、ダントンはいつの間にか見慣れない区域に迷い込んでいた。
深い闇の中に浮かぶ通り。ただ、建物の中から弱々しいランタンの光が漏れている事が、かろうじて人の営みがあることが分かった。
自分でも気づかないうちに裏通りに来てしまったようだ。
「くそ、とんでもない所に来ちまった」
舌打ちしながら立ち止まったとき、妙に明るい場所が目に映った。
古い石造りの建物の店から明るい光が漏れている。
建物は石造りではあるが、1階の店は大きなガラスが嵌められて降り、店内の光が周囲を照らしていた。
ガラス越しに店の中の様子が見える。店の棚には所狭しと箱や小瓶が並べられている。しかし、そのどの箱や小瓶に書かれている文字をダントンは読むことが出来なかった。
「……あの店の奴なら、ガラス越しからマルコを見かけたかもしれねえ」
ダントンは深く考えずにその店に入っていった。
あれがダントンの運の尽きだったのかもしれない。しかし彼にはそんなことなど分からないし、また余裕もなかっただろう。
彼の頭の中にあるのは、逃げたマルコと、明日の納品と、金の計算だけだった。
2.
店の扉を押し開け、ダントンは店内の様子を眺める。
外はもう夜の帳が下りつつあるというのに、店内は真昼ように明るい。隅々まで清掃が行き届いており、棚には所狭しと異国の文字が書かれた紙製の小箱とガラス製の瓶が整然と並んでいた。
「ようこそ黄昏薬局へ、お客さま」
声が来た方を向くと、カウンターの奥に女がいた。
ダントンは思わず言葉を失った。
こんな場所に、こんな夜中に、女がいるとは思っていなかった。
女の年のころは二十代半ば、黒髪は夜の水のように重く艶やかで、瞳は琥珀を溶かしたような色をしている。胸元の開いた濃色のドレスを着こなしている。
ひと言で言えばいい女だった。
「ここは、薬局、なのか」
「そうでございますともお客さま。わたしはここの店主セック。さて本日はどのようなお薬をお求めでしょうか。」
ダントンは店の造りとセックの美貌に、本来の目的を忘れそうになった。しかし、彼が信奉する金貨が彼の意識をもとに戻した。
「いや、俺は客じゃねえ。今日、この通りで見かけない若い奴を見かけなかったか。年齢は二十歳くらいで、ウェーブの罹った茶髪をしている」
セックは少し考えたふりをする。
「そのような方は本日お見かけしておりませんね」
「ちくしょう、あいつどこ行ったんだ!!」
ダントンの怒りにも動じず、セックはダントンの様子を眺める。
「お客さまはどうしてその方をお探しなのです」
ダントンは意表をつかれて、怪訝な顔をした。
「そんなことを薬屋が知ってどうすんだ。」
「その方とお客さまの疲労が関係するように思えましてね」
「あいつ、マルコっていうんだが、今日仕事を放り出して逃げやがった。明日納期があるっていうのによ」
それを聞いたセックは合点がいったという顔をした。
「なるほどなるほど、それで急いでいらっしゃるのも分かりました。
しかし、お客さま。そのマルコさんを連れ戻しても、納期に間に合わせるのは難しいのでは?」
それを聞いたダントンはセックを睨み付ける。
「女風情が知った顔しやがって。明日の納品に間に合わなかったら約束の金が減っちまうだろうが。なんだ、お前が今からマルコの代わりやってくれるのか」
ダントンは店の外に漏れ出しそうな大きな声を出すが、セックはそれに動じた様子もない。
「私は薬局の店主、お客さまのお手伝いを直接することは出来ませんが、良いお薬を処方することは出来ますよ。たとえば、疲れ知らず寝ることもなく働き続けられる薬、とか」
それを聞いたダントンは目を見開く。
「そんな薬があるのか!!」
「ええ、ございますとも」
「そんな薬があれば、山積みの納期をこなせちまう。うちの職人どもは遅い、使えない。自分でやった方が早いが、体に限界がある。眠らなければならない、疲れる、時間を無駄にする。その薬でがあればその無駄が無くなる、今の何倍も金貨を稼げるじゃねえか」
ダントンの強欲ぶりにも眉ひとつ動かさずにセックは振り返り、壁の棚に向かって手を伸ばした。指先が棚の奥深くから、小さな小瓶を取り出す。取り出してきたのは、ガラス製の小瓶。中には黄色い粉末が詰まっている。
ダントンの目が、その瓶に釘付けになった。
「『時の顆粒』と申しましょうか」
女はカウンターに瓶を置いた。
「お飲みになると疲労がなくなり、眠る必要もなくなる。文字通り、他者の何倍もの時間を活かせられる薬」
ダントンの喉が鳴った。
「……いくらだ」
「金貨三枚」
ダントンは眉を跳ね上げた。
「ちょっと高くねえか」
「先行投資とでも考えくださいませ。この薬を使えば今の稼ぎが倍になるのですから」
ダントンは欲深い男だ、より儲かると言われれば、そちらへ簡単に傾く。
「分かった、払おう」
ダントンは懐から袋を取り出し、そこから金貨を二枚セックに渡した。
「確かに金貨二枚頂戴いたしました。それではお薬をお渡しいたします。」
「ただ、使用上ひとつ注意点があります」
女の声が、わずかに低くなった。
「一日に耳かき一杯分だけ。それ以上は絶対に飲まないこと」
「なぜだ」
「この薬は、体内の代謝を強制的に引き上げます。細胞が普通より何倍もの速さで燃焼する。量を守れば体は追いつきます。しかし――」
女はダントンの目をまっすぐに見た。
「量を超えれば、燃焼は制御不能になります。体の内側から、燃え尽きることになる」
「分かった分かった」
ダントンは瓶を掴んだ。
「一日一杯だろう。子供じゃあるまいし」
ダントンはその言葉の意味を深く考えることもなく、店から出る。
「忠告はいたしました」
セックはダントンが店を出るのを見送った。
扉が閉まると、彼女は水晶球に視線を落とした。水晶球に先ほど出ていったダントンの姿が映っている。
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