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第4章 英雄たちの末路 その28『緑の結晶』

1


初夏の夜、研究室の暗闇でコーエンはついにそれを手に入れた。


薄く緑に光る結晶が、硝子瓶の中で揺れている。


「……できた」


震える声が静かに響く。


「できたぞ……賢者の石だ!!」


この黒い石に含まれる賢者の石を、どうやって抽出するか。その方法をついに完成させた。二年かけて苦しみ抜き、この半年は寝る間も惜しまず打ち込んでいた。その努力が今ここで形になったのだ。石を酸で溶かし、沈殿させ、再結晶化する。それを何度も繰り返して、ようやく手にした緑の光る結晶。


これこそ、人が無限の力を取り込める唯一の形。


本物の賢者の石だ。


「ふ、ふふ……はははは!!」


コーエンは瓶を高く掲げて、思わず笑い出す。


けれど半年の間に、コーエン自身もすっかり変わり果てていた。


頬はこけ、肌は生気のない白さ。右手の甲の赤黒い痣は肘まで広がっている。いつの間にか櫛を通すごとに髪が束になって抜けるようになった。研究員たちは「過労だ」と噂し、コーエンもそう思い込もうとした。


いや、正直それも違う。


「力あるものに近づけば、代償を払うのは当然だ」


偉業の価値を思えば、これくらい――ほんとに些細なことだ。


コーエンの視線が机の小さな杯に移る。


このひと月、コーエンは自分で賢者の石を少しずつ飲んでいた。毒見のためでもあり、検証のためでもあり。そして、何より自分こそが最初の「力」を受け入れる資格があると思っていた。


飲めば、身体の奥から熱が満ちてくる。


しっかり力を感じる。


「効いている。この熱が何よりの証拠だ」


疲労も抜け毛も痣も、そんな熱の前には何の問題にもならなかった。古い自分の殻が剥がれていくだけだ。蛇が脱皮するように、蛹が蝶に変わるように。


「……見せてやる」


コーエンは、出資者である貴族たちへ出す招待状を机に並べた。


三日後、研究所の大講堂で賢者の石の成果を披露する。


その場で、集まった貴族たちに賢者の石をふるまうつもりだ。



2


その翌日の夕方。旧市街の小さな公園で。


「三日後です」


ノエルの声が、ベンチの上でかすかに震えた。


「私の目で招待状を確かめました。貴族たちが集められ、その場で所長は賢者の石を全員に飲ませる気です」


「……その賢者の石の正体は?」


「正直、私にも分かりません。ずっと緑色に淡く光る結晶です。そして、カーソンさま。所長自身がひと月も前からその結晶を飲んでいます」


ノエルは息を詰めて続けた。


「このひと月で所長はすっかり老けました。髪は抜け落ち、肌は荒れ、痣は広がっている。――あの結晶が所長を蝕んでいます。その結晶を元に作られた液体を、高位貴族たち――帝国の柱とも言える人々が三日後飲まされるんです。ガルテン公も出席する予定です、エメリヒ閣下の大事な盟友ですよ」


カーソンはノエルを見つめなかった。ただ、長い沈黙が続いた。


「……閣下に伝える」


「もう時間がないんです!!」


「ノエル」


「見ているだけでいいんですか!? 毒だとわかっていて、貴族の当主たちが飲むのを壁の染みみたいに黙って見てろと!?本当にそれでいいんですか!」


「ノエル、声を落とせ」


カーソンの声が低く、重たかった。


「お前の憤りは正しい。だが聞け。動くな。お前が閣下の指示なく勝手に動けば、三年積み上げたものが全部無駄になる。その辛抱がなければ、勇者殺しの手がかりも永久に失われる。高位貴族と三年前の真実、どちらを取るか決めるのはお前じゃない」


「……」


「二日やる。二日のうちに閣下の許可を取り、表の手で披露を潰す。出資金でも、皇帝の呼び出しでも理由はいくらでも作れる。だから、お前は動くな。分かったな、ノエル」


若い密偵はしばらく沈黙し、やがて小さく頷いた。


「……御意」


その日、二人は別々に公園を出た。


そして、それがカーソンがノエルを見た最後になった。



3


その夜、すべてが狂い出す。


コーエンが披露の日を早めると決めたのだ。


強迫観念に取り憑かれたようなコーエンは、このところ誰かの視線を感じていた。廊下で。食堂で。書架の影から。自分の偉業を盗もうとする奴がいるに違いない。誰だろうと先に世に出してしまえば、こっちの勝ちだ。


夜中、研究員の宿舎に通達が届いた。


「賢者の石の披露は明日の昼に前倒しする。準備を急げ」


ノエルは自室でその紙を受け取ると、指の中でぐしゃりと握りつぶした。


明日の昼。


カーソンへの連絡ができるのは早くて明日の夕方。表の手が動くのは、何を急いでも明後日だ。


間に合わない。


ノエルは窓越しに研究所本棟を見た。最奥の研究室には今夜もぼんやり緑の明かりが灯っている。


「見ているだけでいいのかって俺が言ったんだ」


カーソンの言葉は正しい。けど、動けば三年積み上げた計画がすべて水の泡になる。


……でも、カーソンさま


ノエルは外套を羽織った。


「この仕込みは、貴族たちを見殺しにするためのものじゃないはずだ」

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