↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/64

第四章 英雄たちの末路 その27

3


その夜から、コーエンの世界は緑色になった。


研究所の最奥にある所長専用の研究室。コーエンは扉に二重の錠を掛け窓を黒布で覆い、その暗闇の中央に石を置いた。


闇の中で石はいっそう美しく光った。


「……ああ」


ため息が漏れた。


再度書物を漁った。該当するような鉱物は帝国の文献のどこに記載がない。計りに載せた。火に焼べた。水に沈めた。酸に浸した。石は何ひとつ変わらず、ただ暗闇で静かに緑の光を放ち続けた。


無尽蔵。不変。不滅。


「これが……これこそが賢者の石!!」


ならば、なすべきことは決まっている。この石から、あの尽きぬ力を抽出し、人の身に移す術式を組む。それが成った時こそ不老不死が、少なくとも人の命を延べる霊薬を手に入れることが出来る。


そしてこのコーエンの名は永劫帝国史に残る。


「誰にも……渡さんぞ」


コーエンは、石の瓶を抱きかかえるようにして机に向かった。


その夜からコーエンは研究室に寝泊まりを始めた。石を金庫に仕舞うのは他人の目がある昼の間だけ。夜は机に置き、その緑の光を眺めながら書き物をし、眠る時は寝台の枕辺に置いた。


緑の光に照らされて眠ると不思議と深く眠れる気がした。


ひと月が過ぎたころから研究員たちは、所長の変化に気付き始めていた。


所長室から出てこない。出てきても目の下に隈を刻み、苛立たしげに当たり散らす。報告に行った者は「機密だ」の一言で追い返される。すでに古参の研究員が二人辞めた。


そして、もうひとつ。


「……所長、そのお手は」


会議の席で、若い研究員が思わず問うた。


コーエンの右手、いつも石の瓶を抱えている側の手の甲に赤黒い火傷のような痣が広がっていたのだ。


「ああ、これか」


コーエンは、痣を一瞥してこともなげに言った。


「酸によるやけどだ」


嘘だった。


酸を取り扱ってやけどなししない。痣はいつの間にかそこにあった。痛みはあったがコーエンは気にしなかった。むしろ誇らしくすらあった。


"力ある物に触れれば代償はある。当然だ"


雷を研究する者は痺れ、炎を研究する者は焼ける。ならば「無尽蔵の力」を研究する者の身体に、その力の痕が刻まれるのは道理ではないか。


これは火傷ではない、選ばれた者の聖痕だ。


「次の議題に移れ」


コーエンは右手を袖に隠し会議を進めた。


研究員たちは、それ以上何も言わなかった。


ただ一人、末席の若い研究員だけが袖に消えた痣の形を、瞬きもせずに記憶に刻んでいた。



4


数日後の夕刻。帝都の旧市街小さな公園のベンチ。


ベンチには初老の男と若者が隣り合って座っていた。


視線は合わせない、たまたま同じベンチに座っている様子に見えた。


「定例の報告を」


若者が囁いた。研究所の末席にいたあの若い研究員である。名をノエルという。


「ふた月前ですが、所長が外から鉱石を持ち込みました。出所は分かりません。緑色に自ら発光する石です」


「発光、だと」


初老の男、地味な外套を羽織ったカーソンが視線を合わすこともなく問うた。


「燃えてもいないのに光り続けます。所長はあれを『賢者の石』と確信している様子。以来、研究室に籠もりきりです。施錠は二重、研究記録は誰にも見せず、古参が二人辞めました」


「所長自身の様子は」


「……眠っていません。痩せました。気性が荒くなった。それと 」


ノエルは、一拍置いた。


「右手の甲にやけどのような痣が。本人は酸によるやけどと言っていますが、酸によるものではありません。しかも徐々に広がっています」


カーソンの頁をめくる手が初めて止まった。


「……その石が所長を蝕んでいると?」


「分かりません。ですが、所長は夜あの石を持って眠っています。もし石に毒性があるなら……お止めするべきでは」


「……ノエル」


カーソンの声は、静かだった。


「お前の役目は観ることだ。干渉すべきではない」


「ですが」


「閣下の指図があるまで報告のみだ。もし正体を悟られれば三年の内偵の意味が無くなる。よいな」


若い影はしばらく黙り、それから小さく頷いた。


「……御意」


二つの影は別々の刻限に公園から離れた。



5


季節が巡った。


帝都を流行り病が襲い、キョウゴク侯爵が露台から落ち、エリング侯爵夫人が母子とも亡くなった。幼なじみたちに不幸が訪れてもコーエンは、研究室の闇の中から出ることはなかった。


「所長。キョウゴク侯が、亡くなられました」


報せを持ってきた研究員にコーエンは机から顔も上げずに言った。


「……そうか」


「葬儀への参列はいかがなさいますか。共に魔王を討たれたご友人と伺っておりますが」


「代理を立てろ、私は忙しい」


それきりだった。


ひと月後、エリング侯爵夫人の訃報が届いた時も同じだった。


「そうか」


顔も上げなかった。


幼馴染が二人立て続けに死んだのだ。三年前のあの夜の秘密を分かち合った最後の二人が。かつてのコーエンなら震え上がっていただろう。疑い、怯え、調べさせていただろう。


だが、今のコーエンの頭にはそれらの報せなど些事に等しかった。


彼には緑の光が全てだった。


抽出術式はもうすぐ完成する。石の力を溶かし込んだ最初の霊水がもうすぐ生まれる。出資者どもに見せつけてやるのだ。歴史に残る偉業を。このコーエンの名を


研究室の闇の中。


緑の光に照らされた男の顔は頬がこけ、目だけが爛々と輝いていた。


その枕辺で石は今夜も静かに、絶えることなく光り続けている。


何も語らず。


何も警告せず。


ただ、抱いて眠る男の身体を目に見えぬ悪魔が彼を徐々に蝕んでいた。


黄昏薬局にご来店いただきありがとうございます。

もし当薬局のカルテに興味をお持ちいただけました

ページ下部の星マークより評価をお願いいたします。


皆様の評価やブックマークが、次の薬の調合する原動力となります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。