第四章 英雄たちの末路 その27『緑の輝き』
さてコーエンの回です。
1
時は二人の死より少しさかのぼる。
帝都の北、白亜の殿堂、錬金術研究所の所長室でコーエンは頭を抱えていた。
机の上には出資者たる貴族たちからの書状が積まれている。文面は様々だが、言いたいことはひとつだった。
’’ して、成果はいつ頃に ’’
研究所の設立から二年。
いにしえの賢者が成したという賢者の石。その復元を旗印にコーエンはさまざまな貴族家から莫大な出資を集めた。不老不死とまでは言わなくとも、せめて寿命を延ばす薬を、せめて衰えた身体を若返らせる薬を、齢を重ねた出資者たちの期待は、切実で、そして急いでいた。
その研究はこの二年遅々として進まない。
古文書は読み尽くし、伝承の調合はすべて試した。しかし、鉛を金にすることすら、まして不老不死など皆目見当つかない状態であった。
「……時間が足りん」
そろそろ何かしらの成果を見せねばならない。さもなくば出資は止まり、研究所は立ち行かなくなる。このままでは、最年少の魔導士団団長英雄コーエンの名声は「帝国史上最大の詐欺師」と悪名になってしまう。
机の督促の山を睨みながらコーエンは頭を抱えた。
帝国中の知識で分からないのであれば、帝国の外。
ふと、思い出した。
” ……あの店なら、あるいは ”
帝国の医師も知らぬ薬を商う、裏通りの店。
あの店の品が「本物」であることは、誰よりもコーエン自身が知っていた。
2
黄昏時、帝都の裏通り。
「……気味の悪い場所だ」
コーエンは口元を袖で覆いながらぼやいた。
まず、臭い。すえた水の臭気。そして陰気さ。営業しているのかも分からぬ店々。並んでいるのは出所の怪しい品々。
そんな道を、コーエンは足早に歩いていた。
ふと、自分の袖口に鮮血が点々と付いているのに気付く。
「チッ……さっきので付いたか」
裏通りに入ってすぐ、物陰から袖を掴んできた手があった。金か、あるいは命か、何が目当てだったのかは知らない。反射的に放った真空の風はその手を切り裂いた。絶叫を上げていたが、振り返りもせず先に進んだ。
「忌々しい。炎で消し炭にしておいたほうがよかったか」
やがて、その店に辿り着いた。
古びた二階建ての石造り。それに反して美しいガラス窓から見える店内は異様に明るい。
キリツグも言っていたが、この店の看板の文字は見たことがない。この大陸の言語に精通しているはずのコーエンでも知らない言語だった。
扉を押すと、やけに明るい店内にひとりの女が立っていた。
夜の水の黒髪。琥珀の瞳。白い首筋。
「……」
コーエンは束の間、目的を忘れた。
「こんにちは。いえ、こんばんはかしら。黄昏薬局へようこそ、お客さま」
「私はここの店主のセック。本日はどのような物をお求めでしょう」
鈴の声に我に返る。
"しっかりしろ。女の顔を拝みに来たのではない"
コーエンは咳払いをひとつして口を開いた。
「……ここは帝都では手に入らぬような、珍しい物を扱っている聞き及んだのだが」
「珍しい物ですか」
「そうだ。たとえば、バレない毒薬とか」
半ば、脅しのつもりだった。
こちらはお前が何を売ったのかを知っているのだぞ、と。
だが、女は怯えるどころかむしろ興味深そうな顔をした。
「あら。お客さま、そのお話どこでお聞きになりましたの?」
逆にこちらが伏せていることまで聞かれそうだった。
「……噂話だ。忘れろ」
「まあ。続きをお聞きしたかったですわ」
" ……この女はやりづらい "
コーエンは内心で舌打ちした。脅しが通じない。かといって怒ってもいない。コーエンはこういうのを’’暖簾に腕押し’’というのだとキリツグと言っていたのを思い出した。
なので、コーエンは本題から入ることにした。
「おまえは、『賢者の石』というものを知っているか」
「賢者の石ですか」
「そうだ。卑金属を黄金に変え、人に不老不死をもたらす奇跡の石だ。……伝承の品でも、欠片でも、手掛かりでもいい。この店なら何かあるのではないか、と思ってな」
セックは、小首を傾げそれから、ふむと頷いた。
「そうですねえ。それが賢者の石そのものかは分かりかねますが……少し、そこでお待ちくださいませ」
女は店の奥へと消えた。
残されたコーエンは店内を検分した。
棚に並ぶ紙の小箱と硝子の小瓶。錬金術師として帝国の薬物・鉱物・触媒の類を知り尽くしたコーエンをして、ひとつとして正体の分かる品がなかった。
"……どれも見たことすらない。これだけの品をどうやって仕入れたのだ"
それは即ちここにある品の全てが、帝国で流通していないものばかりということだ。
胸の奥で研究者の血が騒いだ。コーエンの手が棚の小箱のひとつに吸い寄せられるように伸びたとき
「お待たせいたしました、お客さま」
手を引っ込めた。
戻ってきたセックの手には透明な瓶。中には銀色の液体が揺れていた。
「……」
コーエンの目が、すうと冷えた。
「それは水銀ではないか」
「あら」
セックは、少し驚いたように目を見開き、それから口元だけで笑った。
「やはりご存じでいらっしゃいましたか」
「私を愚弄する気!!」
その声は店内で響き渡った。
「三流の錬金術師なら水銀の輝きごときで賢者の石だと喜ぶだろうよ!! だが私は帝立魔導士団団長コーエンだぞ!! そんな子供騙しで…、 」
「それでは」
セックはまったく動じぬまま、カウンターの下からもう一つの瓶を取り出し、コーエンの前に置いた。
「こちらは、いかがでしょう」
瓶の中には拳ほどの、黒っぽい鉱石が入っていた。
「何だ、それはただの黒い鉱石ではないか、これ以上わたしを…!」
セックはコーエンの抗議を無視して照明の照度を落とし、店内を一気に暗くした。
すると、コーエンの怒声が消えた。
その鉱石が光っているからだ。
’’ ぼうっ、と。緑色に ’’
鉱石そのものの内側から、淡く絶えることなく緑の光が滲み出ている。
「これは、光っている……!?」
コーエンは瓶に飛びつくように顔を寄せた。
コーエンは瓶に少し手をかざす、熱は感じられない。なのに光っている。
ローソクの火は蝋を燃料にして光るが、この鉱石には燃料に当るものがない。
何も対価にせず、「内側から無尽蔵に力を放ち続けている」
無から生まれる尽きせぬ力。
「これが……これが、賢者の石なのか?」
掠れた声で問うとセックはにこりと微笑んだ。
「さあ、わたしは分かりかねますが、お客さまほどの方なら、その真理に近づけるかも知れませんねぇ」
「か、買う!!」
コーエンは懐の皮袋を、丸ごとカウンターに叩きつけた。がちゃりと重い音が鳴る。研究所の今月の運営費の三分の一が入っていた。
「これで足りるだろう!!」
「ええ、ええ。けっこうでございます。では、この石はお客さまに」
言い終わるか終わらぬかのうちにコーエンは瓶を引ったくるように掴み、外套の内に抱え込んで店を飛び出していった。
扉がばたんと鳴る。
残されたセックはその扉をしばらく眺めて、小さく息を吐いた。
「……せっかちなお客さま」
くすり、と笑いが漏れる。
「あの鉱石の扱い方をご説明する前に帰ってしまわれるなんて」
「まあ、よいでしょう。学者さまですもの。きっと、ご自分でお調べになるのでしょうし、ね」
女の口元は歪んだ三日月の形に開かれていた。
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