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第四章 英雄たちの末路 その26

5


徐々に雪も解け、春も近い頃。


マリエルは産気づいた。


’’ しまった。まさかここで産気づくとは ’’


当初、夫のアランはここで出産するように勧めたが、神殿の万全な体制で出産を望みたい、教皇たる父もそう望んでいる、と伝えればアランはそれ以上言わなかった。


そして来週には神殿に移り、そこで出産する手筈だった。


それがこうも早く産気づくとは。


マリエルはここから逃げ出したかったが、陣痛の痛みにそんな気力など出なかった。


陣痛の始まったマリエルはエリング侯爵邸の産室に運ばれた。


エリング侯爵に雇われた産婆が三人湯と布を抱えて出入りする。


アランは、産室の扉の前を何刻も行ったり来たりしていた。


「旦那さま、どうかお掛けになって」


「掛けていられるか」


執事に苦笑を返しながらもその顔は喜びで上気していた。結婚三年目の待望の子である。男児なら剣を、女児なら竪琴を、気の早い贈り物はもう揃えてあった。


夜半を過ぎて、扉の向こうの声がひときわ高くなった。


マリエルの絞るような声。産婆たちの励まし。


そして──


産声が、上がった。


「生まれた、生まれたぞ!!」


アランは執事と手を取り合った。廊下の使用人たちから、わっと声が上がる。


産声は、続いている。元気な子だ。ああ、元気な


そこで。


扉の向こうの、産婆たちの声が叫び声に変わった。



「……!!、どうした!!」


アランは産室に入り込んだ。


そして産室にいた産婆たちの顔を見る。


産婆全員が恐怖で顔が引きつっている。


寝台にいるマリエルの顔はあらゆる恐怖が凝縮された顔をしている。


産婆、マリエルともに、その視線は元気に泣く赤子に注がれている。


「だ、旦那さま……あの、お子は……お子、は……」


「どけっ」


アランは、その元気に泣く赤子を見た。


長いこと、動かなかった。いや、動けなかった。


赤子の髪が黒かった、栗色でも、金色でもない、黒髪。


さらに、その赤子の手足は異様に短かった。


’’ 悪魔の子だ ’’


少なくとも、この場にいた者たちはそう思った。


「…………」


アランは振り返った。


寝台のマリエルと目が合った。


「あ、あなた。これは、その……、決して私は魔族とまぐわったことはありません」


夫の顔を見た瞬間──マリエルは、すべてを悟った。


誰と密通していたのかを、いやそれ以上にあの赤子は何だ。


悪魔の子、マリエルすら我が子をそう思った。


「あ……ちが、違うの、アラン、ねえ聞いて!!」


アランは、何も言わなかった。


怒鳴りもせず、嘆きもせず、ただ静かに産婆たちを見回して扉を指した。


「皆、下がれ」


「だ、旦那さま、奥さまの後の処置がまだ……」


「下がれと、言った」


その声の温度に産婆たちは凍りつき転がるように産室を出た。最後に執事が何かを言いかけ、主の目を見て何も言わずに扉を閉めた。


廊下に使用人たちが立ち尽くしていた。


扉の向こうで、赤子の泣き声が聞こえていた。


それが、ふいに止んだ。


それきり、産室から泣き声はしなかった。


そして、マリエルも……。



6


翌朝、エリング侯爵家は喪を発した。


エリング侯爵夫人マリエルは出産の無理が祟り母子ともに死去。


帝都は悼んだ。


魔王討伐の英雄、女神の愛し子、教皇の娘。その輝かしい生涯とあまりに痛ましい最期。キョウゴク侯の死からわずかひと月余り。立て続けに英雄を失った帝都は流行り病の暗さも相まって深い沈黙に包まれた。


葬儀でアランは泣いた。


棺に縋り人目も憚らず声を上げて泣いた。その姿に、参列した貴族たちももらい泣きをした。あれほど夫人を愛した方はいない、と。


涙は、本物だった。だが、何に向けての涙かは本人のみぞ知ることだ。


葬儀の後、エリング侯爵家では、産婆三人と、当夜の使用人数名が、手厚い慰労金と共に遠方の所領へ移された。


それでも、囁きは漏れるものである。


’’ エリングの御子はそのお身体が……’’


’’ 悪魔の子だったらしい ’’


’’ 髪の色がなんでも……いえ、これ以上は ’’


囁きは、囁きのまま、貴族たちの扇の陰をひそやかに巡った。表立って口にする者は誰もいなかった。女神の愛し子と言われた聖女が、密通した揚げ句、悪魔の子を孕んでいたなどと。


その後、ウォーレン教の教皇が程なくして引退となり、ヒョウエ侯爵家が徐々に衰退していくのだが、その影にエリング公爵家の暗躍があったのかは、また別のお話。



7


帝都の裏通り、黄昏薬局。


水晶球の中に、二つの墓が映っていた。


新しいキョウゴク侯爵の墓。


さらに新しいエリング侯爵夫人と「死産の御子」の墓。


「お疲れさまでございました、お客さまがた」


セックは、頬杖をついて静かに言った。


「殺すつもりでお求めの薬は病を治して賭けに勝ち。慈しむつもりでお求めの薬は、込めた執着のそのままに」


贈り物は、どちらもちゃんと効いた。


言った通りに。何ひとつ嘘はなく。


「人の子はいつも仰るのです。『バレなければいい』と」


セックは、水晶球の上に、そっと布を広げた。


「ええ、ええ。バレませんでしたとも。どなたにも何ひとつ」


ただ、望んだ者たちが誰もいなくなっただけで。


布が落ちる。


「さて」


セックは棚を振り返った。視線の先、棚の奥にひとつの小瓶が置かれている。中の鉱石が、緑色の淡い光をぼうと放っていた。


「さて、残るはおひとり」


帝都の北、白亜の研究所にはその夜も遅くまで灯りが点いていた。



黄昏薬局ノート:


タミフル:

インフルエンザの治療薬として処方されています。ウイルスの増殖を抑える働きがあるので、治療効果は高いのですが、若年齢の者が服用するとまれに異常行動が出る報告があります。


隣国で猛威を振るった流行り病は、インフルエンザ(スペイン風邪)で、本来タミフルはその特効薬です。しかし、キリツグは運悪く、異常行動が出てしまったわけですね。



サリドマイド:

もともとは睡眠薬・鎮静剤として広く活用されていました。副作用も少ない夢のような薬とされていましたが、妊娠初期の女性が服用すると胎児に影響を及ぼし、手足の欠損などが生じます。


マリエルはこのサリドマイドの効果で安眠出来るようになりましたが、子供に影響は出るわ、アラン父ちゃんはぶち切れるわ、マリエル母子ともにご臨終となりました。


余談:

マリエルの性格はくそですが、アランと子供を愛する気持ちは本物でした。終始クズなのは、キリツグですね。


黄昏薬局にご来店いただきありがとうございます。

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