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第四章 英雄たちの末路 その23 贈り物

1


マリエルの妊娠が知れてからひと月と経たぬ頃。


キョウゴク侯爵キリツグは、近頃よくエリング侯爵アランと会うようになっていた。


きっかけは領地経営である。二人はともに新設された侯爵家の当主だった。与えられた領地はどちらも魔族から奪還した土地。農業に向かぬ荒れた土地、兵だった者や各地で仕事に溢れた者を開拓民として住まわせ、彼らを統治する代官の選定など、新米の当主の悩みは、面白いほど共通していた。


「いやぁ、キョウゴク卿に相談して正解でした。灌漑の件、あの職人を回していただけるとは」


その日も、キョウゴク邸の茶室でアランは人好きのする顔で笑っていた。


帝国一の美形と謳われる男である。だが付き合ってみれば、気取りのない拍子抜けするほど善良な男だった。


この男の妻と俺は通じている。


その背徳が、キリツグには茶の味を引き立てる菓子のようなものだった。何も知らぬ夫と領地を語らい、その夫の妻の腹には自分の子かもしれぬ命が宿っている。優越とも、しぎゃくともつかぬほの暗い愉悦が、アランと会うたび胸の底でくすぶるのだ。


「……時に、キョウゴク卿」


ふとアランの顔が曇った。


「妻のことなのですが」


心臓が一拍、跳ねた。


「……夫人がどうかされたか」


「ええ。その…近頃ほとんど眠れていないようなのです」


アランは茶器に目を落とした。


「身籠もってから夜中に何度も目を覚ますようで。医師はお産が近づけば誰しもあることと言うのですがそれにしても酷い。夜明けまで天井を見ていることもあるとか。目の下に隈を作って食も細くなって……見ているのが辛いのです」


「……左様ですか」


「教団の祈祷も医師の処方も、どうも効かぬようで。私にできることといえば、侍女を増やし、なるべく妻に寄り添う時間を増やすくらい。本当に夫として情けない話です。英雄を妻に持ちながら私は妻の安眠すら守れないでいる」


本気で案じている顔だった。


キリツグは相槌を打ちながら、内心別のことを考えていた。




アランは手元の茶が冷めていることにも気づかないようだった。言い淀むたびに杯の取っ手へ指をかけ、結局は持ち上げずに戻す。その目がこちらへ向くと、キリツグは何食わぬ顔で頷いた。自分が答えを持つべき相手のように頼られることが、妙に居心地よかった。


キリツグは相槌を打ちながら、内心、別のことを考えていた。


”眠れていないだと”


密会は妊娠が知れてからは控えている。文のやり取りも最小限。今、マリエルの状態を知る手段は夫を通じてしか知ることが出来なかった。


”……あの女。腹に子を抱えて夜ごと眠れずにいるのか”


胸の奥がざわついた。


それが情なのか、自分だけ知らなかった苛立ち、それとも腹の子への心配なのか、キリツグ自身どれの事が気になったか分からない。ただ何かせずにはいられない、それだけははっきりしている。


そして思い当たった。


”……そうだ。あの店なら”


帝国の医師の処方も教団の祈祷も効かぬというなら。


帝国の外の薬ならどうだ。


あの店の薬はよく効く。


それは誰よりもキリツグ自身が知っていることだった。


2


夜の帷が落ちかける時刻、帝都の裏通りを一人の男が歩いていた。


フードは、今日は被っていない。中背中肉、仕立ての良い外套。だが裏通りの住人たちは三年前と同じく誰一人動かなかった。


男は見覚えのある店の前で足を止め躊躇なく扉を押した。


「こんにちは、いえこんばんは、かしら、黄昏薬局へようこそ」


夕闇が迫る時刻であってもこの店内は異様に明るい。そしてその光りが照らす女は、夜の水の黒髪に、琥珀の瞳。三年前と寸分変わらぬ女が寸分変わらぬ微笑で立っていた。


そしてセックは男の顔を見ると少し驚いた顔をした。


「あら、お久しぶりですお客さま」


わずかに警戒心を起こすキリツグ。


「……」


「さて、本日はどのようなお薬をご所望でしょう、お客さま」


それとなく三年前の薬のことを言っているのだ。


キリツグは女をにらみつける。


セックはそれに動じる様子もなかった。三年前と同じように。


「……違う」


キリツグは低く言った。


「今回はそのような薬ではない」


「と、申しますと?」


「知人が夜なかなか寝付けないと悩まされていてな」


我ながら白々しい切り出しだと思った。三年前に人を害する薬を買いに来た男が今回は人を案じて薬を買いに来たのだ。自分が店主なら苦笑するだろう。


だが、セックは詮索めいたことは何ひとつ言わず、ただふわりと眉を下げた。


「まあ。それはそれは、「お辛い」でしょう」


「……」


「眠れぬ夜ほど人を蝕むものはございませんもの。何よりお体に障りますわ」


「……そうだ。寝つきが良くなる薬を売ってくれ」


「ええ、ええございますとも。少しお待ちくださいませ」


セックは頷き店の奥へと身を翻した。


その振り向きざま。


セックの口元にぞっとするほど艶めいた笑みが浮かんだことにはキリツグは気付かなかった。彼の位置からは、もう女の背中しか見えていなかったからだ。


待つ間、キリツグは店内を見回した。


異国の文字らしき小箱と小瓶。三年前と変わらぬ眺め。あの時は、この棚のどれかから、あの茶色い粉が出てきたのだ。


あれは完璧だった


傷を付けず、毒も残さず、騒ぎも起こさなかった。宮廷医師たちが調べても何ひとつ疑われなかった。あの完璧な仕事ぶりを思えば、この店の眠り薬とて期待出来るものがあるはず。


「お待たせいたしました、お客さま」


戻ってきたセックの手には、小瓶があった。瓶には、やはり読めない異国の文字。中には、今回は白い砂状の粉が入っていた。


「まさかとは、思うが」


「ご安心ください。「あの薬」とは別物ですよ」


セックは微笑んで説明をした。


「これは安眠に誘うお薬。お休み前に、耳かきにひと匙ほどの量を、お水と共に飲ませてさしあげてください。さすれば、」


女は手を合わせて揃えて顔の横に添えて説明を続ける。


「ぐっすりと、お眠りになれますわ」


「……毎晩使って障りはないのか。その、身体の弱った者でも」


「まあ、お優しい」


セックは、くすりと笑った。


「ご懸念には及びません。眠りは、何よりの薬でございますもの。弱った方ほど深い眠りが何よりの回復薬でございますよ」


キリツグは金貨の入った小袋をカウンターに置き、小瓶を受け取った。


「……邪魔をした」


「またのお越しを、お待ちしております。お客さま」


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


一人になった店内で、セックはしばらく扉を眺めていた。


「知人が夜なかなか寝付けない」


くす、と笑いが漏れた。


「ええ、ええ。よぉく、母子ともに眠れますとも」


その口元は、いつかの夜と同じ三日月の形に開かれていた。


黄昏薬局にご来店いただきありがとうございます。

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