↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/64

第四章 英雄たちの末路  その20

5


帝都の外れ、キョウゴク侯爵家の持つ別邸の一室。


「ねえ。もうこの関係、終わりにしない?」


寝台の上でマリエルは言った。


一糸まとわぬ背中を向けたまま窓の外の月を見て。


「……何故だ」


返ってきたのは怒りの混じった声だった。


キリツグが半身を起こし、マリエルの肩を掴んで引き戻す。


「 今さら何を言っている、マリエル」


「今さらだから言っているのよ」


マリエルはその手を払った。


「この関係がどれほど不味いか、あなたも分かっているでしょう?!私はもう、エリング侯爵夫人なのよ。それがキョウゴク侯爵と通じているなどと知れたら……離縁では済まない。最悪、わたしたち死刑すらあり得るのよ」


姦通は、貴族社会において最も重い醜聞である。まして双方が英雄、双方が侯爵家。露見すれば帝国を揺るがす醜聞となり、マリエルの父である教皇とて庇いきれない。


「俺がそんなことはさせない!!」


「させないって、どうやって!?」


「……俺は」


キリツグの声が、ふいに低くなった。


「俺は、お前を愛している」


マリエルは目を閉じた。


始まりは戦場だった。


死が日常だったあの日々。明日には骸になるかもしれない夜。重圧と恐怖から逃れる場所が、互いの腕の中しかなかったあの歪んだ日々。


マリエルにとってそれは薬だった。戦場での重圧や死への恐怖を一時的に忘れられる対症療法。だから戦争が終われば関係も終わる。終わるはずだった。


少なくともマリエルはそのつもりだった。


清算の機会は何度もあった。終戦、凱旋、婚約、婚礼。


そのたびに関係の解消を告げた。


そのたびにこの男は同じ目をした。


「愛しているですって」


マリエルは、乾いた声で笑った。


「あなた、自分が何を手に入れたか分かっているの? 侯爵位よ。王族出身以外でたどり着ける頂点よ。望めばどんな令嬢でも娶ることが出来る。なのに、なぜこの関係を続けようとするのよ」


「お前だからだ」


キリツグの声は、静かで、だからこそ底が知れなかった。


「あれほど望んだ爵位も、屋敷も、兄への愉悦も、手に入れてみればたいしたものではなかった。お前だけだは違う。お前だけが、あの日々の死への恐怖を忘れさせてくれた!!」


「やめてちょうだい」


「マリエル」


「だから、やめてと言っているの!!」


マリエルは寝台を降り、衣を纏った。


「いいこと?今度こそこの関係は終わり。私たちは、ただの戦友に戻るの」


扉へ向かうマリエルの背に、キリツグの声が追った。


「……アランは、知っているのか」


足が、止まった。


「戦場でのことだ。何があったか。誰と、何があったか。……あの男は、何も知らずにお前を娶ったのだろう?」


「……あなた。何を言って」


「俺は何も言っていないぞ。ただ、聞いただけだ」


振り返ったマリエルが見たのは、寝台の上で薄く笑う男の顔だった。脅しの言葉は、一言も使っていない。使わずに、すべてを言っていた。


お前の過去の醜聞は俺の手の中にある。


「俺たちは共犯だ。マリエル」


キリツグは、囁くように言った。


「あの夜からずっとな。……共犯者というのは、離れられないものなんだよ」



6


エリング邸への帰りの馬車でマリエルの手は小刻みに震えていた。


それが怒りからなのか、恐怖からなのか、多分その全てがごっちゃになっている


’’共犯’’


その言葉は、不倫のことだけを指していない。あの男はもうひとつの夜のことも言っているのだ。あの男に盛った夜のことも。


’’……離れられないですって’’


窓の外を、夜の帝都が流れていく。祭りのように明るい、新時代の帝都。その光のひとつひとつが今のマリエル自分の醜聞がさらけ出されそうな気分になった


離縁。醜聞。死刑。


転がり落ちる先はいくらでも見える。あの男が口を滑らせるだけで、酔って漏らすだけで、あるいは私を繋ぎ止める道具として、わざと匂わせるだけで。


’’あの男を黙らせる方法を考えないと……’’


説得は何度もしたが無理だった。


教団の力で? 駄目だ、藪蛇になる。父に知れたら終わる。


’’ ならばどうする?’’


思考が、ふと、ある一点で止まった。


古今東西、王侯貴族を倒したのは剣ではない、奸計でもない。


蛇蝎のように忌み嫌われる最悪の手段。とは誰が言ったか


’’ 私は、もう知っているじゃない ’’


馬車は何事もなくエリング侯爵邸の門をくぐった。出迎えたアランは、夜会帰りの妻をいつもの優しい笑顔で抱き寄せた。


「おかえりマリエル。──少し、顔色が悪いね。疲れたかい?」


「ええ……少しだけ」


「ゆっくりお休み。君が健やかでいてくれることが、僕の一番の願いなのだから」


何も知らない夫の胸の中で、マリエルは静かに目を開けていた。


黄昏薬局にご来店いただきありがとうございます。

もし当薬局のカルテに興味をお持ちいただけましたら、

ページ下部の星マークより評価をお願いいたします。


皆様の評価やブックマークが、次の薬の調合する原動力となります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。