第4章 英雄たちの末路 その13
3.
誰の目にも、最初の一撃は映っていなかった。
気がついた時には、コーエンの張った防護障壁は粉砕され、本人もろとも壁際へと叩き飛ばされていた。もしマリエルの聖光の盾が間に合っていなければ、開戦から数秒で誰かが脱落していただろう。
「コーエン!! 詠唱を!! 時間はわたくしが、《聖光の城壁》ッ!!」
マリエルは、己の生涯でも最大級の障壁を張り出した。だが、魔王の爪が一閃しただけで、それは三秒で破られる。とはいえ、その三秒があれば、コーエンの最強火力の詠唱は完成する。
「焦熱地獄・三連ッッ!!」
帝国魔導史上、最大級の火力が、至近距離から魔王を呑み込んだ。岩床は熔け、玉座の間は白熱する。
しかし、炎の中から現れたのは、無傷の魔王だった。
「効かぬ」
「化け物、め……っ」
そこへキリツグが斬り込む。ヒョーエ一族の刀術奥伝、そのすべてを叩き込んだ連撃だった。だが連続する太刀筋はことごとく腕でいなされ、五筋目で刀は掴まれ、そのまま折られた。
「があッ──!!」
魔王の裏拳がキリツグの鎧を砕き、身体は石柱まで吹き飛ばされる。
その瞬間、三人は理解した。いや、理解させられた。
これこそが魔王なのだ。帝国の幾多の軍勢が何度挑んでも薙ぎ払われてきた、百年の壁。自分たちの研鑽など、この存在の前では、子どもの棒振りに等しいのだと。
だが、それでも。
「女神の祝福よ彼の剣に宿れ……!!」
血を吐きながら、マリエルは最後の聖句を絞り出した。
「コーエン!! ありったけを彼に!!」
「分かって、いる……!! 我が魔力よ、勇者へッ!!」
二人の力が光へと変わり、一点へ集束する。
その光を背に受けて、ダルクが踏み込んだ。
その後に続く攻防を、三人は言葉にできない。
のちに問われるたび、彼らは「凄まじい戦いだった」としか答えなかったが、それは口裏合わせではない。本当に見えなかったのだ。白光と黒影が玉座の間を疾走し、ぶつかるたびに城そのものが軋んだ。もはや、人の身の戦いではなかった。
どれほど時が過ぎたのか。
ずん、と、地響きが走る。
そして、漆黒の巨躯が膝を折った。
胸を深く貫かれた魔王ゼノヴィアは、自分を貫いた剣と、それを握る満身創痍の人間を、じっと見下ろした。
「……見事。人の子に敗れる日が来ようとはな」
「そして、その剣。なるほど、あの方から授かったか」
「あの方?」
「知らぬか。まあ、よい。さて、勇者よ。最後に一つ教えてやろう」
魔王は嗤った。血を流しながら、心底楽しげに。
「余を殺したな、貴様。じゃが、貴様を殺すのは余ではないぞ」
「……」
「……くく、ははは……見えるようだ、貴様の死に顔が……せいぜい、その信を抱いて、…」
その言葉は、最後まで届かなかった。
漆黒の巨躯は、黒曜石のように硬化したかと思うとひび割れ、玉座の間へと崩れ落ちた。
百年にわたる戦争が、終わった瞬間だった。
4.
静寂が降りた。
立っている者は、もう一人もいない。
コーエンは壁際に倒れ、魔力は枯渇し、起き上がるのもやっとだった。マリエルは祈りの姿勢のまま床へ崩れ、聖力の使いすぎで視界が明滅している。キリツグは折れた刀に身を預けて、かろうじて上体を起こしていたが、右腕の感覚は失われていた。
その中央に。
ダルクが立っていた。
勇者の剣を杖代わりにし、肩で息をつき、全身を血と土に汚し、立っていること自体が不思議なほどの傷を負いながら──それでも、立っていた。
(──今、だ)
キリツグの脳裏に、囁きが落ちる。
(今しか、ない。あの男が消耗しきった、今こそ機会──)
すべて計画通りだった。あの夜の密談で交わした算段、そのままだ。魔王は死んだ。勇者は満身創痍。証人はいない。
キリツグは、折れた刀を握り直そうとした。
だが、握れない。
腕が上がらなかった。刀を握るどころか、立ち上がることすらできない。マリエルを見ると、蒼白な顔が弱々しく首を振った。聖力どころか、立つ力さえ残っていない。コーエンに至っては、壁伝いで立つのが精一杯だった。
今の自分たちは、オークにすら殺される。
それに対して、あの男は──あれほどの傷を負いながら、なお立っている。
「みなさん!!」
ダルクが、ふらつきながら駆け寄ってきた。
魔王の警告を聞いていたはずの男が、警戒もなく、無防備なまま、三人の手の届く距離まで。
「ああ、よかった……生きてる、三人とも生きてる……っ」
ダルクは懐から小さな革包みを取り出した。中には、軍で支給される最上級の霊薬が三本。残っていた最後の三本だった。
「飲んでください。早く」
「……貴様の分は、どうする」
「僕は頑丈なので」
血まみれの顔で、ダルクは笑う。
「それに、言ったでしょう。何があっても、四人で帰ろうって。ほら、マリエルさんから。手、震えてますよ。僕が開けます」
ダルクは震えるマリエルの手を取り、薬瓶の栓を抜いて握らせた。続いてコーエンへ。最後にキリツグへ。
折れかけた刀は、床に置かれたままだった。
背中は、ずっと三人に向けられていた。
魔王の言葉を信じなかったのではない。この男には、そもそも、そうした警戒の仕方そのものが最初からないのだ。
霊薬を握るキリツグの手が震えていた。
(……無理だ)
それは薬瓶の重みのせいではない。
(この男を、武力で倒すことなど、未来永劫できはしない)
今この満身創痍の状態ですら届かない。万全であったなら、論ずるまでもない。三人がかりで不意を打っても、なおあの背中には届かない。届く未来など想像すらできない。
人類最強の刀士と呼ばれた男は、その夜、初めて知った。
絶対に届かない相手を見つめて生きることが、どれほどの地獄なのかを。
5
四人が魔王城を抜け出したのは、夜明け前だった。
背後の城からは、魔族たちの慟哭が聞こえ始めていた。王の死は波紋のように魔族領全土へ広がり、幹部たちは後継を争い、軍は分裂し、百年戦争は終結する。
すべて、ダルクの言った通りに。
「……帰りましょう。四人で」
先頭を歩くダルクが振り返り、笑った。霊薬を口にせず、誰より深い傷を負っている男が、誰よりも確かな足取りで。
「ああ」
「ええ」
「……そうだな」
三人は、その背を追った。
帰路には、一か月かかる。
折れた刀を腰に下げたまま、キリツグは考えていた。マリエルも、コーエンも、口には出さず、同じことを思っていた。
刀は届かなかった。
魔法も届かなかった。
ならば。
刀でも魔法でもないもの。あの男が決して警戒しない、警戒の仕方すら知らない何かで。
古今東西、王侯貴族を倒してきたのは剣ではない。かといって、奸計でもない。
蛇蝎のごとく忌まれる、最悪の手段だ。
東の空が白み始める。
百年ぶりに、戦争のない朝が来ようとしていた。その美しい朝焼けの下を、一人の英雄と三匹の獣が、帝国への長い帰路へついた。
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