第4章 英雄たちの末路 その11
4
「水を汲んでくる」
キリツグが立ったのは、ダルクの寝息が深くなった頃だった。
少し遅れてマリエルが、それからコーエンが、音もなく野営地を離れた。三人が落ち合ったのは、谷川沿いの木立の中である。
しばらく、誰も口を開かなかった。
口火を切ったのは──否、口ではなかった。
ゴッ、と鈍い音がした。キリツグが、傍らの黒い木に、横殴りの拳を叩きつけた音だった。
「……もう、我慢ならない」
絞り出すような声だった。
「お前ら、聞いたか。『三人に万が一があったらどうしよう、それが怖かった』だとさ。守られている?俺たちが!?
事実その通りだから、なお腹が立つ!!」
「声が大きいわよ」
「ヴァルガの四本目の刃。俺には見えなかった。あの男には見えていた。ゾッドの断末魔を聞いたか? 魔族の目にすら、俺たちは映っていない!!」
樹皮の剥げた木を、キリツグはもう一度殴った。拳が裂け、血が滲む。
その様子を見ながら、コーエンが重いため息を吐いた。
「……落ち着け。事実を整理するぞ」
コーエンは指を一本、立てた。
「一つ。魔王を倒せるのは、彼奴以外におらぬ。これは認めるしかない」
二本目。
「二つ。彼奴が魔王を倒せば、戦争は終わり、やつは帝国百年の悲願を果たした救国の英雄となる。皇帝陛下が用意する報奨は──おそらく、皇女殿下の結婚。皇配の地位だ」
「皇族の尊き血筋に、平民の血が混ざるなど、……!!」
キリツグが血の滲む拳を握り締めた。
「調子に乗ってくれる……!!」
「三つ。皇配となった彼奴の隣で、我らに残る椅子は「勇者の仲間たち」。それが我らの孫子の代まで続く家格となる。ヒョウエも、ウォーデンも、レムナントも全部、あの男の物語の添え物になるのだ」
「わたしも」
マリエルが静かに言った。
「あんな奴のおまけ扱いなど耐えられないわ」
夜風が、黒い梢を鳴らした。
「……ならば、どうする」
コーエンが、二人を順に見た。
「言葉にしろキリツグ。マリエル。腹の中のものを、一度言葉にしてみろ」
長い沈黙があった。
やがてキリツグが低くはっきりと言った。
「……殺す。ダルクを殺す。それしか俺たちが俺たちのままでいられる道はない」
言ってしまえば、あっけなかった。
二年間、夜ごとの酒宴の底に沈めてきた澱が、言葉という形を得て、三人の真ん中に置かれた。誰も、目を逸らさなかった。
「賛成よ」
「……異論はない。だが、問題は方法とタイミングだ」
コーエンが地面に枝で線を引いた。
「今、ここで殺すのは論外だ。魔王を倒せるのは彼奴だけ。彼奴を欠けば、我ら三人は魔王どころか、帰路の哨戒線すら抜けられるか怪しい」
「ならば、魔王を倒した後を狙えば良いじゃない」
マリエルが言った。あまりに自然な声音だった。
「魔王戦の直後。いかにあの男でも無傷では済まないわ。消耗しきったところを、三人で一斉に掛かる」
「……なるほど」
コーエンの目が暗く光った。
「陛下には「勇者ダルクは魔王と相打ちになった」そう口裏を合わせれば、何の問題もないわけだ。証人は世界に三人。三人の証言は完全に一致する。疑う者など、いるはずもない」
「死体は谷底にでもうち捨てておけ、そうすれば発見されることはない」
「そして我ら三人は、勇者の遺志を継いで生還した勇者たちとなる」
「魔王を討った功は四人のもの。いえ、生きて帰った三人のものになるのよ」
三人は顔を見合わせた。
暗い木立の中で、三対の目だけがらんらんと輝いていた。
「では、その手筈で行くか」
決まった。
谷川の水音だけが、変わらず流れていた。三人は時間を置いて、一人ずつ野営地へ戻った。
5.
野営地では、焚き火が小さくなっていた。
見張りに残っていたダルクが、戻ってきた三人に気付いて顔を上げ──ひどく安堵した顔で、笑った。
「よかった。三人一緒に消えていたから、何かあったのかと」
「すまない。寝付けなくてな。三人で少し話していた」
「そうでしたか」
ダルクは火に新しい枝をくべた。
「分かります。僕も、眠れる気がしなくて。──明日の夜には、魔王城ですから」
炎が、四人の顔を照らした。
「最後に一つだけ言わせてください」
ダルクは、三人の顔を順に見た。まっすぐに。
「何が何でも四人で帰りましょう」
「……ああ」
「ええ、もちろん」
「四人で、な」
三人はこの二年で最も完璧な微笑を浮かべた。
焚き火の上の細い煙が、黒い夜空へ、まっすぐに昇っていった。
その夜空の、さらに遥か彼方──帝都の裏通りの店で、水晶球に頬杖をついた女が、くすりと笑ったことを四人の誰も知らない。
黄昏薬局にご来店いただきありがとうございます。
もし当薬局のカルテに興味をお持ちいただけましたら、
ページ下部の星マークより評価をお願いいたします。
皆様の評価やブックマークが、次の薬の調合する原動力となります。




