第4章 英雄たちの末路 その7
5
その頃、当のダルクは自分の天幕で、一通の手紙を書きあぐねていた。
あて先は、故郷の村の神父である。無教養だったダルクに読み書きを教えてくれた育ての親のような人だ。
『神父さま。お変わりありませんか。戦線は順調です。みんなのおかげでもうすぐ祖父さまの代に奪われた土地まで届きます』
そこまで書いて筆が止まる。伝えたいことが多すぎて言葉が追いつかないのだ。
ダルクは筆を置き天幕の天井を見上げた。
’’ 本当に、運がいい ’’
つくづくそう思う。
村を出るとき自分はただの「腕の立つ田舎者」だった。公爵の強い推挙があったとはいえ、皇帝陛下が『勇者』の称号をくれたのは帝国民の志気向上のためだということくらい自分にも分かっていた。
それがどうだ。今や八千もの兵を預かり戦線は前へ前へと動いている。
自分一人の力でないことは誰よりも自分が知っていた。
兵たちが付いてきてくれる。将官たちが意見を聞いてくれる。そして何より、あの三人がいる。
キリツグ、マリエル、コーエン。
ダルクは三人のことを思うたび、胸の奥が温かくなるのを感じる。
初陣の後、自分のような馬の骨に向こうから声をかけてくれた。「次の作戦共同でやらないか」と。あの時どれほど嬉しかったか。
雲の上の人たちだと思っていた。侯爵家出身の剣豪、教皇の娘の高位神官、魔導の天才。生まれも育ちも自分とは何もかも違う人たち。
その三人が作戦を立案してくれ協力してくれる。夜には酒に誘えば付き合ってくれる。冗談を言えば笑ってくれる。
戦友と呼んでいいだろう。
もしかしたら向こうは迷惑に思うかもしれない。でも、自分にとっては背中を預け合える仲間だった。
それに、と思う。
ガルム砦も、ヴェルデ渡河も、あの三人がいたから攻略できた作戦だった。
西門をキリツグさんが抜いてくれると信じていたから、本丸への強襲を計画できた。マリエルさんの治癒があるから、兵たちの損耗が最小限に抑えられた。コーエンさんの火力が軸にあるから、あの渡河を突破できた。
あの三人がいるから僕は無茶ができる。
世間は自分ばかりを持ち上げるがとんでもない。三人の真価を世間はまだ分かっていないのだ。
「……そうだ」
ダルクは筆を取り直した。神父への手紙の続きに自然と筆が走る。
『神父さま。僕には今、仲間がいます。すごい人たちです。いつか戦が終わったら村に連れて行きたい。神父さま手作りの丸パンを三人に食べさせてあげたいのです』
書き上げた手紙を読み返しダルクは少し笑った。
戦が終わったら。
近頃、その言葉を考えるようになった。この戦が終わったら何をしよう。村に帰って何か手に職をつけるのもいい。自分は所詮戦うしか能のない男だけれど、あの三人となら戦の終わった後も仲良く出来ると思う。あの公爵と違って。
明日は三人を夕食に誘ってみよう。
ダルクは手紙を封じ灯りを消した。
6
翌日の夕刻三人はダルクの天幕にいた。
「すみません、急に誘って。実は故郷から芋が届いたんです。うちの村の芋は絶品で、ぜひ三人に食べてもらいたくて」
ダルクは上機嫌で囲炉裏の鍋をかき回している。
献立は芋の煮込みと黒パン、安葡萄酒。五千の兵を預かる勇者の食卓が、これである。
「……勇者ともあろう者が随分と質素なのね」
マリエルが言うとダルクは頭をかいた。
「性に合わなくて。それより食べてください、ほら、キリツグさんも」
「あ、ああ」
椀を受け取る。悔しいことに芋は美味かった。
「そういえば聞いてくださいよ」
ダルクは自分の椀を抱えて嬉しそうに話し出した。
「昨日、帝都の偉い学者さまの本を読んだんです。渡河作戦のことが書いてあるという。そうしたら、ひどいんですよ。コーエンさんの魔法のことが『支援』って」
コーエンの手が、止まった。
「あの火力が作戦の要だったのに何も分かっていない。僕、帝都に抗議の文を送ろうかと思って」
「それは、やめておけ」
自分でも驚くほど硬い声が出た。ダルクがきょとんとこちらを見る。
「……学者の書くことなど、いちいち気にしていたら切りがない、ということだ」
「コーエンさんは大人ですねえ。僕はああいうの、我慢ならなくて」
ダルクは屈託なく笑い話題は次に移った。キリツグの刀の手入れの流儀、マリエルの聖句の解釈。ダルクは三人の話を、目を輝かせて聞いた。実際に、心の底から面白がっているのが伝わってきた。
楽しい夜のはずだった。
世間の誰もが羨む、勇者と三英雄の親密な夕餉。
「今日はありがとうございました。僕、この時間が一番好きなんです」
帰り際、ダルクは三人に言った。
「変なことを言いますが、僕、三人のことを友だと思っています。身分も弁えずすみません。でも戦が終わってもこうして集まれたら嬉しいです」
そして深々と頭を下げた。
五千もの兵を率いる勇者が何の打算もない顔でただの友情のために頭を下げた。
「……こちらこそ」
「光栄ですわ」
「ああ。また誘ってくれ」
三人は完璧な笑顔で応え天幕を出た。
7
夜道を、三人は無言で歩いた。
自分の天幕に着くまで誰も口を開かなかった。中に入り、灯りをつけ、酒を注ぎ、最初に沈黙を破ったのは、キリツグだった。
「……友だと思っています、だそうだ」
低い、押し殺した声だった。
「ありがたくて涙が出るな。平民の勇者さまがこの俺を友達にしてくださるとよ」
「やめなさいよ」
「なぜだ、マリエル。光栄ですわと言ったのはお前だろう」
「言ったわよ言った」
マリエルは杯をあおる。
「断れるとでも? 今この戦線であの男の『友情』を断れる人間がいる? わたくしたちは笑って受け取るしかないのよ。あの男やっている友だちごっこを演じるしかない」
「ごっこ、か」
コーエンが呟いた。
「いい言葉だ。そうだ、ごっこだ。気付いているかお前たち。あの男は本気なんだ。本気で俺たちを対等の友だと思っている。本気で俺たちの力に感謝して、本気で手柄を分けようとして、本気で哀れんでなどいない」
「だったら何だというのよ」
「だから性質が悪いと言っている!!」
コーエンが杯を叩きつけた。葡萄酒が地に飛び散った。
「悪意があるなら憎める!! 見下されているなら見返せる!! だがあれは何だ。あの男は俺たちを本心から認めて、本心から立てて、その上で俺たちから何もかも奪っていく。武勲も、名声も、兵の心も、帝国民の関心も、マリエルの教団での立場も、キリツグの兄の関心も、全部だ!! 悪意の欠片もなく全部な!!」
天幕が静まり返った。
「……抗議の文を送ろうかと思って、だとさ」
コーエンは乾いた声で笑った。
「俺のために怒ってくれたわけだあの男は。分かるか? 俺の屈辱の原因が、俺のために怒っている。礼を言うべきか? なあ、俺は礼を言うべきなのか?」
誰も答えなかった。
長い、長い沈黙の後で。
「……戦場ではな」
キリツグがぽつりと言った。
「流れ矢というものがある。どれほどの英雄でも、防ぎきれぬ流れ矢が」
マリエルが顔を上げた。コーエンがゆっくりとキリツグを見た。
キリツグはそれ以上何も言わなかった。
ただ、否定する者もいなかった。
灯りの油が尽きかけ炎が小さく揺れた。三つの影が、天幕の壁で揺れていた。
その夜から三人の酒宴は少しだけ変わった。
語られる愚痴は同じ。浮かべる笑顔も同じ。ただ、会話の終わりに落ちる沈黙の中に口に出されない「もしも」が棲みつくようになった。
それは毎夜、少しずつ確実に育っていった。
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