第1章 扇動家 ( agitator) その2
3.
薬局にて
ゴルドはセックからの指摘に冷や汗をかいたものの、それをおくびに出さないように虚勢をはる。彼はカウンターに近づき、セックを見る。
「……回りくどい話は嫌いだ。俺は明日人前で演説し、聴取から支持を得たい。そのためにはこののどの緊張が邪魔なんだ」
セックはゴルドの話を聞いて少し考えたような顔をした。
「では、あの薬が良いでしょう。少しお待ちください」
彼女はそう言って背後の棚へ手を伸ばし、ひとつの瓶を取り出した。透明な瓶の中に、白い結晶のようなものがいくつも入っている。角ばっていて、砂糖菓子のようにも、砕いた石英のようにも見えた。
セックは瓶の蓋を開け、一粒を細い指でつまんでみせる。
「これは、“声ののど飴”とでも言っておきましょうか」
「飴?」
「ええ。舐めれば喉の緊張が消え、胸の奥に火がともり、言葉に熱が宿る。舌はよく回り、頭は澄み、聞く者の耳にはあなたの声が美しく、強く、正しく響くようになる」
ゴルドの目が細くなった。
「そんな都合のいい薬があるのか」
「ここは薬局、お客さまの症状に合った薬をお出しするところ。お客さまはのどの緊張が消え去れば良いのです」
「値段は」
「銀貨二枚」
「安いな、効果は本当にあるのか」
セックはカウンターの上の水晶球に手を置いた。
「その薬で儲けようとは思っておりません。ただ、あなたの行く末を見届ければそれで結構ですので」
「気味の悪い女だな」
「よく言われます」
セックは愉快そうに笑った。紅の引かれた唇の端、化粧の下の縫合跡がかすかにひきつる。
「ただ」
彼女の声が一段低くなった。
「用法と用量は必ずお守りください。これを口にするのは1日に1粒まで。それ以上は、決して」
ゴルドは鼻で笑う。
「子供じゃあるまいし。薬の飲み方くらい分かってる」
「本当に?」
「本当だ」
「なら良いでしょう」
セックは瓶を差し出した。ゴルドはそれを受け取る。白い結晶は、指先越しにも妙に冷たく感じた。
「……ひとつ聞く」
ゴルドは店を出る前に言った。
「これを使えば、俺は勝てるんだな?」
セックは少し考えるふりをして、それから優しく微笑んだ。
「それはあなたの悪癖を沈静化させる薬ですから、そこから先はあなた次第」
その答えの意味を、ゴルドは深く考えなかった。
4.
翌日、帝都中央広場は朝から人で埋まっていた。
労働者、商人、役人、露天商、裏通りの住人。皆が皆、何かしら鬱屈を抱えて生きている。そういう連中ほど、。今日は次期帝都区長を決める人材を見極める場でもあり、普段なら政治になど興味のない者まで集まっていた。
壇上の裏、即席の控え室でゴルドは汗ばんだ手の中の瓶を見つめていた。
まただ。
喉が乾き、胸がざわつく。帝国民のざわめきを聞くうちに、完璧に覚えたはずの内容がどこかに行き、あれだけあった自信も消え去りそうだった。
いつもの不安が喉元までせり上がる。
ゴルドは舌打ちし、瓶の蓋を開けた。
白い結晶を一粒、口へ放り込む。
最初の数秒は、ただひんやりとした甘さが舌に乗っただけだった。しかし、徐々に身体を何か熱いものが駆け上がった。頭の中心で火花が散り、霧が一気に吹き飛び、視界の輪郭がやたらクリアに感じた。
身体の中心に、異様な自信が湧き上がる。
できる。いや、自分は勝つべくして勝つ男なのだ。
もう不安は消えていた。代わりに、全身を満たす万能感。聴衆どもの人心など簡単に掌握できる。まだ一言も発していないのに、広場の隅々まで喝采であふれる未来が見える。
「……なるほど」
ゴルドは笑った。
喉の緊張がなく、掠れなど皆無。言葉が滑るように出るようだ。
呼び出しがかかり、彼は壇上へ出た。
数百もの視線が一斉にこちらへ向く。普段のゴルドなら聴取の圧に怯んだはずだが、今は違う。彼らは自分の火を焚べるための薪、自分の声で燃え上がる燃料である。
ゴルドは両手を広げ、第一声を放った。
「帝都の民よ――!」
その瞬間、広場の空気が変わった。
声が通る。いや、通るどころではない。太く、熱く、震えるように響き、広場の端にいた者まで思わず顔を上げた。
ゴルドは自分の声に酔った。
そこから先は、ほとんど夢のようだった。
彼はしゃべった。用意していた公約も、即興の嘘も、怒りを煽る文句も、希望を見せる言葉も、簡単に流れ出た。税は下げる、不正をした役人は裁く、貧民が住まう民に場所を提供する、飢えた者にはパンを配る、働く者には未来をやる。口から出る一つ一つが、まるで天啓のように思えた。
もちろん、それらは出鱈目だ。
だがに聴衆とって、事実かどうかは二の次だった。大事なのは言い切る力だった。信じさせる熱だった。今のゴルドにはそれがあった。
「我々は踏みにじられてきた!」
「だが、もう終わりだ!」
「私は、お前たちの声になる!」
彼が叫ぶ度に喝采が上がる。
最初はまばらだったそれが、やがてうねりになり、広場を震わせた。帽子が宙を舞い、男が拳を振り上げ、中には感涙する者さえいた。ゴルドの名が叫ばれる。彼は我々の代弁者だ、やっと我々は報われるのだ、と。
壇上の脇で見ていた後援者の貴族は、驚きと満足の入り混じった顔をしていた。
「あやつ、あそこまで熱のある演説の出来る男だったか?」
その貴族はぼそりと言い、昨日までのどこか卑屈な態度の者と同じよ人物には見えなかった。登壇して演説している者は別人のように思えた。
ゴルドの熱のある演説に聴き入るのは、後援者の貴族だけではない、聴衆の大半がその演説に魅せられていた。
その聴取の様子を見てゴルドは確信した。
この薬さえあれば、自分は帝国の頂点に立てる。
演説が終わると聴衆からは拍手喝采が起きた。そしてゴルドは登壇の場から降りる。
演説後も身体は軽やかで自信に満ち溢れていた。実に気分が良かった。
そこで後援者の貴族から声を掛けられた。
その貴族は貼り付けたような笑みをして、ゴルドのそばに寄った。
「凄いではないか。以前からお前は民衆を惹き付けることが出来る逸材だと思っていたが、ここまでとは思っていなかった。推挙した私も誇らしかったぞ」
ゴルドは後援者の貴族に一礼する。
「いえいえ、これもあなた様がご支援くださった帰結です」
互いに心で思ってもいない事を滑るようにしゃべる。互いの利害が一致している間は、仲良くするのが己のためである。
ゴルドと貴族の少し会話をした後別れた。その後もゴルドには数多の人たちがやって来た。握手を求める者、面会を申し込む者、投資の話を持ち込む者。皆が彼に寄ってくる。つい昨日まで自分を見下していた連中が、今日は媚びるように声を掛けてくるのだ。
ゴルドは笑いが止まらなかった。
権力とは案外簡単なものだったのだ。 たった一粒の薬で世界はひっくり返る。
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