第1章 扇動家 ( agitator) その1
お久しぶりです。今宵薬局の完結から三ヶ月近く経過しての新連載です。
当初は一ヶ月ほどで新連載を開始する予定でしたが、第4話を先に書いた後、その派生がどんどん思いつき、そちらに掛かり切りとなり、第一〜三話がおざなりになったのが原因です。ようやく第一話から第三話まで書いたので、ようやく連載を開始できるようになりました。
0.
黄昏れ時、帝国の大通りは帝国の権威を示すかのような華やかさがある。
石畳は磨き上げられ、街路樹には季節ごとの飾りがかけられ、軍楽隊のラッパが夕空に金色の余韻を引く。白壁の官庁、赤煉瓦の劇場、絹と宝石をまとった貴婦人たち、馬車の窓から覗く豪奢な装い。帝国の栄華はその大通りに集約されている、と断言してよい。
だが、輝かしい姿には、反面薄暗い影が貶ものだ。
大通りから一本脇へ入れば、舗装は荒れ、華やかさとは無縁の泥臭い風景に変わる。さらに奥へ進めば、同じ帝都内にある場所とは思えない裏通りにたどり着く。
帝国が見て見ぬふりをしている吹き溜まり、貧民と流民、犯罪者が住まうスラム街。それが裏通りである。
そこに並ぶ店もまた、まともな顔をしていなかった。
中古屋を名乗っているが、盗難品や略奪品を売る店。軍の横流し品らしき武具を並べる店。異国の香辛料だの、呪い除けだの、媚薬だのを吹っかける露店。品物の出どころを尋ねる方が野暮というものだ。
その通りの住人たちも、似たようなもので、住む場所に困った者が流れ着いて、はまだよい方で、盗人や官憲に追われている者、詐欺師などおおよそまともな人間はいない。
そんな街だ。
だが、見方を変えれば、怪しい人間にはこの上なく都合の良い場所でもあった。身元も過去も詮索されず、よほどの騒ぎを起こさない限り、役人も深入りしない。人を騙す者も、素性を明かしたくない者も生きていける。
そんな裏通りの一角に、一軒だけ場違いな店があった。
古い石造りの二階建て。しかし、一階の壁に大きなガラスが取り付けられている。もうその時点で異様だ、ここまで大きく真っ平らなガラスなぞ大通りでさえ見かけない。
その大きなガラスを通して店内が見える。店内は奇妙なほど明るく整っており、そこの棚に所狭しと並んでいる紙製の箱や小瓶には異国の言葉が描かれていた。
店の前に木製の看板が下がっているが、そこに書かれた文字もまた同じ異国のもので、帝国の誰もこの異国の文字を解する者はいな。
その店名は「黄昏薬局」といい、この店の存在を名噂で知るものはいるが、ここがその店だと知る者は帝国でも限られている。
薬局といっても、表通りの薬屋のように乾燥した薬草を吊るしていたり、薬棚の中に保管してはおらず、先ほど述べたとおり、棚に所狭しと並ぶ箱や小瓶の中に薬が入っている。
それは帝国民が知る薬局とは全く趣の違うため、ここが薬局である事を知っている者は裏通りの住民でも少ない。
店主は女だった。
見た目、二十代半ば。黒髪は夜の水のように重く艶やかで、瞳は琥珀を溶かしたような色をしている。胸元の開いた濃色のドレスを着こなしている。顔立ちは目を見張るほど整っており、絶世の美女といって差し支えはない。この裏通りにいるような人間には見えない。
しかし、化粧でうまく誤魔化してはいるが、唇の端から端へかすかに縫合の跡が走っている。まるで、裂けた口を縫い合わせたかのように。
その店主は水晶球を眺めている。
しかし、こちらに気づくと水晶球から視線を外して、こちらを向いてにこやかな顔となる。
「あらこんにちわ、いえ、もうこんばんわかしら。黄昏薬局へようこそ。私はここの店主のセック。ここに訪れるお客様は、みんな悩みを抱えた方ばかり。私はその方に合った薬の処方をしております。
さて、今回のお客様は、言葉巧みに民衆を惑わそうとするお方。もっとも生来の癖でうまくいっていないようですが。さて、このお客さまにはどのような処方がよろしいかしら」
セックは再び水晶球を眺めていた。水晶球には、夕闇の街を足早に歩く一人の男の姿が映っている。女はその姿に目を細め、三日月のような歪んだ笑みを浮かべていた。
1.
薬局の扉が開き、先ほど水晶宮に映っていた男が店内に入ってきた。
セックはその男に挨拶をする。
「ようこそ黄昏薬局へ、お客さま」
扉を押し開けて入ってきた男は、泥のはねた革靴を履き、くたびれた上等服を着ていた。頬は痩せ、目はぎらぎらと脂じみた光を放っている。口元には、へつらうことも脅すこともできる器用な笑みが貼りついていた。
女は立ち上がり、裾を揺らして一礼する。
「わたしはここの店主のセック」
その名を聞いた男、ゴルドは眉をひそめた。
セック。女にしては奇妙な名だと思ったが、こんな場所で名の真偽などどうでも良かった。
「さて、本日はどのようなお薬をお求めでしょうか。……おや、のどに緊張が見受けられますね。」
セックはゴルドののど元を眺める。
「なるほど、なるほど。ですからあなたはうまく話したいのに話せないんですね」
ゴルドはそのセックの指摘に背中に冷たいものを感じ、汗がにじんできた。
2.
ゴルドは煽動家である。
それは自ら名乗った肩書きではなく陰口として呼ばれる名である。帝国の市政局に食い込もうとする野心家たちのひとりで、広場や酒場で不満を煽り人心の不満を一方向へ向ける。どこかの商会が競合相手を潰したい時、あるいはどこかの下級貴族がライバルを失脚させたい時、ゴルドは金で雇われて対象を陥れる。
彼は群衆の前に立ち、巧みな言い回しで怒りに火をつける。
税が高いのは役人のせいだ。 賃金が安いのは異邦人のせいだ。 治安が悪いのは怠慢な衛兵のせいだ。そして自分たちが貧しいのは、誰かが奪っているからだ、と。
内容はどうでもよかった。事実かどうかも関係ない。帝都の民は理屈より日常の不満を何かで解消したいだけである。だからといって、自分でどうすれば良いか分からず、自分たちの怒りを代弁してくれれば誰でも良かった。ゴルドはそのことを、若い頃から身をもって知っていた。
ただし、彼にはひとつだけ致命的な欠点があった。
声に“熱”がないのだ。
言葉は悪くない。話の筋も立てられる。相手に取り入る笑顔も使える。だが、肝心なところで喉が弱い。広場の端まで響く張りがなく、聞く者の胸を打つような迫力もない。だから彼はいつも、真の意味で民衆の指示を得られなかった。
もう一歩のところで、もっと声の太い男、もっと勢いのある男に主役の座を奪われてきた。
それが、彼には我慢ならなかった。
頭のいい自分が、なぜ品のない大声だけの馬鹿どもに負けるのか。なぜ、口先と野心なら誰にも負けない自分が、声だけで下に見られねばならないのか。
その劣等感をなくすチャンスがやってきたのだ。彼は近々帝都南区長の選挙に出る。
そして明日は帝都中央広場で行われる演説会である。ここでの演説が次期帝都南区長の選挙の結果を大きく左右する。ここでは主に皇帝派と改革派と分かれ演説するのだ。ゴルドはある有力貴族の後ろ盾を得て、改革派として“民衆の代弁者”として一気に名を売る段取りを整えていた。
用意した公約は立派なものだ。
税の軽減。失業者への救済。貧民街の再整備。腐敗役人の粛清。安価な食料の供給。
もちろん、そのどれも実現できる方法は知らない、出来るとも思っていない。そのどれも票と喝采を得るための餌に過ぎない。ゴルドは帝都民を愛していないし、救うつもりもない。ただ民を利用し、その背中を踏み台にして権力の中枢へ近づきたいだけだ。
だが、そのためには明日の演説を成功させなければならない。
彼にとって“成功”とは、真実を語ることでも改革・改善を進める事ではない。人を酔わせ、信じ込ませ、熱狂させることだ。
その熱狂を起こすには、今の喉では無理だ。
だからゴルドは、裏通りにあるという怪しげな薬局の噂に頼った。
その薬局に行けば市場では手に入らない希少な薬を手に出来る。
そんな噂を、彼はこれまで笑っていた。だが自分が崖っぷちに立つと、人はそんな怪しげなものにも頼ろうとする、信じようとする。「もしかしたら」とすがるのだ。
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