第4章 英雄たちの末路 その5
4
夜明け前の岩場を、三人は馬で駆けていた。
「間に合わんぞ、これは」
馬腹を蹴りながら、キリツグが吐き捨てる。
「二百対三千。しかもあそこの二百は、各隊の余り物だ。今頃はもう」
「全滅でしょうね」
マリエルの声も硬い。
「せめて敵が兵糧庫に取り付く前に、我ら三人で食い止める。それしかない」
「……いや。見ろ」
先頭のコーエンが、ふいに馬を止めた。
夜が明けつつあった。岩場の切れ目から、第七陣地が見下ろせる。
三人は言葉を失った。
陣地は陥ちていなかった。
それどころか──岩場に魔族兵の死体が折り重なっている。百や二百ではない。狭い谷筋に誘い込まれた魔族軍が、幾重にも築かれた即席の柵と落石に出鼻をくじかれ、狭い谷の出口で討ち取られ続けた跡が、一目で見て取れた。
そして今も谷の出口で戦闘が続いている。
寄せ集めのはずの守備兵たちが陣形を乱さず保っている。傷ついた者が出れば、陣形の内側に下げられ、すかさず別の者が穴を埋める。指揮の声は、淡々とした作業の手順を伝えるように落ち着いて通っていた。
その最前線で、一人の若者が剣を振るっていた。
官給品の量産剣。あの駄馬で着任した男。
魔族の隊長格──体躯だけなら人間の倍はあろうかというオークが、大斧を振り上げてダルクに襲いかかった。
次の瞬間、オークの首が宙を舞った。
三人には何が起きたのか見えなかった。
剣筋が見えなかったのだ。帝国剣術の頂点に立つキリツグの目をもってしても、だ。
「う、おおおおおっ!!、勇者ダルクに続けぇッ!!」
守備兵たちが咆哮した。寄せ集めだったはずの二百人の兵が、三千の魔族軍を谷へ谷へと押し返していく。その顔はどれも、歴戦の古兵のそれだった。
「……なんだ、あれは」
キリツグの呟きに、答える者はいなかった。
5
三人と遊撃隊が戦闘に加わったことで、戦いは昼前に終わった。
魔族軍三千のうち、約800体近くを撃退。対する第七陣地の損害は、死者11名。
戦史に残る大勝である。
「あの、 三英雄のみなさんですよね」
戦後処理の最中、ダルクは三人の姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
返り血を浴びた革鎧のまま、その顔は会いたかった人にようやく会えた、とでも言いたげに輝いていた。
「危機的状況の中を駆けつけてくださり、本当に助かりました。最後のひと押しは三英雄のおかげです。それにしてもキリツグさんの剣、初めて間近で見ましたが、噂以上です。踏み込みの速さがもう、僕なんかとは別物で」
「……いや」
キリツグは、声がうまく出なかった。
‘’ 別物なのは、どちらだ ’’
「マリエルさんの治癒もすごかった。うちの隊の重傷者、もう立って歩いてますよ。あなたが来てくれなかったら、6人は死なせていました。ありがとうございます」
ダルクは深々と頭を下げた。
「コーエンさんの追撃の火力も、正直ぞっとしました。あの距離をあの精度で。どうやって着弾点を……あ、すみません、魔法のことは聞かれたくないですよね」
無邪気に、屈託なく、ダルクは三人を称えた。
心の底から三人に感嘆し、心の底から感謝している。それだけだった。
「……一つ、聞かせてもらえるかしら」
マリエルが、笑顔の仮面の下から問うた。
「あなた、なぜ敵の夜襲が分かったの? あの岩場は通れない、というのが軍の常識よ。柵も落石も、一晩で用意できるものではないわ」
「ああ、それは」
ダルクは頭を掻いた。
「着任してすぐ、暇だったので毎日岩場を歩き回っていたんです。そうしたら、鎧などを捨てて身軽になればどうにか通れる道筋が見つかって。僕が敵軍なら睨み合いが続いている今こそここを突くな、と。それで半月かけて、みんなで柵を作って待っていました」
事もなげに、ダルクは言った。
軍の常識を着任早々に自分の足で疑い。
敵将の思考を読み対策をしておく。
寄せ集め二百をたった半月で精鋭にした。
「すごいのは僕じゃなくて、うちの隊の皆ですよ。本当によく付いてきてくれた」
ああ、と三人は同時に理解した。
こいつは飾り物ではない。
‘’ 化け物だ ‘’
「おーい、ダルクッ!!」
守備兵たちがダルクを呼んでいる。ダルクは「それじゃ、また!!」と爽やかに頭を下げ、兵たちの輪の中へ駆け戻っていった。
兵たちに揉みくちゃにされ、肩を叩かれ、笑っている。貴族の指揮官なら決して許さない無礼を、ダルクは心底嬉しそうに受け入れていた。
その輪の中心を、三人は黙って見つめていた。
6
その夜。キリツグの天幕。
いつもの酒宴は、いつになく静かだった。
「……第七の戦果は、明日には全軍に知れ渡る」
コーエンが、杯も取らずに言った。
「二百で三千を退けた。損害は11名。指揮官は着任半月のダルク。戦史に残るぞ、これは」
「たまたまよ」
マリエルが言った。自分でも信じていない声だった。
「敵の侵攻路をたまたま見つけて、たまたま備えていた。それだけのこと」
「あの剣もたまたまか」
キリツグが低く言った。
「……俺には見えなかった。オークの首を飛ばした、あの一刀が。マリエル、お前には見えたか」
マリエルは答えなかった。それが答えだった。
「面白くないわね」
長い沈黙の後、マリエルがぽつりと言った。
「ええ、はっきり言うわ。面白くない。わたくしたちが二年かけて積み上げてきた場所に、あの男は半月で並んだ。いいえ」
並んだのではない。
その先の言葉を、マリエルは飲み込んだ。飲み込んだが、三人ともが同じ言葉を頭に浮かべていた。
「……まだだ」
キリツグが杯をあおる。
「まだ初陣がまぐれ当たりしただけだ。戦は一度きりではない。次も、その次もある。真価はその時に現れる」
「そうね」
「ああ、そうだとも」
三人は頷き合い、杯を重ねた。
だが、その願いが叶うことはなかった。
化けの皮は、剥がれなかった。剥がれるどころか真価を発揮した。ダルクはその後の戦のことごとくで勝ち続け、行く先々の部隊を精兵に変え、半年が経つ頃には、全軍の兵が「勇者の御旗のもとで戦いたい」と口にするようになっていた。
そして三人は、笑顔の仮面の下で、夜ごとの酒宴で、少しずつ、少しずつ…
ほの暗い感情が蓄積していった。
それがやがて何を生むのか、この時はまだ、三人自身も知らなかった。
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