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「これでよし、と……」


 ぱち、と糸の余りを切って、ハンカチを広げる。時間はかかってしまったけれど、満足いく出来栄えになった。真っ白な布地に新緑と青の糸が艷やかに映えて、まるで本物のローズマリーのよう。

 ティーカップに残っていたお茶を飲み干すと、控えの間のドアがノックされた。ソフィが顔を出す。


「マリ様、そろそろ……」

「ええ、大丈夫。ちょうど終わったところよ」


 奥の間に続く廊下は大きな窓がいくつも連なってできていた。今日は良い天気で、廊下は燦々と降り注ぐ陽光で淡く浮かび上がって見える。まるで女神が祝福しているかのように。


「……とうとう、この日が来たのですね」

「そうね。なんだか、あっという間だわ」

「マリ様は落ち着いてらっしゃいますね」

「そう見える? 落ち着いているというより、実感が無いだけなのだけど」

「そうなのですか? いたっていつも通りに見えますよ。でも、下手に緊張されるより良いかもしれませんね」


 会話をしながらもソフィが突き当たりのドアを開けてくれる。奥の間に入ると真っ先に目に入ったのは、布をたっぷりと使った白く輝くようなドレスだった。大きく広がるスカートは華やかだけれど、裾に施された精緻な刺繍と肩をなぞるように包むレースが神秘さを添えている。

 今日この日のためだけに仕立てられたウェディングドレスは眩しくて、胸の奥がキュッとなった。


(あの人は、褒めてくれるかしら)


 自然とそう思ったことに、驚きと照れが心を揺らす。私はもう、あの人のことを――。


(いけない。今は式に集中しなくては)


 頭を軽く振って、目の前のことに意識を向ける。結婚式は人生の節目であり、女神から加護を賜る神聖な儀式だ。うわの空で臨むわけにはいかない。

 侍女たちに手伝ってもらいながら支度を進める。コルセットは何度やっても慣れないが仕方がない。下着で体のラインを整えたら、次は髪だ。


「マリ様の髪はなめらかで、まるで銀糸のようでとてもお美しいですわ」

「ありがとう。いつもソフィたちが手入れしてくれるおかげね」


 丁寧に洗ってヘアケアをしてもらっているおかげで絡まったりしたことはないけれど、腰まである髪は量が多くて結うのは大変だ。結局、ソフィが指揮しながら侍女三人がかりで三つ編みに結ってくれた。難しかっただろうに、まとめられた髪は乱れひとつ無く背中へ流れている。

 そしていよいよプリンセスラインのドレスに向き合った。髪型を崩さないように侍女たちに持っててもらい、慎重に足を通し身に纏う。スカートを揺らすとシルク独特の光沢が辺りに光を散らした。見た目はふわふわとしていても、上等な布だから重さを感じる。それが気分を引き締めてくれた。


「……お綺麗ですよ、マリ様」

「ふふ、まだドレスを着ただけなのに」

「そうですね、でも、お綺麗です。すごく」


 ソフィの言葉に、他の侍女たちもうんうんと頷いている。単純な、でも心のこもった言葉に、顔が自然と笑みを浮かべた。


「ありがとう。さ、続きもお願いね」

「勿論です」


 メイクは清楚さを出すためにシンプルに品よく。元々の肌色が白いからそれをベースに、チークも淡いものを。目元は瞳に合わせたラベンダーグレーで、細かなラメを瞼に軽くのせた。ルージュのローズピンクは、唇に自然な艶を授けてくれる。

 三つ編みの髪へは小花のアクセサリーをあちこちに編み込み、繊細な植物の模様が施されたレースのカチューシャを着ける。艶のある銀の上に散らされたシルクの小花は、まるでそれ自体が光っているようにも見えた。


(この髪型、ラプンツェルみたい……なんて言っても、ここでは通用しないけれど)


 内心の僅かな郷愁を振り払うように、肘まである手袋を手に取る。カチューシャと同じ意匠のレースは滑るようなさらさらの手触りで、手を通すと指先まで神聖さが満ちるよう。

 仕上げは専用のジュエリーボックスの中。飾り気のないシルバーチェーンの先に納まる、小指の先ほどのエメラルドが陽光をまとって出番を待っていた。

 この国で「女神の瞳」と呼ばれるエメラルドは、女神の司る豊穣の象徴。新郎新婦が胸元にエメラルドを身に着け式を行うことで、女神の加護を賜ることができると言われている。白一色で誂えられた正装に一粒のエメラルドはとても映えて美しく、儀式の神秘性を高めるのだ。

 髪に引っ掛けないように首を通す。主役たるエメラルドは、胸元でひときわ明るく煌めいた。


「大丈夫ですか? どこか痛むとか、動けないとかはありませんか?」

「大丈夫よ。私、本当に花嫁なのね……」

「ええ。世界で一番美しい花嫁でございますよ」

「ソフィは大袈裟ね。でも、ありがとう」


 鏡の中の私は、花嫁らしい静謐な雰囲気を纏う落ち着いた微笑みを浮かべていた。




 侍女たちに先導されてチャペルの入り口に向かうと、テオは既に準備を終えて待っていた。白で統一されている軍服をベースにした正装は、すっと伸びた背筋と相まって彼をよりスマートに見せている。心臓の上辺りに留められたエメラルドのブローチがちらちらと光を反射していた。

 そういえば、正装を着ているところは初めて見る。訓練場で見た実用的な服も似合っていたけれど、見栄えを重視した飾りの多い格調高い服は、彼の凛々しさを強調するようでとても格好いい。騒がしくなる胸を隠して、彼の前に歩みでた。

 足音に気付いたのか、こちらを見た彼と視線が交わる。


「……妖精みたいだ」

「え?」


 思わず瞬くと、彼は一瞬目を逸らしてしまった。でも、おずおずと視線が戻ってくる。


「俺の柄じゃないのは分かっているんだが……なんというか、そういう言葉が今の貴女に似合うと思って。とても、綺麗だ。」


 赤い顔を隠すように片手で覆いながらも、真っ直ぐ私を見つめながら言葉を紡いでくれる。彼らしさの滲む言葉が心臓に響いて、顔が熱くなっていくのを感じた。


「……ありがとうございます。その、テオも、とても素敵です」

「ありがとう」


 それきり二人して黙り込んでしまう。場に漂った何とも言えない気恥ずかしい沈黙を、ソフィの咳払いが払った。


「そろそろお時間です」

「そ、そうね」


 扉の前に並んで立つ。深呼吸をして、差し出された腕を取った。扉が押し開かれる。

 チャペルの中は光で満ちていた。参列者の座席の間、大理石の床の上をベビーブルーのカーペットが祭壇まで続いている。正面奥のステンドグラスには女神さまが描かれ、その前にある祭壇では神父さまが待っていらっしゃるのが見えた。

 人の呼吸音と衣擦れの音しかしない中、水面のような青の上をしずしずと進む。頬に触れる空気は温かい。祭壇の前には、天窓から陽光が柔らかく降り注いでいた。その光の中へ、二人支えあったまま歩み出る。

 こつんという靴音が響いて、静寂に消えた。一瞬の間を置き、神父さまの温和な声が空気を震わせる。


「テオドール・ド・ヴァルモン。アマリル・フォン・アルデンベルグ。汝ら、寄り添い、互いに支え合いながら、これからの道を共に歩む事を誓いますか」


 隣を見上げた。焔のような赤と目を合わせ、しっかりと頷く。


「はい、誓います」


 二人の声が重なり広がると、神父さまはにこやかに微笑んだ。


「新たに生まれた夫婦に、女神の加護があらんことを!」


 その声を合図に、チャペルの鐘が鳴らされ窓が開け放たれた。万雷の拍手が響く中、吹き込んできた風がふわりと髪を揺らす。

 眩しいほどの光の中、見上げたテオの優しい笑みを、私は一生忘れないだろう。




「……やっと、落ち着きましたね」

「ええ……」


 披露宴というものは無いとはいえ、挨拶のために来る人の応対や親族揃っての食事会はある。主役として常に注目される立場なため一瞬たりとも気が抜けない。

 全てを終え、堅苦しい服を脱いでやっとゆっくり座れた時には、私たち二人ともぐったりと疲れ果てていた。それでも、心の中は温かく満たされて、自然と笑みが浮かぶ。テオのほうを見ると、彼も優しい顔をしていた。その表情を見るだけで心が震える。

 最初は、声にどうしても惹かれた。でも、少しずつ知っていったテオドールという人は、とても温かく実直で優しい人だった。今ではもう、ただ傍にいたいと私は思う。

 この気持ちを少しでも伝えたい。密かに手を強く握り、口を開こうとした、その時。


「テオドール様、失礼します」


 慌ただしいノックの音とエドモンさんの声に、二人して弾かれたように顔を上げた。


「何事だ」

「先ほど急使が来られて、魔獣の襲撃による応援要請が騎士団に届いたと」


 にわかにテオの顔が険しくなる。背筋をピンと伸ばし、エドモンさんに向き合った。


「場所は」


 エドモンさんはちらりと私の方を見た。嫌な予感に背筋を冷たいものが走る。


「アルデンベルグ領だと」

「!」

「なるほど。すぐ行くから準備を頼む」

「かしこまりました」

「マリ」


 振り向いたテオは、使命感に燃える騎士の顔をしていた。


「すまないが、俺は行かなければならない」

「分かっています」


 これが彼の仕事だ。王家に仕え、民を守るためにどんな時でも駆け付ける、誇り高き騎士。


「行ってくる」

「あ、待って!」


 私の言葉にテオは足を止めて振り返った。慌てて、今朝完成したばかりのハンカチを取り出す。無事を祈る気持ちが籠った、ローズマリーの刺繍。


「これを、どうか持っていってください」

「もしかして、この刺繡は貴女が?」

「はい」


 テオの手のひらにハンカチを乗せ、ハンカチごと手を包む。そっと額を寄せ、目を瞑った。


「貴方に女神のご加護がありますように」


 王都の騎士団に応援要請が来るということは、襲撃の規模が大きいということ。私兵団だけでなく、街にも被害が出ているのかもしれない。流された血、これから流れるかもしれない血を思うと胸が苦しくなる。


「……ありがとうございます。必ず帰ってきます、貴女の元に。」


 顔を上げた先の燃える赤には強い光が灯っていた。思わず伸ばしかけた手を、ぎゅっと握りしめる。

 テオは軽く屈み私の頬にキスを落とすと、部屋を出て行った。彼はもう、振り返らなかった。

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