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あぶない刑事と奥田民生

 水垢一つ無いビーエムは、『トランステクノロジー』の事務所の前についた。

 真っ黒なビーエムというのが、それだけで威圧感を生む、ような気がした。はったりでもなんでもいいから、こういうのも役に立ってほしい心境だった。

 わたしは、緊張していた。

「じゃあ、いくわよ」

上ずった声しか出なかった。

「行くぜ、ユージ」

「オーケー、タカ」

わかったから、それは。

「緊張をほぐしてくれてありがとう」

わたしはドアを開けた。『トランステクノロジー』の事務所は明りがついていた。二階の窓だ。表向き、何処にも『トランステクノロジー』などとは書いていない。

 夜の八時だというのに、ごくろうさま、とわたしは思った。

「二階に上がるわよ」

ビルの奥にあった階段に足をかけ二人をしたがえて駆け足であがる。勢いをつけないと踏み込めないような気がした。

 それにしても友美の父親というのも娘のためなら何でもあり、という態度が気に食わない。わたしの安全というのも少しは考えてほしい。

 ドアをノックして、わたしは『ワールドアカデミック通商』と書かれたドアを開いた。『トランステクノロジー』卒業者向けの怪しいマルチ商法の会社だ、と田辺は言っていた。セミナーで洗脳しておいて、ねずみ講をやらせようということらしい。

 よくあることらしいけど。

 そもそもアメリカでこの手の怪しいビジネスを始めたウイリアム・ペン・パトリックなる人物はエベレットが企画した『マインド・ダイナッミクス』という会社を今日のセミナーのような会社にしたのだが、その前は、マルチ商法の会社をやっていた。

 こうなってくると伝統ですらある。

「トランステクノロジーの鳥井っていう人に話があるんだけど」

わたしは普通の会社のようにパーテーションで仕切られた向こう側で書類を書いていた女性に言った。

 どうみても、わたしより年上には見えなかった。高校生がスーツを着ているようにすら見えた。

「そういった会社は知りませんが。なんのご用でしょうか」

主語と述語が矛盾している、と思った。そんな会社を知らないんなら用を聞いても仕方無いだろう。

 わたしは、ちょっと考えて演技モードでいくことにした。

「蓮田奈々が来た、と言っていただければわかるわ」

テレビの探偵みたいな言い種だわ。

「ご用件は?」

「鳥井氏に直接、話します。それとも、トラブルに巻き込まれたいかしら?」

いいわ。調子に乗ってきた。わたしは、ついでに口元に微笑みを浮かべてみせた。

「分かりました。しばらくお待ちください」

そういうと、その女の子は立ち上がり、奥の部屋に入って行った。

「奈々先輩、『トランステクノロジー』知らないって、あの人言ってませんでしたか?」

佐久間が、そう言うと、高橋がおかしそうに笑った。

「ダメダメですね」

わたしは、愛想笑いをしておいた。緊張感なくて助かるわ。

 奥のドアが開き、さっきの女性が顔を出した。

「鳥井と申す人間は、うちにはおりません」

わたしは、ちらっと佐久間と高橋を振り返った。目で合図して、つかつかとそのドアに向かって歩いた。

「あの、ちょっと」

女の子は、それまでの取り澄ましたような顔を崩して慌てた。

「どいて。いるんでしょ?鳥井さん」

「駄目です。この先は関係者以外は立ち入り禁止です。現行犯逮捕しますよ」

わたしは、きっと睨みつけた。一瞬だけ言い返そうかと思ったけれど、やめた。

「現行犯なら、民間人でも逮捕できるんです」

女の子は足を止めた、わたしを見て落ち着きを取り戻すと、そう言った。常套文句ね、それは。この人達に逮捕されると警察ではなくセミナーの事務所に連れていかれるらしいけど。それは、もちろん違法だ。

「鳥井さん」

わたしは壁に向かって声を出した。女の子は、この際、無視することにしよう。

「取り引きに来たんです。警察をからませる気はありません」

一気に、そういうと、ちらっと女の子を見た。あきらかに動揺していた。

「小早川さんの両親が、取り引きしたいと言っています。そっちにとっても、悪い話じゃないはずです」

女の子は、ちらちらとドアの中を気にしていたが、ついにそこから声がした。

「もういいよ。下がってなさい」

わたしは、ほっとしてため息をついた。女の子は、言われたとおり、自分のデスクに戻った。

「お入り下さい、蓮田さん」

再びドアの向こうから声がした。わたし達は、ぞろぞろとその中に入って行った。

「こんにちわ」

わたしは、笑顔を見せて言った。鳥井は、大きなウッドのデスクの向こうで王様のようなチェアーにもたれていた。

「ええ。こんばんわ、蓮田さん」

鳥井も笑顔で言った。カーペットはふかふかだった。と、次の瞬間、急に笑顔が消えた。

「メンツをつぶさないでもらいたいな」

わたしは、笑顔のままでいることにした。

「失礼しました」

そう言って、わたしはバッグを持ち上げた。そこから、おもむろにテープレコーダーを取り出し動いていることを確認した。

 鳥井は、それをちらっと見て嫌そうな顔をした。

「で、取り引きってなんのことだ?さっぱり分からないんだがね」

わたしは、テープレコーダーを持ったまま言った。

「先日はいろいろとお世話になりました」

鳥井は、わたしの目を見据えた。

「なんのことかな」

「止めましょうか、テープ」

そう言うとストップボタンを押してテープを引き抜いた。それを別々にバッグに戻す。

「取り引きをしたいんです。こちらには、五十万まで払う意思があります。それから、わたしも警察には行きたくありません」

剣呑な目のまま、鳥井はデスクごしに見据えた。

「それで、何が欲しい」

「友美さんに、今後一切、手を出さないという約束です」

鳥井はふっと笑顔を取り戻した。

「彼女は、自分の意思で戻ってきたがっていると思ったけどね」

わたしは頷いた。

「その件は、こちらで再び洗脳しますから」

にっこりと笑ってみせた。

「我々は洗脳なんてしてませんよ、蓮田さん」

「ええ。それについては気にしていません。とりあえず、手を出さないと約束して頂けるとありがたいんですが」

「百万だ」

唐突に鳥井は言った。

「五十万です。もっとも、わたしは当面の友美さんの安全を約束してもらいたいと思って来たんです。ここに五十万用意しています。これで駄目なら小早川さんは弁護士を雇うと言っています」

デスクの向こうでは、じっと考えている風のスーツが男を包んでいた。誰も何も話さない時間が流れていく。鳥井の後ろのガラスには明りが瞬いていた。下を走る車だろう。

 混雑しているのかしら。反射が多いわ。

「オーケー。当面は手を出さないと約束しよう」

「この五十万の代わりに、友美さんに、二度と手を出さないと約束してくれますか?」

わたしは、じっと鳥井を見て言った。鳥井は、あっさりと頷いた。

「ああ。出さないよ、二度とね」

どうせ口だけ、という感じもした。わたしはバッグの中から封筒を取り出した。それからテープレコーダーも取り出した。

「これ、二つありましたから」

そう言うとテープレコーダーを振り封筒をデスクの上に置いた。

「じゃあ、約束ですよ。さようなら」

わたしは、そういうとドアの方へ歩き出した。鳥井は大きく息を吸い込んだ。

「さようなら、蓮田さん。気をつけて、お帰りください」

わたしは振り向かなかった。高橋と佐久間は場違いなくらいにやにやしながら、わたしの後をついて来た。それからパーテーションの向こうにいた女性に佐久間が手を振って、

「またね」

と言った。わたしは、ちらっと振り向いて、事務所のドアを開けた。階段まで行くと、わたしは二人に振り向いた。

「落ち着いているわね」

わたしは、真剣な顔で言ったつもりだった。

「ええ。おもしろかったです」

「楽しいですね」

二人は本当に楽しそうだった。

「これからビルの外に出るけど、たぶんセミナーの人達がいるでしょうね。尾行するつもりなのか、わたし達を帰らせないつもりなのか分からないけど」

「まじっすか」

佐久間は、うれしそうに言った。

「鳥井の部屋から下の道路にたくさん明りが見えたわ。あんまり刺激しないでね」

「ええ。わかりました」

「高橋くんもね」

「ええ」

高橋は佐久間よりも緊張しているように見えた。

 ビルを出ると勢ぞろいだった。一様にジーンズと長ティーの軍団がわたし達を取り囲んだ。ざっと十二、三人。わたしは無視して通り過ぎようとした。

「待て。テープを置いていけ」

わたしは、ちらっとそっちを見た。何処かで見たような気がした。

「断わるわ」

そう言うと、わたしはバッグをしっかりと押さえた。

「困るんだ。テープを置いていけ」

わたしは、さらにバッグを押さえつけた。ジーンズとTシャツの一人が、それに手を伸ばした。さっと高橋が駆け寄って、殴りかかろうとした。

「待って」

わたしは、高橋を制した。

「渡すわ」

「奈々先輩」

佐久間は、驚いて言った。

「安全が第一なのよ」

そういうと、わたしはバッグからテープレコーダーを取り出し、カセットテープを引き抜いた。

「わたし達が車に乗り込むまで、動かないで」

わたしはテープを手に持ってそう言った。見た覚えのある顔が何人かいた。あの施設にいた連中だ。わたしはテープを高くかかげたまま、じりじりと動いた。場の状況に飲み込まれて男達は動かなかった。意味無いんだけど。このテープを壊されようと、それは彼等にとって悪いことでは無いのだが。

 高橋と佐久間は顔を見合わせて黙ってわたしについてきた。男達の輪を抜けると、わたしはテープを放り投げて車に走った。男達は、わっとテープに群がった。

 よかった、単純で。

 高橋と佐久間は、あっけにとられたまま車に駆け寄ると急いでエンジンをかけた。ビーエムのシルキーシックスがうなりをあげると男達は振り返った。

「待て」

馬鹿じゃないの?わたしは、後部座席でそう思った。高橋は、助手席から身を乗り出すと、

「付いて来るな」

と言って、拳銃を振り回した。いつの間に、そんなもの・・・。

 彼等は一瞬立ち止まったが、すぐに追いかけてきた。ビーエムは急発進しあやうく高橋は振り落とされそうになった。

「危ないことしないでよ」

わたしは、そっとつぶやいた。

「危ない刑事ですから。な、タカ」

「おう、ユージ」

わたしは、笑い出した。

「ところで、奈々先輩、あのテープは・・・」

わたしは、にっこり頷いた。

「もちろん最初のフェイクの方よ」

「何が入っているんですか?あのテープ」

にやにやして高橋は言った。

「奥田民夫」

わたしは、そう言うと我慢仕切れなくなって、声をあげて笑い出した。

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