心理学の応用です
話し合った結果、女の子の部屋に泊めるという案は却下された。
万が一、連れ戻しに来た場合に危険だからだ。その替わりアストの部屋へ、わたしと友美が泊り込むことになった。
本音を言えば、そうなるのが嫌だったのかもしれない。なんとなくアストといるのが苦痛だった。
彼が嫌いなわけではない。ただ落ち着いて彼と話せる時期ではないような気がした。けれども仕方が無い。
とにかく友美を絶対に一人にしないことが重要だった。サークルのメンバーが交代でアストの部屋で友美の護衛を兼ねて見張らなくちゃいけない。友美が突然に『トランステクノロジー』に連絡をとるかもしれないし勝手にいなくなるかもしれないからだ。期間は友美が頑固に主張したので、とりあえず一週間と決まった。
友美を永久的に『トランステクノロジー』から脱退するように説得するには短すぎると、わたしは思った。
それから大学のカウンセラーの浦上に連絡をとりアドバイスをあおぐことになった。彼なら、その方面に強い人を知っているかもしれない。
それだけのことが決まると、わたしは田辺に友美を見てもらって、アストと外に出た。いろんなことがあったのに、まだ午前中だった。よく晴れていて気持ちのいい朝だった。
「ありがとう、アスト」
わたしは、そっと言った。
「ああ。大変だったな」
「うん」
わたしは彼のほうを見ないで答えた。
「これからも大変だぞ」
「うん」
アストのアパートの通路から、わたしは遠くを見つめた。三階にある部屋を出ると隣の家の屋根の上から遠くに広がる山が見えた。
「友美さんのお母さんには、どう言えばいい?」
アストはタバコを取り出すと口にくわえた。
「わたしから電話するわ。彼女を家に帰すわけにはいかないわ。あの狂ったやつらが見張っているだろうし、友美だって目的がそもそも家の預金なんだもの」
「まあな。でも、会いたがるだろうな、小早川さん」
「本音を言えば、会わせたくないわ。二人は言い合いになるに決まっているもの。でも、そんなわけにはいかないでしょうね」
「そうだな。めんどうなことに巻き込まれたな、奈々」
「そうね」
わたしは手すりにもたれて山を眺めた。午前中の澄んだ空気に包まれて山はくっきりと見えた。茶色から緑に変わろうとする、そんな色をしていた。生命力がじわじわと溢れていく、そんな感じだった。
「誰かに押しつけてしまいたいわ」
わたしは、じっと山を見つめ続けた。
電話の向こうでは、友美の母親が取り乱していた。
午前中は寝て過ごして、もうすぐ夕方になろうという時間だった。たぶん、この人は、夕食にとんでもないものをこさえるだろう。混乱して、塩と砂糖を間違えるかもしれない、そのぐらい混乱しているように思えた。
『友美は、友美は、無事なんですか?』
「ええ。無事です」
『逃げ出してくるなんて、そんな』
「そうするしか無かったんです」
アストの部屋だった。友美とアストは、夕食の材料を買いに出かけていた。
『今、友美はそこにいるんですか?』
「いえ。買い物に出かけています」
『え?大丈夫なんですか、見つかったりしたら連れ戻されてしまう』
「大丈夫です。彼等は超能力者じゃないんですから。とりあえず、家のほうと、大学に近寄らなければ」
『でも、でも』
「大丈夫です。二十四時間、誰かが友美さんについていますから」
『会いに行ってもよろしいですか』
「尾行されなければ」
『尾行、ですか?』
「ええ。おそらく、その家は見張られています。彼等の目的はお金です。彼等が友美さんを離さないのも小早川さんの家にお金があるからです」
『お金で済む問題なら、いくらでもお支払いします』
「それは止めた方がいいです。限度が無いですから」
『じゃあ、じゃあ、どうすれば・・・』
「一週間ほど、こちらで友美さんを預かります。その間にカウンセラーを手配してください。大学の方へは仲介しますから」
『でも、あの団体が連れ戻しに来たら・・・』
「そうならないようにします」
『でも、でも』
「とにかく、一度専門の人に相談されたほうがいいです。わたしも、それほど詳しくは無いですから。とにかく、今、一番大切なのは、友美さんを『トランステクノロジー』と接触させないことです。まずは、ご主人と話し合ってください。こちらに電話していただければ、誰かが出ますので」
『でも、でも』
「それから、友美さんには、カウンセラーのことは内緒にしておいてください。とにかく時間をかけないと駄目なんです。」
『でも、でも』
「大丈夫です。時間をかければうまくいきます」
それから「でも、でも」と「大丈夫」を繰り返して、ようやく電話を切ることが出来た。わたしは、どっと疲れて床に倒れ込んだ。
日が落ちて、わたしは高橋と佐久間と一緒に車に乗っていた。友美達はアストの部屋にいた。新人二人では荷が重い、と田辺は言ったけれど、友美の世話だって新人二人には任せられない。だから、こうするしかなかった。
「じゃあ、本物の探偵みたいですね。」
と言ったのは、佐久間の方だった。
「本物よ、わたし達は。お金もらってやっているんだから」
佐久間はビーエムのステアリングを片手で回しながら、にやっとした。うれしいらしい。本物の探偵、というあたりが。
「佐久間くん、下の名前はなんていうの?」
「え?僕ですか?コウです。」
わたしは、一瞬だけ信じた。で、すぐに気がついた。
「嘘でしょ。それ、小説の探偵の名前よ」
「あ、バレましたか。本当は隆則です」
助手席の高橋が振り返った。
「タカのネタ何ですよ、佐久間公は」
「高橋くんは、佐久間くんをタカって呼んでいるの?」
「ええ。三日前からですけど」
「ふーん。高橋くんの下の名前は?」
「ユウジです」
あれ?
「それ本当?ネタなんじゃなくて?」
「本当です。で、この間、あぶない刑事っていう古い映画を見たんです」
「タカとユージ、なわけ?」
「ええ。三日前から」
大丈夫かなあ。こんな二人で。
「本当は、僕一人で、タカとユージでもいいんですけど。高橋雄二ですから」
あ、そう。
「それで、奈々先輩、僕らはどうしていればいいんですか?」
運転席の佐久間が言った。
「そうね。一緒についてきてくれればいいわ」
「黙ってついていくだけですか?」
今度は高橋が言った。
「ええ。わたしが無事に帰れるようにね。いざとなったら、守ってよ」
「もちろんです。な、タカ」
「当り前だろ、ユージ」
大丈夫かなあ・・・。




