突破する
道路に戻るのも一苦労だった。薮をかきわけるようにして、わたし達は道に戻った。棍棒で草をなぎ倒して進んだ。友美には棍棒のことは歩き易くするため、と言ってあった。武器だ、などとは言わない方がいいだろう、と思ったからだ。彼女に無駄な心配をさせたくない。余計な音は立てたくは無かったけれど言い訳だから仕方無い。それに、いっそ見つけられたほうがいいかもしれない。人数が少なければ勝ち目はある。
そう思わないと不安だったからだと自分でも分かっていた。
道路は歩き易く感じられた。相変わらず、ほとんど何も見えなかったけれど一歩一歩が不安無く出せるだけでも大きな違いだった。
「こんなところを歩いて大丈夫?」
友美がそう言った時、前方に光が見えた。
「待って」
わたしは急いで隠れるように言った。
茂みの中に身を隠し彼等が近づいてくるのをじっと待った。友美には、わたしの意図を隠しておいた。妨害されては困る。
足音と話し声が、だんだんと近づいてきた。おそらく、わたしが光を見た時、すでに五十メートルも無かったのだろう。向こうからこっちが見えた可能性は無い。
じっと息をひそめる。
どんどん近づいてくる。話し声は時々するだけだった。川の音が大きくて、小さい音までは聞こえない。ライトの数と時折ライトに浮かび上がる姿からして二人だと思ったた。
「友美」
わたしは彼女の耳元で、そっとささやいた。
「じっとして動かないで」
草むらに彼女の姿を隠し、わたしはそっと、その姿を目で追った。近くまでやってきて彼等の照らすライトが近寄り、わたしもふせた。ライトが草むらの中に少しだけ差し込んだ。その明りで、ほんのちょっと友美の顔が見えた。恐怖、それだけが見て取れた。
彼等が通り過ぎ、わたし達は、しばらく待ってから外に這い出した。
二人一組で行動していることは分かった。そうすると、あともう一組か二組に遭遇することになる。
二度目の遭遇も、うまく避けることが出来た。
わたし達は、大分自信がついてきてリラックスして歩き続けた。そろそろ捜索範囲を抜けたんじゃないかとさえ思い始めていた。
「友美、疲れたんじゃない?」
わたしは手を握っていた相手に言った。
「大丈夫。まだ歩ける」
おそらく、あの施設を出てから三時間は経っている、とわたしは思っていた。こういう状況では時間の感覚は分からなくなるものだったけれど友美が寝ていた時間や歩いた時間を計算したつもりだった。実質的に歩いたのが二時間だったとすると、午前二時過ぎだと思った。
丑三つ時ね、とわたしは思った。
けれど不思議と怖いとは思わなかった。
たぶん闇に慣れてしまったせいだろう。それに、もっと現実的な恐怖があった。風の無い夜で、あたりは静かだった。川の流れる音は、ずっとしていたけれど、その他は静かだった。
「寒いわね」
そう友美が言って、わたしは同意をした。とにかく寒かった。棍棒を持っている手は寒さでかじかんで、感覚が無くなりそうだった。二人とも寒さでがたがたと震えながら歩いていた。
最初のうちは走ったりしていたこともあったし緊張の連続だったから、それほど気にはならなかったけれど、その緊張が薄れてきて寒さが身にこたえ始めていた。
今度こういう脱出をする時は上着を着てこよう。
わたしは、ぼうっとそんなことを考えていた。もちろん、ジョークのつもりだったけれど洒落にならないくらい寒かったのだ。
ぼうっとしてきた意識のうちに、わたしは前方に明りを見た。
あ、家だと初めは思った。とうとう、わたし達は歩き通したのだと思った。けれど、すぐにそんなはずが無い、とわたしは思った。
たかだか二時間では十キロ以上も歩けたはずが無い。せいぜい五キロ。おそらくはもっと少ないはずだ。
ということは、それは施設の人達。
「友美。まただわ」
わたしはため息とともに言った。
「いつまで続くのかしら」
友美は悲壮感を漂わせて言った。
「さあ」
わたしは、そう答えて、しばらくその場に立ち止まったまま、じっと聞き耳を立てていた。
「こっちに来るような感じじゃ、無いわね」
わたしは、そっと友美に言った。
「そう言えば、そうね」
それに、その明りは今までのライトより全然明るかった。
「車かな」
ワンボックスに追い抜かれた、という事は無かったけれど、友美が眠っている間に彼等が再びわたし達の横を通り抜け検問をするかのように、そこに陣取った、というのは有り得るような気がした。
「友美、近寄ってみるしかないわね」
わたしは声をひそめて言った。友美は、しばらくの間じっと考えているようだったけれど、しぶしぶ同意した。川や山の中を歩いて避けるということは非常に困難だと身を持って知っていたからだ。
「じゃあ、ゆっくり行くわよ」
わたしは、かじかんだ手に息を吹きかけながら、足音を立てないように歩き出した。
緊張がみなぎる。寒さで震えていたはずの体が、それを止めていた。
彼等は何人いるんだろう。
わたしは、ぼうっと考えていた。
どうしてヘッドライトを点けっぱなしにしているんだろう。待ちぶせするつもりなら当然それは消していなくてはいけない。何か意図があるんだろうか。
その明りとの距離は、わたしの気持ちとは裏腹にどんどん近づいてきた。話し声が聞こえた。
わたし達は相手に気付かれないよう道の端に寄った。ヘッドライトは、川の方を照らしている。道路に対して垂直か少し斜めに止まっていた。話し声が聞こえるということは少なくても二人は車の外に出ているということだ。
わたし達は、さらに近づいた。ヘッドライトに照らし出されて三人の姿が見えた。車のルームライトが点けられていて運転席は無人なのが分かった。助手席にも人はいない。けれど残念ながらその後ろは分からなかった。
あのワンボックスだ。
とわたしは思った。後部座席にはシールが貼られていたから中は見えない。
「友美」
わたしは、そっと彼女の耳元でささやいた。
「ここで、待っていてくれない?」
友美は、首を振った。それから、わたしの耳に近づいて、
「一人にしないで」
と、言った。わたしは、再び彼女の耳に近づいて、
「じゃあ、彼等と戦える?」
と言った。友美は、じっと考えていた。それから、首を振った。ほんの至近距離だと、見えないわけではない。
「じゃあ、わたしが彼等を殴ったらどうする?」
わたしは、覚悟を決めて、そういった。
「どうするって?」
「友美がどう思うかってこと」
友美は、じっと考えていた。わたしは彼等のことが気になっ、気が気ではなかった。
「出来れば止めて欲しいけど、そうするしかないなら」
そっか。それならいい。
「じゃあ、作戦を話すわ」
わたしは、友美に手早く役割を伝え、それからわたし達は木の影に身を隠した。すぐに友美が叫んだ。
「逃げて!」
ま、叫ぶ内容はなんでも良かった。
ヘッドライトに照らし出された三人は慌てて声のした方に走り出した。そして、もう一人、車の中から、走り出してきた。
わたしは、木の影にじっと身を隠していた。
三人が走って来たが自分達が一体何処に向かって走っているのか気がついていないようだった。その瞬間、わたしは木の影から飛び出し、一番近くの男の頭に棍棒を振り下ろした。鈍い音がした。棍棒の狙いはそれて肩に当たったようだった。不意をつかれて、その男は道に転がった。先に走っていた男達は異変に気がついて、こちらを振り返った。
友美は、木の影に隠れたままだった。
「走って!」
わたしは、友美に叫んだ。友美は、車の方に走り始めた。わたしもすぐにそれを追う。車から走り出して来た男は、友美の行く手を遮ったけれど、棍棒を振り回している、わたしの姿に怖れをなして慌てて道を開けた。
あっけない、とわたしは思った。わたしと友美はワンボックスのドアを開けて飛び乗るとロックした。
「友美、後部座席もロック!」
わたしは叫ぶと同時に、かかったままだったエンジンを空ぶかしした。ディーゼルエンジンがうなりをあげた。ギアをバックにいれ、適当にクラッチをつなぐと、その箱のような車体は勢い良くバックした。
誰も轢いてませんように。
わたしは祈るような気持ちでブレーキを踏み、それからローに切り替えた。タイヤがきしんで車は路肩にはみ出るようにして向きを変えた。わたしは目一杯アクセルを踏み込んだ。エンジンが唸りをあげて、車が走り出した。
がりがり、と何かに接触する音がしてタイヤがきしんだ。慌てて二速にすると、せきこむようにエンジンが止まりかけたが、そのまま走り続けた。わたしは、また目一杯アクセルを踏み込んだ。
三速に切り替え、わたしはようやく落ち着き初めていた。
あっけなかったわ。
わたしは、余りにうまく行き過ぎたようにすら感じていた。
「奈々」
友美が後部座席の方から声を出した。わたしは、とにかく前を見つめたまま車を走らせていた。
あせるな、奈々。
わたしは、必死にそう自分に言い聞かせ、アクセルに置いた自分の足を浮かせた。こんなせまい山道で何キロだすつもりなの?
トップに切り替え四十キロくらいで走れるようになるのに、しばらくの時間が必要だった。そんなスピードで走る必要は無い、と一生懸命に自分に言い聞かせた。そうでもないと何処かで車を路肩に飛び出させてしまっただろう。
「もう大丈夫。もう大丈夫」
わたしは何度かそう言い、それから、ちょっと後ろを振り返った。怯えたような顔をした友美が見えた。
「奈々が棒で殴った人、大丈夫だよね?」
友美は、そう言った。
「ええ。命に別状は無いと思うわよ」
わたしは、そう言うのが精一杯だった。
「怪我したと思う?」
わたしは、じっとヘッドライトに照らし出される道路を見ていたが、そっと答えた。
「していたとしても、そんな大した怪我じゃないと思う」
まったく、根拠は無かった。力の加減なんかできるわけない。
「そう。良かった」
友美は、ふうっと息を吐き出した。
「あっけなかったわね」
わたしは、そう言うと、無性に煙草が吸いたい、と思っていることに気がついた。
無いだろうな、この車の中には。
「そうよね。うまくいったわね、奈々」
そう、うまくいった。相手が、襲撃されるとは思っていなかったからだ。それに車を強奪されるとは思っていなかった。それに最も重要な点は、彼等が素人だったことだ。
夜中に脱走した人を捕まえるなんていう体験をしたことが無いんだろう。
もちろん、わたしだって、夜中に逃げ回るなんていう体験はしたことは無かった。彼等とわたしとの違いは、それを計画し頭の中で何度もイメージしていたかどうかだけ。次々に起きる目の前の出来事に現実感を持てたかどうか。
だから、これが成功したのは運がよかったからじゃない。わたしは何度も頭の中でどうするかを決めていたし、その通りに行動した。彼等は指示をされて、そこに立っていただけだった。
「タバコが吸いたいわ」
わたしは、興奮している、と言った瞬間に気がついた。




