マインドレイプ
それから、何度か暴れて、それから眠って、目が覚めると食事が新しくなっていて、と繰り返した。何度だったかは、もう分からない。
最初に、わたしが暴れてから、わたしが起きているうちは、食事が届けられないというルールに変わったらしく、ベッドに横になっているうちに食事が運ばれてくるようになった。それから、部屋の鍵は、いつも開いていて、トイレにはいつでも行けるようになった。その替わり、誰の姿も見かけなくなった。
寝た振りをして、誰か来るまで待とうかしら。
そう思いながら、横になっていると、やっぱりいつの間にか眠ってしまっていたりする。それに、必ずしも部屋まで食事を届けてもらえるとも限らなくなった。廊下に置かれていたことも一度あった。
それにしても、何日たったんだろう。
でも、たぶん、本当は三日くらいなのかもしれない。
少なくても、一週間よりは短い。
アストは、助けに来てくれない。
もう、動く気もしなくなってきた。
どうせ、出られない。
ドアが開く音がした。
わたしは、少しだけ頭を動かした。
もういいわ。今がチャンス、なんて気にはならなかった。疲れていた。ろくな食事もしないで、気を紛らわせることも出来ないで閉じ込められている人間にとっては、何もかもが虚しい。
いいの。
このまま死ぬんだから。
もう、何も食べないことにしよう。
お腹が減っているのを我慢すれば、あとどれくらいで死ぬんだろう。
餓死って、苦しいのかしら。
でも、栄養が回ってないから、頭もぼうっとするし、あんまり苦しくもないのかも。即心仏ね。
それともミイラかしら。
でも、あんな姿で死にたくは無かったな。
ううん。
もういいの。
もう、動かないんだから。
「奈々。」
それは、最初、天使の声かと思った。まさか、声を掛けてくるとは思っていなかったからだ。それも、女性の声とは思わなかった。
「奈々。」
もう、死ねるのかしら。
「奈々。起きて。」
起きて?死ぬのに。
「奈々。起きて。懺悔の時間よ。」
友美?これは友美の声?
「奈々。」
わたしは、頭をひねって、薄汚れたシーツの影から相手を見上げた。薄暗いはずの電球が眩しく見えて、その顔がはっきりと見えなかった。
「友美なの?」
その天使は、そっと近寄ってきて、ベッドの端に腰を下ろした。その重みでベッドが揺れた。
「奈々。起きて。少し話をしましょう。」
わたしは、首を振った。
「奈々ったら。」
優しい声。
「いや。」
わたしは、シーツを頭から被った。
「奈々。目は覚めているのね。じゃあいいわ。そのまま聞いて。」
そっと柔らかい手が、わたしの頬を撫でた。
「これから、奈々は懺悔をするの。今まで生きて来た中で、後悔していることや失敗したことを反省するの。」
わたしは、再びシーツから頭を出した。今度は友美の目と目が合った。幻じゃないのね?
わたしは、ゆっくりと起き上がった。友美は、それをそっと手を添えて手助けした。
「懺悔?」
わたしは、そっとつぶやいた。自分の声に驚いた。わたしの声って、こんなだっけ?
「奈々。あなたは、今までにいろんなことを後悔しているはずよ。今回はいい機会だったわ。あなたの人生をゆっくりと振り返ることが出来たでしょう?」
友美は、わたしの髪をそっと撫でた。べとついていた。
「奈々。あなた、どうして閉じ込められたと思う?」
わたしは、思わず友美の顔を見つめた。どうして閉じ込められた?
「それは、あなたを・・・。」
友美は首を静かに振った。
「いいえ。あなたは、今までの失敗を繰り返さないように振り返るために閉じ篭ったのよ。」
「違うわ・・・。わたしは、あなたを・・・。」
友美は再び首を振った。
「あなたは、今まで後悔をしてきた。それを話して。そうすれば、ここから出られるのよ。」
「ここから、出られる・・・?」
「そうよ。懺悔をすればね。わたしに。」
「そうすれば、出られる?」
「ええ。」
「話すだけで?」
友美は微笑んだ。
「話すだけでは駄目よ。ちゃんとそれを自分で納得しないと。今までのことを懺悔して、それをちゃんと自分で納得しないと。」
わたしは、頷いた。
「さあ、それじゃあ、まずは立ち上がって。」
わたしは、言われるがままに立ち上がろうとした。その途端、目眩がしてわたしは倒れ込みそうになった。
柔らかい手が、そっとわたしの腰に回された。
「さあ。立って、歩くのよ。」
おそるおそる、わたしはそっと足を出した。
「いいわ。その調子。」
友美は、支えていた手をそっと離した。
「まずは第一歩。あなたはこれから生まれ変わるのよ。」
わたしは、何だかよく分からないけれど、うれしいような気分になった。どうしてうれしいのかは、よく分からない。考えようにも、ぼうっとしていて考えられない。
「奈々。体を洗いたい?」
わたしは、友美のほうを見た。首をひねって、それでバランスを崩してふらついたが、倒れはしなかった。
「体、洗いたいでしょ?」
友美の声に、わたしは頷いた。
「じゃあ、来て。」
わたしは、意識する前に歩き出していた。考える力が残っていないようにすら思えた。いや、その時は、それすらも頭に浮かばなかった。
部屋を出ると、階段のある方へは行かず、逆の方へ歩いた。わたしは、ちょっとだけ不安になった。友美は、ポケットからキーを取り出すと、隣の部屋を開けた。そこは、やっぱり、さっきまでの部屋と変わりが無いように思えた。違うのは、ベッドが無く、替わりにバケツが一つ、あることだった。
「服を脱いで。」
友美は、気軽にそう言った。さすがに、わたしもそれにはすぐに反応出来なかった。
「奈々、服を脱ぎなさい。」
友美は、少し命令口調になって言った。
「ここで?」
わたしは、つぶやいた。
「そうよ。一人では脱げないの?」
わたしは、友美の顔を見た。意思の強そうな表情をしていた。
「脱げないのね?」
友美は、困ったような顔をした。
「奈々、これは儀式なのよ。懺悔をすれば、上の部屋でシャワーをさせてあげる。でも、これは奈々が生まれ変わるための儀式。一人で脱げないなら、手伝うわ。」
わたしは、ためらっていた。確かに、体は洗いたい。でも、これはそういうのではない。第一、寒いじゃない。だって、まだ四月よ。
友美は、しばらく立っていたが、わたしが立ち尽くしたままなので、そっと部屋を出て行こうとした。わたしは、慌てて振り返った。一人になるのが怖い、とその時、初めて思った。また、あの孤独な監禁に戻されるのは嫌だった。
「大丈夫、すぐ戻ってくるわ。」
「待って、服脱ぐから。」
「いいの。手伝うから、少し待っていて。」
そう言うと、友美は部屋を出て行った。わたしは、呆然と、そこに立ち尽くした。何が始まるのか、それとも、何が終わるのか。それについて、考えようとした。
頭がぼうっとして、混乱する。
何が起きているの?
友美は、言った通り、すぐに戻ってきた。けれども、その後ろに、例の男達も一緒だった。
「彼らが手伝うわ。」
わたしは、友美を見つめた。
手伝う?何を?
わたしは、慌てた。
「自分で、自分で出来るわ。」
「いいえ、あなたは、自分では出来ないってさっき言ったでしょう。」
「違うの、ちょっと驚いていただけ。出来るわ。」
「いいえ、出来ないって言ったわ。」
そう言うと、友美は、男達に目配せした。わたしは、後ずさった。いや、こんなのはいや。
「お願い、一人で出来るから。」
友美は、首を振った。男達は、早くもわたしを取り囲み、ジャケットに手をかけた。
「待って、ちょっと。」
わたしは、その手を振りほどいた。それから、後ずさった。後ろに立っていた人にぶつかった。
「いや、お願い。」
友美は、大きく頷いた。
「分かったわ。あなたを苛めようとしているわけでは無いのだから。じゃあ、自分で脱ぎなさい。」
わたしは、大きく、何度か頷いた。男達は、わたしの回りから離れて、友美の後ろに並んだ。一言も口を聞かない。
「さあ。」
友美は、そう言った。
「その人達は・・・。」
「気にしないで。」
気にするなって、言われても・・・。わたしはためらった。
「奈々、最後のチャンスなの。早く決めて。」
友美は、ちらっとドアを見た。わたしは、恐怖心に駆られた。そっと、ジャケットのボタンに手をかけた。一つ外し、友美を見た。友美は何の表情も見せなかった。わたしは、目を閉じた。涙がこぼれてきた。
もう一つボタンを外し、それからもう一つ外した。それはとてもゆっくりした時間だった。これは、どう考えても異常なことだ、と頭の中で誰かが言っていた。けれども、わたしの手はゆっくりだったけれど、着実にボタンを外すという行動を続けていた。
恐怖、なのかもしれない。
この地下室に死ぬまで閉じ込められるという恐怖かもしれない。
今まで、わたしは孤独に慣れていると思っていた。一人でいても、寂しくは無い、と思っていた。とくに誰かと話さない日もよくあった。
けれども、それとは、ここは違う。
見えるのはコンクリートの壁だけ。太陽の光りも無く、時間の感覚さえ無い地下室。いえ、ひょっとすると、そこは地下室なんてものでもなく、何処か違う空間かもしれない。
わたしは、ジャケットを脱ぎ、それから、シャツを脱いだ。
ジーンズのボタンにかける手が震えていた。
何をしているの?
誰かが、またわたしの中で言った。わたしは、ジーンズのジッパーを下ろした。目は、開けられなかった。
これはおかしいわ。
また誰かが言った。わたしは、ジーンズを下ろし、それからそのまま座りこんだ。ブラジャーを隠すように、わたしは胸を手で覆い、それから、ようやくそっと目を開けた。友美と、その後ろで男達が見下ろしていた。
「それじゃあ、そっちの壁のほうへ。」
友美はそう言って、後ろの壁を指した。わたしは、胸を隠したまま、ゆっくりと立ち上がり、そっちへ行った。
男達が動いて、バケツを手に持った。気がつかなかったけれど、その後ろには水道の蛇口があった。わたしは、壁際で、再び座り込んだ。
いったい、どうなっているの?
わたしには、現実感が感じられなかった。まるで、夢の中の出来事のような、そんな気がした。
「奈々。これは儀式なの。あなたが、以前のあなたから、新しいあなたへ生まれ変わる儀式よ。」
そう言うと、男の一人に頷いた。ストーンウオッシュのジーンズの男だった。男は、バケツをつかむと、そこへ水道から水を入れた。わたしは、膝を抱え込んで、それをじっと見ていた。
男は、バケツを持ってわたしの前に立つと、いきなり水をわたしにかけた。バケツから直に。
急激な温度変化で、わたしは息が出来なくなった。頭からずぶ濡れだった。
「あ、あ。」
心臓が、激しく鼓動した。もう、本当に何がなんだか分からない。
男は、バケツを持って下がると、他の男にそれを渡した。その男も、バケツを受け取ると水道の前に行き、そこへ水を入れた。それから、わたしの前に立つと、一気に水を浴びせた。また、息が出来なくなった。水圧で、わたしは壁に倒れかかった。ブラジャーの肩紐が外れて、両脇に垂れ下がった。髪は、顔にかかって、前もよく見えなくなった。
それより、何がなんだか理解できない。
現実感は無いのだけれど、水の冷たさだけははっきりと分かった。それから、とても寒い。寒くて、わたしは震えた。腕が青く変わっていくのが分かるような気がした。
また、水がかけられて、わたしはその度に壁に倒れかかった。
「奈々、立ちなさい。」
友美の声が言った。わたしは、ブラジャーを押さえたまま、おそるおそる立ち上がった。その途端、また水が掛けられて、わたしはよろめきながら、座り込んだ。
寒くて死にそうだった。髪のすき間から、自分の胸を押さえた指が紫色なのを見ていた。
なんで、紫色なの?
「立ちなさい、奈々。」
再び、声がして、わたしは立ち上がろうとして、そして水がかけられた。わたしは、うずくまった。
「立ちなさい。」
声がして、立ち上がろうとして水が降ってくる。わたしは、もう、考えることが出来なかった。これは、いったいなに?
これは現実の出来事なの?
寒くて、意識が遠のき、わたしは、動けなくなった。




