酔いどれ探偵、捕まる
道に沿って歩いていくと、川は近くを流れていることに気が付いた。
大抵の場合、山の中に道を作るとき、川に沿って道路を作ることが多い。高低差が少ないからだ。浸食と堆積によって割に平坦なルートが最初から出来上がっている。だから、道路から川は近いことが多い。
だからといって、そこに降りられるかどうかは別の問題だけど。
谷筋に沿って道を作れば、高低差がありすぎて、降りるには危険な場合もある。
けれども、そこは、小さな流れで、道から水が時々見えた。
水深は深く無さそう。せいぜい深い所で二十センチというところ。もちろん、それより深くえぐれているところもあるだろうけど、道路から見えた所は浅かった。
あとの問題は、笹だか竹だかを掻き分けてそこまでどうやってたどり着くか、だけ。
どうせ時間はたっぷりあるんだから、とわたしは思った。なるべく川に近い所で行った方がいいわ。
そうやって、しばらく歩き続けた。バイクは木々に遮られて見えなくなった。
朝つゆが、まだ乾かないまま木の枝や、草の葉に残っていた。ひんやりとした空気が気持ちいい。
遠くからエンジンの音が響いてきた。これは、ディーゼルエンジンね、と思った。重たい金属が擦れあるような音がした。トラックかしら?
それは、すぐに姿を現わした。それを見た時、わたしは思わず、あ、と声に出していた。白いワンボックス。友美が乗っていったやつだ。
正面からやってくるそれの運転席と助手席には若い男がそれぞれに乗っていた。その後ろはカーテンに遮られて見えない。
どうしようか、と思ったけれど、道路の脇へ寄ってやり過ごすことにした。友美は乗っていないだろう。それに、こんな短時間で帰ってきたところをみると、その施設は近いのだろう。
どんな施設なのか、それとも、ただの宿泊所なのか、それは知らないけど。
それよりも、どうしてこんなに早く引き返してきたのか、その方が、ずっと気になった。
白のワンボックスは、スピードを落とした。助手席の男が、こちらを指差したのが見えた。その口が、「あの女だ。」と言っているように見えた。
まさか、わたしを?
ワンボックスは停車して、間発入れずにドアが開いた。
そんな、まさか。
わたしは、思わず走り出した。捕まったら最後、どうなるか分かったものじゃない。
「止まれ。」
そう言う声が、背後から聞こえた。わたしはもつれそうになる足を、さらに速く動かそうとした。その時、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
「待って、奈々。」
わたしは、思わず振り返った。そこには、助手席に乗っていた男がいた。
「きゃ。」
男は、わたしに飛びかかって、わたしはなぎ倒されるように道路に倒れ込んだ。
「なにするのよ、馬鹿。」
わたしは、そう言いながら、バッグで男の頭を叩いたけれど、男は無言でわたしのジャケットを掴んだ手を離さなかった。その表情には、なんの感情も写っていなかった。
「奈々。」
友美の声が、そう言った。わたしは、男の頭を叩き続けていた手を止めた。友美は、すぐそばまで歩いてきていた。
「ごめんね、奈々。話をしたいなって思っただけだったのよ。」
わたしは、無言でその顔を見上げた。すまなそうな表情が見て取れた。
「分かったわ。」
わたしは、抵抗するのをやめた。
「離してほしいんだけど。」
わたしは、ジャケットを掴んだままの男に向かって言った。男は、まずわたしの顔を感情のこもらない顔で見上げ、それから友美を振り返った。にきびの跡が残る、若い男だった。十八くらい、かしら?ストーンウオッシュのジーンズに、ペラペラのTシャツ。その上にはおった、デニムのシャツジャケット。わたしは、思わず興味を覚えて男の足元を見てしまった。
ああ、バスケットシューズ。
もてないんだろうな、この子。
「離してあげて、広崎君。」
友美は、静かにそう言った。ジャケットにかかった腕の力が抜けた。わたしは、それを振りほどいて立ち上がった。膝が痛かった。たぶん、すりむいているはずだ。右の肘も痛い。
「友美。」
わたしは、彼女を見つめるように言った。
「ごめんね、奈々。仕方無かったのよ。」
「仕方無くないわ。あなたが最初に降りてくれば、わたしだって走って逃げようとは思わなかったもの。」
友美は、首を振った。
「とにかく、一緒に来て欲しいの。お母さんに頼まれて、私を追ってきたのは知っているの。だから、一緒に来るべきなのよ。」
何が「とにかく」で、何が「だから」なのかよくわからなかったけれど、わたしは頷いた。どっちにしろ、四人の若い男が、わたし達を取り囲んでいた。それも皆、いちおうに無表情なまま。
ワンボックスの後部座席では何も話さなかった。友美も、じっと座ったまま、固い表情だった。
まずいなあ、と思っていた。
これでは、拉致だ。友美の声で、思わず振り返ってしまったけれど、間違いだったかもしれない。こんな山奥で、わたしはどうすればいい?
一つだけ、わたしにとって有利な条件は、アストに電話をしたことだ。わたしがいないことに気が付けば、何かあったのだ、と思うだろう。
そんなことを考えていたら、ワンボックスは停まった。白くペイントされた窓ガラスのせいで、外の景色はまったく見えなかった。
「降りて。」
友美は、そう言うと、わたしに開いたドアを指した。わたしは、おとなしくドアに向かって移動した。
こうなったら、とにかく友美と二人になって一緒に帰ることを説得してみるしかない。
車から降りると、そこには森の中に建てられたペンション風の建物があった。何台かの駐車スペースがあったけれど、停まっているのは乗ってきたワンボックスを除けば、銀色のメルセデスだけだった。その車の後部座席は真っ黒なシールドが貼ってあった。
「奈々には、アドバンスド・トレーナーに会ってもらうの。」
友美は、そう言うと、わたしの手を引っぱった。
「待って。その前にあなたと話をしたいわ。」
友美は首を振った。
「それは許可されないの。」
「誰が?」
わたしは、思わず聞き返した。
「とにかく、トレーナーと話して。わたしには、これからやらなきゃいけないことがあるの。」
「五分でいいわ。話すっていうまで動かないから。」
わたしは、友美の手を逆に引っぱって、その場に引き止めた。
「お願い、奈々。迷惑しているのよ、もう、わたし達。」
「じゃあ、もう五分だけ迷惑させてもいいでしょ。」
友美は困った顔をした。
「たったの五分じゃない。」
友美は、そわそわした様子で後ろを振り返った。そこには建物が建っていた。窓には全てカーテンが下りている。
「分かったわ、五分よ。」
そう言うと、友美はワンボックスの方へ歩き始めた。わたしは手をつないだまま、そっちへ歩いた。
「小早川さん。そんな時間は無いですよ。」
運転席にいた男が、わたし達に言った。友美は、振り返ると、
「すぐに行くわ。先に行っていて。」
とだけ言って、ワンボックスの影で足を止めた。
「五分だけだからね。」
時計を見て、友美は言った。わたしは、すーっと息を吸い込んだ。膝が痛んだ。
「尾行には気が付いていたのね。」
とりあえず、そう言った。
「ええ。あのバイクには見覚えがあったし。彼のでしょ。洋一君。」
わたしは、頷いた。
「彼は元気?」
わたしは、思わず友美の顔を見た。
「死んだの。交通事故で。」
友美は、寂しそうな顔で微笑んだ。
「そうだったわね。」
わたしは、背筋が寒くなった。これは、わざとだ。わたしを不安にさせようとしている。
「それよりも、今は友美のことを話したいわ。」
とにかく、そう言った。
「私?私なら大丈夫よ。順調よ。」
「お母さんが心配していたわ。」
友美は、皮肉っぽい顔で笑った。
「母のことはいいのよ。」
「どうして?」
へらへらと笑う友美の顔を見てわたしは聞いた。
「お母さんはね、わたしがいないほうがいいの。」
「どういうこと?」
「パパがね、昔、わたしにいたずらしたの。だから、わたしに嫉妬しているの。」
いたずら?嫉妬?
「何よそれ?」
それには、答えずに友美は建物のほうを振り返った。わたしは慌てて言った。
「ここで、何をしているの?」
「それは、言え無いことになっているの。」
「グランドルールってやつ?」
「そう。よく知っているわね。」
「まあね。自己啓発セミナーの本を読んだことがあるから。」
友美は、微笑んだ。
「私達は、そういうのとは違うわよ。もっと素晴しいの。世の中にはペテンがたくさんある。わたしは、そこから抜け出して、ウイニングフォーミラを見つけたの。」
「そうなの?でも、あなたの使っている言葉は、セミナーの人達と同じよ。」
「そう。でも、私達は、もっと違った世界を見るの。これから、そのトレーニングに入るところなの。」
「駄目よ。また今度にして、一緒に帰りましょ。」
わたしは、夢見るように語る、友美の話を切った。友美は、きっとわたしを見た。
「いいえ。私は、ここに残る。」
「あなたは今、一時的に気分が高揚しているだけよ。」
友美は、きっとわたしを睨みつけた。
「友美、そのトレーニングはまたいつでも出来るわよ。今日は帰りましょ。」
友美は首を振った。それから、ちらっと腕時計を見ると、
「時間だわ。わたしは、あなたの望みをかなえたわ。だから、今度は奈々が協力する番よ。」
そういうと、わたしの手を掴んで歩き出した。
わたしは、ため息をついて、引っぱられるままにした。




