カウンセラー
水谷教授は、研究室にいた。わたしは、あんまり会いたくは無かったけれど、友美も同じゼミだったから会うならこの人でしかありえなかった。もっとも、友美が卒業したのは去年の四月で、わたしは今年の四月。わたしは一年留年している。その間、ゼミにはほとんど顔を出していなかったから、友美ともほとんど会っていなかった。だから、友美に何が起きたのか、全然知らない、というわけだ。ただ、去年一年間で、友美の話題がほとんど出なかったことを考えても、その前の一年間に特に取り立てて友美の問題がゼミ内で問題を起こしたようには思えなかった。ゼミには二年間在籍するのだし、去年、わたしが一緒に卒業した人達が、特に友美の噂をしていたわけでもないことから、わたしはそう思った。
案の定、水谷先生も友美がカルトのセミナーに行っていることを知らなかった。ただ、水谷先生は、一つだけ気になることを言った。
「そういえば、カウンセラーに、良く相談に行っているようだったなあ。」
六十に手が届こうかという年齢だというのに、ピンクのネクタイをした教授は、ぼうっとした顔で言った。
「カウンセラー、ですか?大学の?」
「そう、大学の。浦上さんだったかな。」
杉並大学では、カウンセリングセンターが設けられており、そこで様々な相談をすることが出来るようになっていた。そこでカウンセリングをするのは、心理系の教授、助教授、講師で、専任のカウンセラー、というか、それだけを仕事にしている人はいなかった。
私立の大学では、特別に予算を組んで、専任カウンセラーを置いている所もあるようだけど、2流国立大としては、こういうシステムだった。良いのか悪いのかはよくわからない。教授がカウンセラーなら、その技術は高いだろうと思うし、でも、大学の生活に関して、客観的な見方が、必ずしも出来るかどうか。
例えばセクハラとか。
とにかく、水谷教授も、カウンセラーの一人だった。浦上、というのは、確か30くらいの若い講師だったんじゃないかな。
「浦上君なら、ひょっとして何か聞いているかもしれんなあ。蓮田くん。ちょっと聞いて来たら?」
わたしは、デスクの上の論文が気になって仕方がない、という様子の水谷先生に気を使って、はい、そうします、と言って退室した。
記憶では、『杉並大学学生相談室』は文学部棟の一階の隅だったはず。わたしはそこへ向かって歩いた。時間は午後の4時だった。浦上先生がいなかったとしても、誰かはいるだろう。アポは取らなくちゃいけないだろうか。まあ、それも、その時取ればいいか。
とにかく、そこへ行くと、ドアは開いていた。
「すみません。浦上先生いますか?」
わたしは、そこに座っていた女性に言った。眼鏡をかけた30くらいの女性は、鼻にかけた眼鏡の奥から、わたしはじろりと見た。品定めをされているように感じた。
「今、カウンセリングしてるわ。予約は?」
「無いです。あ、カウンセリングじゃないんですけど。」
「ゼミの子?」
「いえ、そういうわけでもないんですけど。友達のことで、お聞きしたいことがあって。」
「友人関係で悩んでいるのね?」
「いえ、そうじゃないんですけど。」
「大丈夫。カウンセリングって怖いものじゃないわ。今日は、もう駄目だけど、明日なら予約が空いているわ。明日の4時からでいいかしら?」
「いえ、そうじゃないんです。以前、浦上先生にカウンセリングしてもらった友達が、今ちょっと問題を抱えていて。彼女は直接こちらに来られないし、わたしも連絡を取れないから、何か手がかりでも、と思って。」
彼女は、再びわたしをじろりとずらした眼鏡の上側の縁から見た。
「一応言っておきますけど、ここでのことは、一切話せないことになってるのよ。」
「ええ。知っています。」
「じゃあ、浦上先生にも話すことは無いと思うけど?」
わたしは、どう言っていいものか悩んだ。こっちも、あんまり友美のことをぺらぺら話すわけにはいかない。
「分かりました。じゃあ、ここで待ちます。」
30くらいの眼鏡の女性は首を振った。
「聞いて無かったの?カウンセリングの内容は話せません。」
「ええ。でも、わたしが一方的に話す分には問題無いでしょう?」
わたしは、そう言って、そこのビニール張りベンチに座った。彼女は大げさにため息をついて、それから、
「あなた、学部は?」
と聞いた。
「文学部です。」
「名前は?」
「蓮田奈々。」
あ、わたしはもう、ここの学生じゃないんだっけ。
「蓮田さん。そのお友達の名前は?」
今度は、わたしが彼女をじろり、と見る番だった。
「それは話せません。彼女のプライバシーもありますから。」
呆れた顔で彼女は、わたしの顔を見た。わたしは、持ってきたバッグから、ロアルド・ダールの短編集を取り出して読む振りをした。視線を痛いほど感じた。
三十分ほどしたころ、男の学生が一人出て来て、わたしをちらっと見てから出て行った。わたしは、さっと立ち上がって、そのドアに向かった。
「ちょっと。」
さっきの女性が声を上げたが、わたしは構わずドアを開いた。
「すみません、浦上先生ですか?」
デスクの上の書類をそのかたわらで整理していた男性は、ぎょっとした様子で振り返った。
「誰だ、きみは?」
わたしは、その隙に部屋に入り、後ろ手でドアを閉めた。
「すみません、突然に。急いでいるので。」
浦上は、憤慨した様子で書類をデスクに音をたてて置いた。
「わたしも、急いでいないわけでは無いよ。」
「申し分けないと思っています。けれど、以前、浦上先生にカウンセリングしてもらった友人が、自殺しようとしているんです。」
わたしは、静かにそう言った。
「自殺?誰が?」
浦上は、急に慌てた様子でわたしに向き直った。
「小早川友美、という子です。去年卒業しました。」
「小早川・・・。ああ、あの子か。」
浦上はぎゅっと目を閉じて、それからその両目を右手で押さえ付けた。それから、小刻みに首を振ると、わたしに椅子を指した。
「座りなさい。話を聞こう。」
「すみません。」
わたしは、すすめられた椅子に座った。その途端、ドアが開いて、さっきの女性が入ってきた。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
そう、浦上に言った。
「ああ、大丈夫。」
そう言うと、浦上は、ありがとう、と言って女性を追い払った。
「強引に入ってきたね、きみは。」
「すみません。」
「まあ、いい。で、小早川さんがどうしたって?」
「彼女、今、『トランステクノロジー』っていうセミナーに通っているんです。それで、今日、自殺をほのめかしたメモを置いて家出したんです。」
「今日、かね?」
「ええ。」
「セミナーと自殺とは関係あるのかね?」
「いえ、まだわかりません。わたしは、友美のお母さんに相談されて、いろいろな人に話を聞いているんです。」
「ほう。ひょっとして、あの探偵のサークルか?」
疑わしそうな目でわたしを見た。
「ええ。そうです。でも、友美はわたしの友人でもありました。同じゼミだったんです。」
「水谷教授のところか。小早川さんのことは、個人的な相談なんだな?」
「ええ。」
わたしは嘘をついた。
「よろしい。で、わたしに何が出来る?」
浦上は、対面する椅子に腰掛けた。
「わかりません。まだ、彼女の居場所さえ分からないので。」
「そうか。分かったら教えてくれるかな。」
「ええ。」
わたしは、そうつぶやくと、じっと浦上の顔を見た。なんの表情も読み取れなかった。
「浦上先生、友美がセミナーに通っていることはご存じでしたか?」
浦上は、じっとわたしのことを見つめた。
「いや。だが、気にはなっていたんだ。あまり進展のないまま卒業してしまったから。」
「進展?」
「ああ、カウンセリングだよ。」
「友美は何を相談に来ていたんですか?」
浦上は、軽く目を閉じて首を振った。
「それは言えないよ。秘密厳守でね。」
「そうでしたね。じゃあ、友美を見つけたら、彼女をセミナーから離すのに協力してもらえますか?」
浦上は頷いた。
「もちろん協力しよう。本当は学外の人間は対象外だが今回は特別だ。」
「ありがとうございます。」
浦上は、頷くと立ち上がった。
「じゃあ、また連絡してくれ。」
そう言うと、デスクの上の紙片を一枚取り上げた。
「これ、携帯の電話番号が書いてあるから。いつでも電話してくれ。」
「すみません、ご無理を言って。」
「いいんだよ。」
わたしは、立ち上がり、それから一礼して部屋を出た。




