偽りの正解と嘘の答え①
『スティぃ、聞こえるぅ?』
携帯から間延びした女の声が聞こえてきた。妨害対策に動いている《白百合》社の二番手だ。
『お邪魔虫は〈死神〉さんと一緒に足止めしておくからぁ、思いきり暴れちゃってぇ』という声に、スティは「了解」と応えて通話を終える。
「お仲間との最後の語らいは終わったのかい?」
スティが通話を終えるまで、フィオナは落ち着き払った物腰で仁王立ちしていた。
二人が対峙している場所は、人っ子一人見当たらない倒産した遊園地だ。回転木馬や珈琲杯に観覧車が、巨人の遺骨のような物悲しさで風雨に晒されている。
スティとレイティーセ、そしてフィオナが、二等辺三角形となって向かい合っていた。
「お生憎様。私はこれが最後の語らいだなんて思ってないわ」
スティは『十分間も変身していられない』というシェラの忠告を思い出す。どういう仕組みか分からないが、マグニクスには兵錬武の活動時間を縮める能力があるのだろう。
だったらフィオナの落ち着き振りにも納得できる。余裕があるのだ。フィオナは時間を潰し、レイティーセの活動時間がつきるのを待っているだけで、勝利を得ることができるのだ。
初遭遇時の猛攻は短期決戦狙いではなく、こちらを変身に追いこんでいたのだ。
(だったら!)
スティとレイティーセは疾風となって駆け出した。
後手に回るのは愚策だ。マグニクスが活動時間を短縮させるのなら、こちらから攻めて活動時間がなくなる前に勝負を決めればいい。決めるしかない。
スティとレイティーセがフィオナの左右から同時攻撃し、フィオナが両腕を使って受け止める。しかしレイティーセの膂力に押し負けて体勢を崩し、そこへスティの拳が腹部に直撃。
背後に跳び退ったフィオナの口から、滝のように赤い血が流れ落ちた。
「攻めどころのはずの本体自体が、兵錬武と互角の戦闘力に最適化されてるだと……っ!」
フィオナは左腕を横一閃。飛翔した銀の炎が回転木馬を横薙ぎにし、馬の首が次々と刎ね飛ばされる。しゃがんで銀の炎を掻い潜ったスティの足払いを後方宙返りで回避。
空中にいるフィオナに照明灯の鉄柱が銛となって投げつけられるが、銀の炎によって先端から根元まで一気に焼き消されてしまう。
マグニクスの能力は厄介だ。一撃必殺の炎を防御にも使ってくる。攻撃こそ最大の防御を地でいく戦法だった。
着地したフィオナと二者は即座に距離を詰める。スティの貫手がフィオナの顔面に突き出され、これは首を傾げて回避。同時にレイティーセが放った膝蹴りを左掌で受け止めて防御。
フィオナの全身から炎が噴出し、一人と一体は即座に離れる。
それより早くフィオナの手が伸びてスティの右手首を摑んだ。マグニクスの体を伝ってスティに銀の炎が燃え移り、瞬時に水ぶくれと異臭が広がる。
その場に赤が飛び散った。レイティーセの手刀が主であるスティの右腕を肘で切断したのだ。炎に包まれた右腕が捨てられ、炭化して灰となる。
スティとレイティーセが態勢を立て直すために距離を取る、その時間を利用してフィオナは次の一手を打ってきた。拳に炎が灯され、瞬く間に大火球となる。
スティに避ける暇などなかった。放たれた大火球は一瞬でスティを呑みこみ、進行方向に位置していた幽霊屋敷に直撃、貫通。幽霊屋敷に巨大な風穴を開けて炎上させる。
轟々と燃える炎の奥から、スティとレイティーセは何食わぬ顔で姿を現した。
レイティーセの形状が変化していた。細身の女ではなく逞しい男となって、スティを内部に収納して防護していたのだ。
「遠隔操作型で可変型、しかも攻防一体か。珍しい兵錬武を持ってるじゃない」
フィオナの視線はスティ自身にではなく、その足元に向けられていた。敷石の沸騰によって可視化された炎の軌道は、直線ではなく大きなしなりを見せていた。
そこから導かれる結論は一つ。耐えるのではなく、炎の軌道が逸らされたのだ。
遠距離攻撃に対して絶対的な防御を持つ両者は、近接格闘で相手を圧倒するしかなくなっていた。腕力と連携はスティとレイティーセが上手、火力はフィオナが勝る。
「だったらアタシが有利だ」
マグニクスの全身を拘束していた螺子が緩んだ。装甲が展開し、輪郭が一回り巨大になる。
「これがアタシの最大稼動だ」
フィオナは勝利の確信を口に出す。
「変身時間の三分間分を消費して、三分間だけ全ての能力を強化することができる。攻撃力、瞬発力、運動性能、」
フィオナの手に炎が灯された。人間一人分を呑みこむ大きさだった炎は、瞬く間に大熊を呑みこむ巨大さへと膨れ上がる。
「そして勿論、炎の出力もね」
厚い扉が破壊され、暗闇にロナが飛びこんできた。すぐさまシェラとクラーブも姿を現す。
天井で弾けるような音が連続。カスツァーの手によってつけられた照明が周囲を照らす。
そこは煌びやかな劇場だった。階段状の段差がつけられた床に、夥しい数の椅子が放射状に並べられている。壁からは二階観覧席が迫り出し、豪奢な垂れ幕が下がる。
そして舞台の中央には、役者のような傲然さでロナが立っていた。
「シェラ、躊躇っているようですね」
ロナに内心を見透かされ、シェラは息を呑みこんだ。いくら《白銀の影》の一人とはいえ、親友とは戦えない。親しい人物を自らの決意で殺めたディードに、今さらながら畏怖を覚える。
それはロナに対しても同じだ。全身から隠しようがないほどの殺気と敵意を溢れさせている。シェラとは違い、親友を手にかけることを微塵も躊躇ってなどいない。
「ロナは本気なんだな」
「それがワタシの選択です」
ロナは苦さと固さを等分して口を開いた。
「ワタシは、本来なら姉さんたちを止めるべき立場にいたのでしょう。そして二人を止められる唯一の人間だった。
だけどワタシは答えを出せなかった。姉さんたちの復讐心を知りながら、その憎悪の大きさを実感できないでいた。計画には乗り気でなかったのに、かといって止めもせず、手助けまでしていた。
そのどっちつかずなワタシの態度が、アイゼリカ姉さんを死なせてしまった」
ロナの口から後悔と自責が溢れ出す。それは懺悔の言葉であり、断絶の言葉であった。
「アイゼリカ姉さんを失ったワタシは、そこで初めて憎悪と復讐心を知った。だから止める道なんて選べなかった。シェラを殺してでも、姉さんたちに復讐を遂げさせてあげるのよ!」
シェラはロナの気迫と決意、殺意と敵意に圧されて、眩暈を起こしそうになっていた。
「シェラ、何も考えるな」
シェラを迷いの中から連れ出したのは、傍らから聞こえた力強い声だった。
「お前は私の指示にだけ耳を傾けていろ」
クラーブはシェラの決断を肩代わりすることで、罪の意識まで肩代わりするつもりだ。
夫の気遣いに、しかしシェラが返したのは「断る」という拒否だ。
「すでに言ってあると思うが、私は貴方のお節介が一番嫌いなんだ」
シェラの口調は普段通りの淡々さだ。しかしその横顔には不敵さが浮かべられている。
「それにこの程度で泣き寝入りしては、凶暴眼鏡にしめしがつかない」
そしてクラーブと対等な関係ではいられない。シェラがクラーブのお節介を嫌うのは、クラーブから対等な関係として認めてもらいたがっているからに他ならないのだ。
「親友の間違いを止めるのは、私の務めだ」
開戦の狼煙は、ゼドノギラスの硝煙とともに上げられた。
三人はそれぞれに移動を開始。シェラとクラーブはロナを中心とした直角線上、十字砲火の位置に。ロナは同士討ちを狙って二人の直線上に。
攻めるロナから二人が逃げる形となる。
クラーブが右腕と一体化した回転砲をロナに向けた。進行方向を遮断する形で弾丸が降り注ぎ、観客席が木っ端微塵に粉砕される。
ロナが劇場に追いこまれたのではない。ロナが二人を劇場に誘いこんだのだ。それには見るからに鈍重そうなエイルミーズの機動力を、足場の悪さで奪う目的があったのだろう。しかしそんな算段などお構いなしに、エイルミーズは足裏の履帯を回転させ、段差も客席も見境なしに轢き潰して進んでいく。まるで移動銃座のような兵錬武だ。
逃げるロナは後方跳躍、二階観客席を蹴ってさらに上昇。劇場の天井に着地して逆様となる。
十字砲火が防御に有効である理由は、二方向からの射撃によって死角がなくなるためだ。
しかしロナはその必勝戦術を立体の動きで攻略してきた。エイルミーズの砲身は巨大すぎ、上方に照準を合わせるのは不得意だ。上への射撃は精度が落ちるのも自明の理。
クラーブの射撃を封じたロナは、シェラへと一直線に急降下して眼前に降り立つ。剣から銀血が迸り、銀の鞭の先端が弧を描いて円となり、高速回転。鞭+丸鋸のヨーヨーが横薙ぎされ、遠心力と回転の相乗効果によって凄まじい切断力を発揮。観客席の林が横一文字に伐採される。
観客の惨殺を幻視させるような、凄絶な切れ味だった。
シェラは道化師めいた身軽さで跳躍してヨーヨーを回避していた。空中で回転を続けながら、地上のロナへと全身からの銃撃を見舞う。
ゼドノギラスのこめかみに位置した第三第四の目は高性能の照準機となっている。さらに全身に施された姿勢制御機構によって、いかなる体勢、状況においても、正確無比な射撃を可能としていた。
ロナは銀血の鎧をまとって弾丸を防御。銀粒子との激突で火花が流血される。
着地したシェラは横移動を行いつつ左腕から連続発砲。左腕の十二発を使いきり、旧式回転弾倉を排出。弾倉が自動装填される間も惜しく、シェラは右腕をロナに向ける。
ロナは鎧を脱ぎ捨てて身軽になり、最大速度でシェラへと接近。すれ違い様に剣を振り抜く。シェラは闘牛士のような身のこなしで剣を回避し、反転して右腕を向け、即座に前転。背中合わせに回転扉の要領でシェラと位置を入れ替えたロナが、後頭部に刺突を放ってきたのだ。
そこにクラーブが突っこんできた。兵錬武の別名を体現する戦車のような突進だ。津波のように観客席が蹴散らされる。
ロナは大きく飛び退って突進を回避しつつ、銀血のヨーヨーでクラーブを横薙ぎ。血飛沫のように火花が飛び散るが、浅い。重厚かつ銀血の通っていないエイルミーズの装甲は、シャルピニオの能力と相性が悪かった。
シェラとクラーブが背中を密着させ、その場で旋回。クラーブの回転砲が地上を薙ぎ払い、シェラの全身から弾丸が空中に放たれる。逃げ場など与えない全方位攻撃だ。
観客席が粉砕され、垂れ幕が蜂の巣となり、照明が割れ砕け、シェラとクラーブの人工視界に映された残弾表示が目まぐるしく減少していく。
弾丸が底をつき、回転砲が気の抜けた音とともに空回り。二人の体から立ち上る硝煙によって、周囲は濃霧のような白さに包まれていた。
シェラの全身から弾倉が排出され、クラーブの背負っていた弾薬庫が落下する。
その瞬間を狙いすましたかのように瓦礫が弾け飛び、中からロナが飛び出してきた。ロナは必殺の気迫でクラーブに剣を突き出し、
乾いた音が弾けた。シェラの左手首から硝煙が上がり、ロナの腹部から銀血が溢れる。
「乱射が止められた場合、相手は弾丸を温存していると考えたほうがいい」
弾倉に残された最後の弾丸を撃ち終わり、シェラの左腕から弾倉が排出された。
真製兵錬武相手に手を休めるほど思い上がってはいない。続けざまにクラーブが最大稼動を発動する。エイルミーズの右腕が変形し、内部から榴弾砲が出現。本来は遠距離爆撃用の兵装だが、これだけ接近していれば近距離でも充分に命中する。
発射された榴弾がロナに命中し、硬い弾頭が胸部を砕いて内部に埋没。一拍遅れて信管が作動し、ロナは木っ端微塵に砕け散った。




