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彼方の世界①

 それは巨大な箱だった。そうとしか表現できない建物だ。壁は起伏のない平面で組み上げられ、機密保持のために窓もない、まるで標本箱のようなただの白い直方体。

 ソニス市の外れに立つその建造物こそ、《ゾルキス軍事開発工業》の支社工場である。

 その《ゾルキス》社の受付に女が姿を見せたのは、昼頃になってからのことだった。髪の毛を桜色に染め、筋肉質の長身をボディスーツに包んだ野生的な女だ。

「《ミリオンAC》のフィオナ・オーベルだ。至急、アンス・ザッカーマン氏に取り次いでもらいたい」

「しょ、少々お待ち下さい」

 受付嬢は大手ACCの来客に戸惑いを見せた。重役以上には約束のない者を取次いではならない規則だが、《ミリオンAC》の名は考慮に値した。

 自分の権限では判断できかねる。受付嬢は電話越しに二言三言言葉を交わし、頷いた。

「係りの者がご案内致しますので、しばらくお待ち下さい」

 数分、いや数十秒が経過し、制服に身を包んだ青年が姿を見せた。青年はフィオナを先導し、会談場所へと連れていく。

 長い廊下を歩いている間、フィオナの中では様々な思考が渦巻いていた。

 全ての始まりは八年前に始まった。家族を虐殺され、絶望の底にいたフィオナは、温かい思い出の残るエネルゲイトから逃げるようにソニス市に流れついた。そしてアイゼリカと出会い、もう一人と出会って、それなりに楽しい日々を送っていた。

 もう新たな人生を歩んでいるのだと、絶望はなくなったのだと、そう思っていた。

 しかし半年前、《新生の轍》と名乗る人物から真製兵錬武と復讐相手の情報を提供されて、そこで改めて自分たちの中に巣食っている復讐心を実感した。

 一度始めてしまった復讐は、もう自分では止められなくなっていた。そしてアイゼリカを失い、自分たちは引き返せない線をとっくの昔に踏みこえていたのだと突きつけられた。

 フィオナが回想を終えるのと、第二会議室と銘打たれた扉についたのはほぼ同時だ。静かに扉が開けられ、しかしそこにザッカーマンの姿はない。代わりに数人の男女が緊張した面持ちを並べていた。

「こりゃ、一体どういうことだい?」

「フィオナ・オーベル。貴様を《白銀の影》事件の最重要被疑者として連行する」

 背後で青年が制服を脱ぎ捨てる。現れたのは縦縞の背広を着た妙齢の女性、シェラだ。

「すでにお前が銀炎であることは暴かれている」

 クラーブは懐から紙片を取り出した。正式な文書ではなく、覚え書き程度の品だろう。紙片にはウルの筆跡でこう記されていた。


✓会談時間が繰り上げられ、聖銀の時間を稼ぐために銀炎が足止めに現れる。

✓なら、《白銀の影》はどうやって予定の繰り上げを知ったのか?

✓アイゼリカからの情報じゃあない。休暇を言い渡されていた彼女に、予定の繰り上げを知る方法はないからだ。

✓ザッカーマン、もしくは《厄介者の群》の動向を把握している人物が不可欠だ。


 そこで走り書きは終わっていた。

「ウルトルガは《厄介者の群》を監視しているACCの中に、《白銀の影》に関係している人物がいると踏んだ。それがお前だ」

 これ見よがしに突きつけられた不在証明と調査資料を前に、フィオナは大仰に肩を竦めた。

「その推理は全くの的外れだよ。実際には脅迫者から会談時間の繰り上げを知らされて、当日中にザッカーマンを殺害しろと念押しされただけだ」

「随分と素直に認めたな」

「そもそもアタシらは、疑いを持たれないように慎重に行動していた。疑いを晴らす手札は持っちゃいない、危うい綱渡りだったのさ」

「《厄介者の群》を利用してアイゼリカの不在証明を作ったまではよかったが、皮肉にも疑われた際の免罪符となるべきだった不在証明が三人目の存在を示唆してしまったわけだ」

 ディードとザッカーマンがアイゼリカの仲立ちで繫がり、《厄介者の群》が《白銀の影》事件の捜査に加わったため監視者がつき、予定時間の変更で計画に狂いが生じた。ザッカーマンの襲撃は、いくつもの偶然が重なって成り立っていたのだ。

 シェラは微かな疑問を覚えた。偶然の一つに、一つだけ腑に落ちないものがあった。

 一連の出来事は予定時間の繰り上げがなければ全てが《白銀の影》の思うがままに進んでいたはずだ。逆に言うなら予定を繰り上げさえすれば、計画を破綻させられることになる。

 それではまるで、ザッカーマンが襲撃を見こしていたようではないか。

「なるほどね、理に適った推理だ」

 シェラの思考はフィオナの発言に遮られた。そうだ、今は終わった出来事を追及するよりも、目の前の敵に集中するべきときだ。

 フィオナは視線を周囲に配り、室内をつぶさに観察する。窓はなく、扉の前にはシェラが立ち、ゼドノギラスの銃口はフィオナを捉えている。加えて一対四という人数差。フィオナには室内から脱出する手段などない。

 それはフィオナが、室外に協力者を持っていない場合に限られる。

 室内を銀の輝きが走り抜けた。銀色の刃が室外から侵入し、壁を切り刻んで解体。空いた大穴へとフィオナが身を躍らせる。

「これはまさか、報告にあった」「聖銀の銀血操作能力だとっ!」

 驚愕を覚えつつも、四人は先に倣って大穴から跳躍。フィオナの追跡を開始する。

 ソニス市の街中を駆けつつ、フィオナは考えを巡らせていた。こちらの正体が見破られているなんて想定外もいいところだ。逃げるにしても考える時間が欲しい。

 そう思った直後、フィオナの視界に打ってつけの時間稼ぎが飛びこんできた。

 悲鳴が聞こえた。

 逃走するフィオナが通行人の一人を人質に取り、シェラたちへの盾にする。

 一同は人質を目にして愕然とした。

「どうして、ロナが人質になっている?」

「昨日鑑定が終わりまして、今朝早くソニス市に」「おおっと、余計なお喋りをするんじゃないよ」「ひぃっ!」

 こめかみに突きつけられた銃口によって、ロナの顔は蒼白に陥っている。

 フィオナは手出しのできない追っ手を前に、悪辣に頬を歪めた。逃走経路の算段をつけようとして、違和感が思考を中断させる。

 追っ手の中から何かが減っているような気がしたのだ。しかし男二人に女二人、追っ手は全員揃っている。

 フィオナに影が覆いかぶさった。そうと気付くと同時、フィオナはロナを突き放して自身も後方跳躍する。一拍遅れて轟音が落下し、路面に巨大な柱が突き刺さる。

 そこでフィオナは理解した。いつの間にか、茶髪の女が持っていた人の身の丈ほどもある鈍器が消えていたことに。

 フィオナは背を翻し、即座に逃走を再開。シェラとカスツァーはロナを受け止めて出遅れた。クラーブの回転砲はロナに射線を遮られた。この機を逃す術はない。

「気をつけろ!」

 ただ一人フィオナを追うスティの背を、シェラの怒号が追いかける。

「どういう仕かけか分からないが、銀炎相手だと兵錬武は十分間も活動できない」

 それが前回の戦闘で銀炎を取り逃がした原因だ。抜け目なくクラーブへの報告書には記載していたが、スティは報告書なんか読んじゃいないだろう。

 スティは凛々しい顔付きで頷いた。そのまま街中に消えていく。

(ああ、ありゃ分かってねえや)というのが、その場にいる全員の率直な感想だった。

「シェラ、助かりました」

 達観の極みにいる三人を現実に引き戻すように、シェラの腕の中からロナが語りかけてきた。ロナは周囲を見回し、怪訝な表情を浮かべる。

「……ディード君の姿が見えませんけれど?」

「ああ、凶暴眼鏡なら病院に……」

 親友への返答も忘れて、シェラは思わず呆然とした。手を下げて自分の腹部に触れる。

「そう。ディード君がいないのでしたら、アナタたちに用はありません」

 シェラが掲げた掌には、べっとりと血糊が付着していた。

(何で? どうして?)とシェラの頭の中で目まぐるしく駆け巡る単語を余所に、シェラから離れたロナは、この上なく邪悪な笑みを浮かべていた。

「ごめんなさいねぇ、シェラ」

 ロナの手はシェラの血で赤く染まっている。シェラは数日前のディードと同じ絶望を味わっていた。

「私が《白銀の影》の三人目なの」


 十年前の《大戦》で両親と帰る場所を失ったワタシは、大勢の戦災孤児と一緒に孤児院で育てられた。

 だけどソニス市で生まれ育っていないワタシは、それが原因で苛められた。

 彼らに悪気があったわけじゃない。彼らも不安だったのだ。怖かったのだ。だから自分たちより下の存在を作り出すことで、僅かな優越感に浸って安心したかっただけ。

 けれども、苛められていた当のワタシにとっては、地獄の苦しみでしかなかった。

 ワタシにはソニス市で頼るべき知人なんて一人もいなかった。父と母を失い、故郷の知り合いとは連絡も取れず、孤独の底に引きずりこまれていた。

 そんな地獄に手を差し伸べてくれたのが二人だった。ワタシが苛められているのを見かけた二人が、助けに入ってくれたのがきっかけだった。

 お節介でお茶目なアイゼリカ姉さん、優しくて凛々しいフィオナ姉さん。ワタシが二人を慕い始めるのに時間はかからなかった。

 いつの頃からか、ワタシは疎外感に苛まれるようになっていた。

 二人はワタシに何かを隠していると、そう強く感じたからだ。きっと二人の秘密は他人には知られたくないことなのだろう。だからワタシから問いかけることはなかった。

 二人と秘密を共有できない劣等感が、疎外感となって自分自身に返ってきていたのだ。

 二人の秘密を知ったのは半年前のことだ。《新生の轍》と名乗る人物が私たちに三つの兵錬武と、とある人物たちの情報を提供してきた。

 そしてそのとき初めて、二人の口から《血の王庭》事件のことと復讐を切り出された。

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