厄介者の群②
「では私からいかせて貰うぞ」
先制したのはアンジュリエ。三人は痛恨の表情で舌打ちを放つ。
この眼鏡革命において、重要なのは一発目だ。なぜなら眼鏡を使って何をするかというお題の方向性が、一発目を披露した人物によって決定されてしまうからである。
アンジュリエは勝利を確信した笑みで、象牙色の縁をした眼鏡を見せつける。
「お母様の遺骨で作られた私の眼鏡に、誰も勝てるはずがない」
「この娘いきなり怖いこと言い出したんですけど……」
「ではいくぞ」
言って、アンジュリエはおもむろに背広を脱ぎ始めた。その下のブラウスまでも脱ぎ捨て、胸下着を露出させる。鋼線を編んで作られた、鎖帷子のような胸下着だった。特盛御膳の重みで腰を痛めぬように、コルセットを巻いている。
ディードが呆れつつも横目にしていると、アンジュリエはさらに胸下着まで外してきた。外気に晒されたたわわな塊に目を奪われる暇もなく、アンジュリエの両腕が閃き、胸下着に眼鏡をかけさせる。変態仮面・オン・ザ・眼鏡である。
「ぐぎゃー!」
未知の変態コンボの破壊力に、ディードは頭を抱えて仰け反った。
(何この娘? 初っ端から余人に追随を許さない変態殺法を仕かけてきたんですけど)
ディードはあまりの変態光景に耐えられず、視線を逸らして、
「ってえぇーっ!」
思わず驚愕をぶっ放した。
シェラも背広とブラウスの胸元を開いて、双丘と表するのもおこがましいなだらかな平地に眼鏡をあてがっていたのだ。眼鏡下着である。
「やるわね、オバサン」
「貴様こそな、小娘」
互いの死力を尽くした激突に、シェラとアンジュリエは好敵手に巡り合ったかの如き爽やかな敵意を浮かべる。二人とも乳丸出しだが。
女を捨て去った超必殺技の数々に、ディードは進退窮まっていた。
「これが起死回生の一手だーっ!」
雄叫びを上げたのはヒーデュローだ。先んじられたディードは思わずヒーデュローに振り向いて、暗黒。
振り上げられたヒーデュローの下着が、ディードの頭にモロかぶせられた。さらにヒーデュローはそこに眼鏡をかけさせる。変態仮面・オン・ザ・眼鏡・Verメンズである。
アンジュリエと同じ発想だが、しかしこちらは下着、しかも男物の脱ぎたてを直接装着したことで得点が高い。
「おあ、あああ、うぁ……」
目元までを男物の下着で隠されたディードは、声にならない呻きを出した。亡者の動きで両手を虚空に彷徨わせる。
「あああぁぁ、うぁぁ、あぁ……」
ディードには、この変態時空に対抗する手段など一つもない。そう、アンジュリエが眼鏡革命を変態競技に持ちこんだ理由は、ずばりディード潰し。過去の女性遍歴による変態恐怖症を突いた高度な戦術に、さらに二人が即席で連携を行ったのだ。
(((くくく、手も足も下着も出まい、凶暴眼鏡)))
三人の邪悪な計算が、ディードの敗北を弾き出していた。
キュポン、と油性ペンの蓋を外す音。三人は空気の異様な変化を感じた。追い詰められて箍の外れたディードから、不可視の暗黒闘気が放出されていたのだ。
ディードは剥き出しにされたヒーデュローの下腹部に、『3』を二つ並べて書いた。さらに『眼鏡がないゾウ、眼鏡がないゾウ』というフキダシまでも書き入れる。
「「「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」
眼鏡を使わない眼鏡殺法に、三人はまるで徒手空拳の前に圧倒されたかの如き衝撃と絶望を覚えて絶叫した。三人は追い詰めているつもりで、過去の女性遍歴でディードの中に埋められていた核爆弾級の地雷原に踏みこんでいたのだ。
さらにディード自身は脱ぎ技を使っていない点が、三人の敗北感を際立たせていた。
「……これが眼鏡の暗黒力だ」
今やただ一人の勝者となった変態仮面は、哀愁をまとって呟いた。いつの時代も、戦いからは悲しみしか生まれないのだ。
「何だか面白いことをやってるじゃないか」
かけられた声に一同の視線が移動する。
事務室のさらに奥、会議室の扉が開かれていた。戸口に寄りかかっているのは、ベストとパンツを華麗に着こなした女だ。野生の肉食獣を髣髴とさせるしなやかな肢体、常に自信に溢れた凛々しい笑み、顔にかかるのは先鋭的な意匠の黒眼鏡。
赤い長髪に、額から飛び出した二房の髪束と、とある人物に似た印象を受ける。
《厄介者の群》の創設者であり社長、そしてディードの姉、レッド・ドレッドレッドだ。
「だけどこれ以上続けるつもりなら、尻を引っぱたいて屋外に放り出すからね」
レッドの脅迫めいた命令に、屋外に放り出されたら連行必至の変態集団は大いにうろたえた。誰からともなく「横暴眼鏡め」と小さく吐き捨て、いそいそと身形を整える。
「ほほう、かくも個性的な人材が、社長の前では大人しいものだ」
レッドの背後には二人の男、クラーブとカスツァーの姿があった。二人は険悪すぎる社員を見事に御したレッドの手腕に目を見張っている。
「単なる恐怖統治だよ」と、ディードは肩を竦めてクラーブに答えた。
「つーか、なぜ旦那が《厄介者の群》にいる?」
「重要な協議は軍の施設で行うけど、打ち合わせ程度なら《厄介者の群》でやっても問題ないそうだ。その足で《白百合》にも顔を出せるしね」
「というのは建前で、《厄介者の群》と《白百合》が本当に信頼するに足るか視察しにきた。ついでにさらなる弱みでも握れれば万々歳、といった魂胆だろうな」
「やっぱりか」
レッドの説明を引き継いだシェラの言葉に、しかしディードは呆れも出ない。クラーブの腹黒さを考えれば、行動の裏にどんな意図が隠されていようとも手放しで納得してしまいそうだ。
「にしても、朝早くからご苦労なことで」
「昨夜は私を泊めて、その足で同伴出社したからな。それに朝早くと言うなら、苛められっ子が先に到着していたのには些か驚いた」
「苛められっ子もいるのか」
「さっきからずーっと視界に入っている。それと私の名前は」
「おや? 君はカスツァー・ワイゼルではないかね」
意外な人物から答えが出た。当のヒーデュローは何食わぬ顔で机の上に立っている。
「……おい気障眼鏡、机は上に立つ物じゃねえよ」
「無論だ。机は尻を乗せて座る物だからな」
ディードには今さらヒーデュローの謎理論を解き明かす気などない。というかとっくの昔に匙を投げている。
「苛められっ子と知り合いなのか?」
「高校の同級生だよ」
「……にしては苛められっ子、とんでもなく怯えてるんだが?」
ディードの指差した先、カスツァーは尋常ではない様相でクラーブの背に隠れていた。
「ま、まさか〈死神ヒーデュロー〉が、三年b組のウェルフスタンだったなんて……」
いい歳した大の大人が、今にも泣き出さんばかりの情けない顔で震えていた。
「無論だ。彼は苛められっ子だからね」
「そうか。お前が元凶か」
「無理! 無理っ! さすがに三年b組の〈三年c組王〉ウェルフスタンは無理!」
とうとうカスツァーは職務を放棄して逃げ出した。脱兎となったカスツァーの背を、ディードの「ちょ! どんな異名だよそれ!」という言葉が追いかける。
カスツァーは一目散に屋外へと飛び出して、
「ああん! 私の自転車がぺっちゃんこだ!」
さらなる絶望に叩き落された。
成る程どうやら、ディードが電動車を車庫に入れた際の破壊的な音の正体らしい。苛められっ子の哀愁漂う主題歌が聞こえてくるようだった。
「それでは部下もいなくなってしまったので、私もお暇させて頂くとしよう」
「あ、ちょっとお待ちを」
クラーブを呼び止めたレッドは、そそくさと事務室の隅に移動した。積まれた紙箱の中に手を突っこんで、目当ての物体を引っこ抜く。
「我が《厄介者の群》のマスコット、黒羊の執事のブラッシー君はいかがですか?」
レッドが差し出したのは、ディードの三つ編みにも結わえられている黒羊の執事のぬいぐるみだった。眼鏡ごしの涼しげな視線が、年齢を問わず女性層の人気を獲得している。
何を隠そうブラッシー君は、ソニス市で最も人気のあるACCマスコットなのだ。
「これが噂のブラッシー君か。有り難い、女性職員の機嫌を取るには絶好の賄賂だ」
「そうでしょうそうでしょう、《白百合》どものマスコットよりも男前でしょう」
クラーブのお世辞に気をよくしたのか、レッドはご機嫌に喋り続けた。その言葉の端々に滲み出ているのは《白百合》社、正確に特定するならその社長への対抗意識だ。
ディードとスティが周囲に交際を隠している最大の要因がこれだ。企業としての対立以上に、社長同士の仲が壊滅的に悪い。さりとてディードとスティに心中するつもりなど毛頭なく、駆け落ちしても地の果てまで追ってくる連中である。結果として交際を隠しておくしかなかった。
クラーブはブラッシー君人形が一杯に詰められた紙箱を両腕で抱え、ご機嫌な足取りで《白百合》社へと向かっていく。
ディードは生暖かい汗混じりに、通りの対岸にある《白百合》社に目をやった。
「対立社のマスコット持参って、とんでもない修羅場の予感だな」
しかし、煽って逆上させて足元を掬うのがクラーブの対人作法だ。今さらディードに言うべきことはない。
クラーブとカスツァーの退去を見計らったように、固定電話が鳴り出したのはそのときだった。すかさずアンジュリエの手が伸びて受話器を摑む。
「はぁい、こちらはいつもアナタに笑顔のACC《厄介者の群》でございまぁす」
背中一面を鳥肌が埋めつくすほどの、恐ろしく鼻にかかった営業口調だった。
「……あ? 何? アンタだったの? ええ、ええ、分かった」
一転、旧知の人物だったらしく、途端にアンジュリエは邪険な口調となった。さらにディードの携帯までが鳴り出す。
「社長、軍のトレンティーからうっかりです。我が社が監視されているとのこと」
「こっちも例の友人から、同じ情報だ」
「やはりそうきたか」
レッドは頷き、口の端を挑発的に吊り上げる。
「偵察してきているのはどこの連中だい?」
「多くは中小ACCで、中堅や新興企業が何社か混じっていますが、」
「厄介なのは《ミリオンAC》だろうな」
「まあ、そんなもんだろうね」
大手までも含めた複数のACCが動く事態に、しかしレッドは想定内だとばかりに動じない。
「この一戦は《厄介者の群》にとっても賭けだ。成功すれば一気に軍との信頼関係と評判を得られるが、失敗すれば逆に両方を失う」
レッドの説明を聞いて、ディードは改めて今回の一件の重要性に気付いた。他の中堅ACCと《ミリオンAC》は、《厄介者の群》が中堅から頭一つ抜け出るのを阻止したい。その他の中小ACCは、《厄介者の群》が失脚して中堅の席が空くのを狙っている。
誰もが《厄介者の群》を妨害し、あわよくば手柄を横取りしようと企んでいた。
これは単純なACC対《白銀の影》という構図ではなく、ACC各社の思惑が絡んだ複雑な利権争奪戦の様相を呈していたのだ。
「で、姉ちゃんはどうする気だ?」
「特にどうもしないよ」
あっけらかんと言い放ったレッドに、さすがのディードも度肝を抜かれた呆然顔を披露する。
「ジュリーを動かすと事務が疎かになるからね」
そこでレッドはディードに歩を寄せて、ディードの前髪に自分の前髪を触れさせた。
(それにジュリーは我が社の筆頭出資者令嬢だ。出資者様からのお達しで、前線には出さないようにと釘を刺されている)
(だけど髑髏眼鏡本人は、前線で兵錬武観戦をしたいがために入社した口だ。上と下からの圧力か。姉ちゃんも大変だな)
レッドとディードはちょんちょんちょんちょんと前髪を触れさせ合って意思疎通を続ける。
(毎回思うのだが、アレは何をしているのだ?)(世界には触れないでおくのがいいこともあるのだよ)(気障眼鏡が真面目に制止するくらい異常なことをしているわけだな)
社員どもの陰口も、二人はそよ風に吹かれているような涼しい顔で受け流す。
「救世眼鏡の馬鹿は……って、訊くまでもなく、いつも通りの放浪中で捕まらないか」
そもそもソニス市にいること自体が珍しいクレイ・グレイに、ディードは(本当に社員なのか?)という疑問を覚えずにはいられなかった。
「いてもいなくても、気障眼鏡と救世眼鏡を市街地で戦わせるわけにはいかねえか」
ディードは二人が兵錬武を使用した場面を想像する。どう転んでもソニス市が崩壊を迎えるのは目に見えていた。〈死神〉と〈英雄〉の力は諸刃の剣なのだ。
そもそもヒーデュローが《ミリオンAC》を解雇されたのは、強力すぎる戦力を《ミリオンAC》が制御できなかったためだ。同じように軍を追い出されたシェラと一緒に、《厄介者の群》起業にあたって社員を探していたレッドに拾われ、現在に至る。
「ヒィには妨害対策に動いて貰うよ。〈死神〉の異名は、牽制に使うのが効果的だ」
「御意に」
ヒーデュローはレッドへの忠誠に深々と頭を垂れた。但し机の上に立っている状態なので、実質的には見下ろし目線以外の何ものでもなかったが。
「それに《白銀の影》事件は、軍でも手を焼くほどの難事件だ。言っちゃ悪いが、とんとん拍子に捜査が進展するとも思えない。だから通常業務をこなしつつ、私かシェラ、ディードの中で動ける奴が動けばいい。
つまりはいつも通りだ」
レッドの出した方針に、四人の社員はそれぞれの仕草で了承をしめす。
そのとき再び固定電話が鳴った。ディードは呆れ顔を浮かべる。
「何だ? 監視の追加か? 偵察の押し売りは勘弁してくれよ」
「はい、こちら《厄介者の群》……はい……はい、承りました」
アンジュリエの態度は、ディードの予想とは違うものだった。会話を終えたアンジュリエは、脳に異物が混入しているとばかりの腑に落ちなさでディードを見る。
「凶暴眼鏡を指名しての仕事だ」
珍しいこともあるものだと、社員全員で腑に落ちない顔を並べる。
「誰からだ?」
「《ゾルキス軍事開発工業》の開発局局長、アンス・ザッカーマンだ」




