厄介者の群①
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ソニス市の街中に、女の悲鳴が響き渡った。
女は必死に走っていた。逃げていた。息は切れ、体中を珠となった汗が流れ落ち、目尻には涙すら浮かべている。時折背後に視線をやっては、追跡者の姿が見えないのを確認して安堵する。それでも走る速度は緩めない。
女を追うのは、このソニス市で一、二を争う最悪の手合いだ。決して立ち止まってはならない。立ち止まったが最後、自分に惨めな最後が待っているのは容易に想像できた。
背後から化け物じみた唸り声。背筋を貫く悪寒に導かれるままに女は振り向く。
赤信号の猶予も終わり、交差点を曲がって姿を現す長方形の怪物、電動車。車体に印刷されているのは、羊の角を象った社章と《厄介者の群》の社名。
逃げるスティを轢き殺さんと、ディードに駆られた電動車が猛追していた。
「やだっ! やだっ! 死にたくなぁぁぁあいっ!」
絶叫を振り撒きつつ走るスティの速度は、すでに電動車の公道制限速度に近かった。しかも超重量級の鈍器であるレイティーセを引きずりながらだ。
一方のディードはスティなんか見ちゃいなかった。繋がっていない携帯相手に必死に語りかけ、『殺意などない過失の事故』という偽装に余念がない。
必死の形相で交差点を曲がると、スティの視界に目的地が飛びこんできた。
「とうっ!」
スティは裂帛のかけ声と共に横跳躍。腕を交差し、窓硝子をぶち破りつつ《白百合》社の社屋に飛びこんで避難する。
さすがのディードも《白百合》社の屋内まで追跡するのは命の覚悟が必要だ。舌打ちを放ち、電動車の向きを変え、後退させて、《厄介者の群》の車庫に入れる。
電動車の後部から「ゴグァシャッ」と破壊的な音が聞こえたが、ディードの記憶が正しければその位置には何も置かれていないはずなので空耳だろう。
ディードと電動車の正面、道路を挟んで《厄介者の群》と《白百合》社が睨み合っていた。
黒壁に金属板を拵えた《厄介者の群》社屋と、白壁を飴色の煉瓦で飾った《白百合》社屋は、力強い煌びやかさと清純な淑やかさ、まさに対極に位置していると言っていいだろう。
「ベルゲルシアに凶暴眼鏡、またお前らかよ!」「二人は本当に仲がいいねぇ」「こちとら寝不足なんでい! 静かにしろってもんだ!」「いっそ結婚しちゃえよ」
日課の騒音を聞きつけて、周囲に位置するACCからも野次が飛んでくる。連邦のACC法によって所在地域が厳密に指定されているので、狭い範囲にACCが密集している光景など珍しくもない。それこそ歓楽街のように。
ディードはそれらを聞き流しつつ、ペルテキアを肩に担いで歩を進める。
同伴出勤を隠すための襲撃風の偽装も、毎朝の恒例になりつつあった。
ディードは《厄介者の群》の裏口から社屋に入り、狭い廊下を進んでいく。
目的地である事務室の扉を開くと、正面の壁一面に並ぶ窓が目に入った。
窓の奥には《白百合》社が見え、そちらの窓にはスティの姿があった。敵意に満ちた視線を向けてくるスティに、ディードも敵意の視線を返して、二人の関係を偽装しておく。
事務室の上座には、今は主人の姿が見えない社長席。部屋の中央には四人分の机が固められ、仲の悪い社員が睨み合っている構図を意図しているようだ。
その社員用机に二人、そして窓際に一人、計三人の人影がある。
ディードは席に座った一人、若い女事務員に話しかけた。
「よう髑髏眼鏡、調子はどうだ?」
「喋るな凶暴眼鏡」
気さくに語りかけたディードに対して、女が返してきたのは辛辣な一言だ。
アンジュリエ・ブラックハウザーは神経質気味に眼鏡を押し上げ、墨色の深淵となった双眸でディードを睨む。
年齢は新入社員のディードよりも若く、《厄介者の群》最年少の十九歳。ディードにしてみれば唯一の年下で年齢も近く、比較的話しかけやすい人物だった。
艶かしい色合いの黒髪は床まで伸び、上から一一〇、五九、九四という化け物じみた豊満さの肉体を、髪と同色の背広とタイトスカートで包んでいる。メロン並みに巨大な乳房が卓上に乗せられ、作業領域を著しく圧迫していた。
ディードはアンジュリエの態度に不快感を覚えることもなく、肩を竦めるに留めた。アンジュリエ以上の不快感を与えてくる存在など山ほどいる。
「凶暴眼鏡君、ご機嫌ご無沙汰かな?」
例えばこいつのように。
聞こえてきた声は、道路に面した窓からだ。頭を押さえつつディードが振り向いた先、窓枠に腰かけて変人振りに余念のない男の姿があった。
まず誰しもの第一印象として、目が痛くなるというのが上げられる。
頭髪は左右で金と銀に塗り分けられ、顔にかかるのは白金縁に左右で色の違う濃紺と桜色の伊達眼鏡。伊達眼鏡の下の瞳も、左右で色の違う黒と茶色。極めつけの背広は、緑と紫と橙と灰色が複雑怪奇な幾何学模様に組み合わされた極彩色。
ヒーデュロー・ウェルフスタン、通称〈死神ヒーデュロー〉。
「気障眼鏡、お前は何度言えば扉から入るっつう人類の文化が理解できるんだ?」
「凶暴眼鏡くぅん、君は何も分かっていないと見える」
ヒーデュローは華麗な所作で窓枠を乗りこえて入室、鼻にかけた笑みを浮かべる。
「窓があったら出入りせずにはいられない、それが人間の性ではないか」
髪を掻き上げる仕草までも、どこか演技じみて大仰しい。
全身の配色以外にも、鰐革の靴、銀の鎖に繫がれた懐中時計、黒羊の描かれたネクタイに、両手の指を彩るのは全てが黒色と金細工で統一された金剛石や真珠や珊瑚の指輪。
いい趣味だとは言えないが、そのどれもが高級品ばかり。印象づけのために高級品で身を固めるのは、どこの業界でも行われている自己主張の一つだ。
「やめておけ凶暴眼鏡。気障眼鏡に人類の言葉が通じているとは思えない」
最後に銀一色の人物、シェラゼリエッテ・テキュラキスは冷ややかな侮蔑を口にした。周囲には目もくれず、手鏡を見つめて化粧をしている。
「失礼な輩だね冷血眼鏡君。僕はこれでも天頂の存在だが?」
ディードは全く噛み合わない超次元返答の数々に、本当に頭痛を覚えて額を押さえた。
ディードは生気のない足取りで、アンジュリエと向かい合った自分の机に座る。ディードの隣にはヒーデュローの机、そして対角にはシェラの机が配置されていた。
ディードの卓上ではアルコールの空き瓶が色取り取りの絶壁と峡谷を作り、ヒーデュローの卓上は折紙の動物園、シェラの卓上は予想通りの質素さ。真正面のアンジュリエの机は右側に書類が、左側に高級菓子の箱が詰まれ、双子の巨山となっていた。
アンジュリエの右手は資料を漁り、計算機を叩き、筆を走らせ、凄まじい速度で書類を片付けていく。一方の左手にはチョコレートのドーナツが握られ、書類一枚を片付けるのと同じ速度でドーナツ一つが口に収められていく。
常に甘味で頬を膨らませているその様は、小動物を連想させた。
「……一ついいか?」
アンジュリエはディードを一瞥。無言で紙箱を差し出してきたのを了承と受け取って、ディードはドーナツに手を伸ばす。
アンジュリエまでいかずとも、ディードも世間的には甘党の部類に入る。加えてアンジュリエが社内で唯一ディードとスティの交際を知っているせいか、休日には三人で連れ立って、菓子店巡りをする程度には親交があった。
「そういえば凶暴眼鏡、今週分の利子をまだ受け取ってない」
ディードは手元とアンジュリエを交互に見て苦い顔を浮かべた。ドーナツの拝借という行為で、ディードへの貸金を思い出させてしまったのだ。
アンジュリエの瞳に浮かぶのは、淫欲の熱っぽさ。借金の利息を体で払えと要求していた。
ディードは犬に棒を投げる調子で、アンジュリエにペルテキアを放り投げる。
「あぁ~ん、ペルテキア様ぁ~」
途端にアンジュリエは鼻にかかった嬌声を上げ、ペルテキア目がけて飛びついた。
アンジュリエは武器に異常な情愛を抱く性癖の持ち主、早い話が変態だ。
口の端から涎を垂らし、うっとりとした恍惚の表情で、アンジュリエはペルテキアに頬ずりを繰り返す。昂揚して滲んできたらしく、頻りに太腿を擦り合わせていた。
「あぁ、この一見滅茶苦茶に配置された刃の数々に、それを絶妙な均衡で成立させている各部の形状と重量。大胆さの中に緻密な計算を感じさせる、まさしく熟練の匠の長年の経験と技術と勘の総結晶した至高の芸術!
幸せすぎて失禁しそう」
「……ペルテキアの重量で成人が軽く圧死するんだが……って、聞いてないか……」
ディードはアンジュリエの淫奔を前に、複雑な表情でドーナツを齧った。
ディードはペルテキアに愛着を持っていない。むしろ兵錬武への一律した憎悪の対象として見なしている。しかし自分の得物が性欲の捌け口として扱われている光景に、理性や憎悪をこえた釈然としない感情を抱いているのも事実だった。
「自分の相棒を担保に、自宅の建造資金を借りたのがそもそもの間違いだよ」
「煩えよ気障眼鏡。逆に訊くが、富豪の一人娘な髑髏眼鏡以外の誰が、大学出たての新入社員に建設費を貸してくれるんだよ? お前だって貸さなかったじゃねぇか」
「見て分からないのかい、凶暴眼鏡君」
「……何がだよ?」
「僕は貧乏人だ」
ディードは改めてヒーデュローを上から下まで眺め回した。白金縁の眼鏡に、色つき水晶板のレンズ。背広の上下、鰐革の靴、両手を彩る指輪。そのどれもが高級品ばかり。
ディードは俯き、両手を顔に当てて、「そりゃそうだー!」と絶叫した。先輩社員の金銭音痴っぷりに、改めて頭のおかしさを痛感する。
教育係がシェラであった幸運に、ディードは認めたくないながらも安堵の溜め息を吐いた。
「髑髏眼鏡も、お武器様より人間を大切にしろよ」
「……うっざい」
至福の瞬間を邪魔されて、アンジュリエは再び辛辣な言葉を放った。
「アタシの趣味をとやかく言う前に、凶暴眼鏡こそ性格で女を選んでないだろ」
「それを言われると俺に勝ち目はないから、あまり多用すんじゃねえよ」
最大級の弱点に、ディードは参りましたとばかりに諸手を挙げた。そこで思いついたという風に、掌に拳を打ち落とす。
「それを言うなら、冷血眼鏡こそ性格で男を選んでないだろうが」
唐突に話題を振られて、しかしシェラは冷ややかな視線で完全黙秘。『凶暴眼鏡の頭が悪すぎて何を言っているのか意味不明』の眼差しを向ける。
「というよりも、むしろ旦那のほうこそ何を基準に女を選んでいるのか理解できない」
ディードも引き下がらない。「言われてみれば、そうでもあるな」「確かに」と、ヒーデュローとアンジュリエも同意をしめしてきた。
「ほう。貴様らはどうやら私に喧嘩を売っているようだな」
「破格の値段で買い取ってくれるのなら、僕が直ちに市場を独占するが?」
「アンタが関わるとややこしくなるから、話に首を突っこむな貧乏人」
「凶暴眼鏡君は借金人生だが?」
「生活費を博打に注ぎこんでる冷血眼鏡よりはマシだ」
「富豪のくせに経費に細かい髑髏眼鏡より上等だ」
「あーもー、気障眼鏡のせいでややこしく!」
「ならば僕が出品した喧嘩に入札しておくれでないか?」
「つーか冷血眼鏡夫婦の男女趣味が理解不能なのが原因だろうが」
「くたばれ凶暴眼鏡」
「死ねよ髑髏眼鏡」
「亡くなれ気障眼鏡」
「果て給えよ冷血眼鏡君」
いつの間にか、事務室には一触即発の空気が張り詰めていた。四人の社員が椅子を蹴立てて立ち上がり、部屋の中央で青と赤と黒と二色の視線が激突する。
「待ち給え、ここはアレで決着をつけないか?」
「アレか」「アレね」「アレだな」
ヒーデュローの提案に、三人は渋々と同意する。四人が本気で取っ組み合ったら周囲に死人が出るのは目に見えていた。
四人は間髪入れず、一斉に自らの眼鏡を振り上げる。《厄介者の群》社内限定の眼鏡格闘技、誰が呼んだか眼鏡革命の勃発である。
規則はいたって簡単。その1、自分の眼鏡を使用すること。その2、暴力行為は禁止。その3、一番の悪ふざけを披露した者が勝者だ。




