第9話 勝敗
そうだろう、とクロニクルが言うと同時に、レオの剣が、聖騎士の剣によって弾き飛ばされた。
クロニクルは、それを眺めているだけで動こうとしない。
この場において試合を止めることができるのは、審判を除けば、聖人ゆえに強い発言力を持つクロニクルただひとりである。
だというのに、レオの敗北がほとんど決定した現在においても、クロニクルの口調に焦りはない。その口元は、いつも通りの笑みを浮かべていた。
「あ……レオさん!」
剣を失ったレオの鼻先に、騎士のそれが迫る。
回避は間に合わず、レオの手に剣は無い。レオの幼い柔肌が引き裂かれるのは時間の問題であると、誰もが確信した。
騎士は無言だった。ただ、剣筋にはわずかな喜びが乗っていて、審判は、試合を止める素振りを見せない。
ソフィアは思わず目を逸らした。
――沈黙。
いつまで経っても審判の声が聞こえないことに、ソフィアは違和感を覚えた。
審判が、騎士の勝利を声高に宣言する声が、いつまで経っても聞こえない。審判の判定が聞こえないどころか、野次をとばしていた見物人たちの声すら、ソフィアの耳には届いてこなかった。
「ほらね、言っただろう?」
クロニクルの誇らしげな声につられて、ソフィアは決闘へと目を戻す。
騎士の剣は、防具も何もつけていないはずのレオの肩で、受け止められていた。
「は……え? これは、どういう……?」
「身体強化の魔法だよ。ルール違反ではないだろう? 聖騎士だって、レオと同じように、身体強化の魔法を使っている」
その精度に雲泥の差があるだけで、両者は同じ魔法を使っている。
聖騎士の剣、聖騎士の身体強化魔法は、レオのそれを突破できなかった。
「言っただろう? レオは、勝つさ」
――なぜなら、聖騎士の剣はどうやってもレオの防御を貫通できないのだから。
「……いえ、聖人さま、お言葉ですが、あなたの予想には、明らかな欠陥があります」
ソフィアの言葉に、クロニクルは無言で続きを促す。
ソフィアは一拍を置いてから、ゆっくりと、自身の思考を整理するように話し始めた。
「あの聖騎士の剣は、たしかにレオさんには届きません。聖騎士が決定打を与えることはできないでしょう。ですが、レオさんの剣もまた、聖騎士に届くようには思えません。魔力切れを先に起こしたほうが敗北する。聖騎士の魔力切れは、ほとんどあり得ません。よって、レオさんが敗北する、と考えるのが妥当では――」
「甘いね」
きっぱりと言い放ったクロニクルの声は、しかしどこか柔らかい。成長途中の弟子を窘めるかのような口ぶりだ。
「君はまだ、レオの本当の才能を知らない。まぁ、見ていたまえ。面白い試合になるよ」
クロニクルがレオに求めているのは、単なる勝利ではない。なぜなら、単に勝利しただけでは、大衆を納得させることは不可能だからだ。
クロニクルが求めるのは、完膚なきまでの勝利――圧勝である。それも、観衆に無条件で恐怖を与えるほどの、圧倒的な存在感をまとった勝利だ。レオは、クロニクルが求めるそれを正しく理解して、この試合に臨んでいる。
「ねぇ、君さ」
だから、レオは聖騎士へと話しかけた。観客が静まり返っているせいで、レオの声はよく響く。
「魔力の扱いが下手だね。剣の練習ばっかりしてたんだろうけど」
レオは、弾き飛ばされた自身の剣をおもむろに蹴り上げた。聖騎士の目の前で、白銀の剣身が踊っている。
「――僕みたいに、剣が届かない相手にはどうするの?」
ギン、と重い音が響いて、聖騎士の剣とレオの剣が衝突した。最初は聖騎士の膂力に対して劣勢だったはずのレオだったが、今は互角に斬り結べている。
「……あまり、甘く見ないでいただきたい」
「別に、甘く評価してるつもりはないよ。正当な評価っていうだけで」
聖騎士は激昂しなかった。ただ、レオから距離をとる。
剣戟が止んで、観客は、ほっと息を吐き出したようだった。それは、ソフィアも例外ではない。
試合は緊迫していて、息が詰まるような緊張感と、言い知れない圧迫感が確かにあった。
「刀身に魔力を循環させることで強度を上げる……身体強化は原則として血流に魔力を乗せるけど、無機物で循環させるのは難しそうだね」
気の抜けた、およそ試合中とは思えないような楽な体勢で、剣を構えることもせずにレオが己の分析を述べる。
「……聖人さまから、聞いたのか」
「うん? なにを?」
驚愕が混ざった聖騎士の問いかけに、レオは軽く首を傾げた。
一方で、レオの分析には、ソフィアも驚愕していた。
「レオさんの言っていることは、正しいのですか?」
「あぁ、そうだね。私が知っている情報とは、たしかに一致しているよ」
「そう、ですか……」
聖騎士の剣がどうしてあそこまで切れ味が良いのか、どうして壊れにくいのか、その理由を知る者は多くない。剣に魔力を流している――これは、ソフィアとて、いま初めて知った情報である。
聖騎士に関する情報の多くは、秘匿されている。
もちろん、無機物に魔力を流すことで物体の強度を上げることができる、ということや、そんな難度の高い技術を実戦の最中に用いているということも、例外なく秘匿されているはずの情報だ。
秘匿されているはずの情報を、レオが知っているのは、明らかにおかしい。
クロニクルから事前に教わっていた、と考えることも可能だが、それならば、この情報の重要性についても、レオは知っているだろう。しかし、レオの様子から、彼は自分の発言の意味を、その影響を理解していないのではないか、と、ソフィアは考える。
思考が導き出す答えは、ただひとつ――レオは、魔力の流れを肌で感じ取って、決闘中にも関わらず、分析のほうにも脳のリソースを割いていた、ということだ。
「この程度で驚いていては、後が大変だよ?」
上機嫌なクロニクルへ曖昧に頷いてから、ソフィアは困惑した様子で、試合に目を戻した。
「たしかに、俺は剣の技術だけを積み上げてきた。どれだけ魔法を磨けと言われても、周囲が派手な技を使っていても、俺はひたすらに基礎的な剣術のみを練習した。なぜなら、それが聖人さまのお言葉だったからだ」
騎士が静かに語る。それは、まだ聖騎士が聖なる称号を得る前、ただの騎士だった頃に、とある聖人にもらった小さな助言についての話だった。
「あの方の言葉は、間違っていなかった。俺は聖騎士となった。あの方の護衛に抜擢されるほど、強くなった」
――たとえ、かの聖人が己のことを見てくれなかったとしても。
「認めよう、俺は挑戦者だ。お前は強い。お前こそが挑戦状を受け取る、王者なのだろう。だが、相手が鬼才の持ち主だからといって、負けるつもりはない。……基礎を積み上げてきた者にしか見えない場所がある。お前は、それを知ることなどないのだろう。お前ほどの才能の持ち主は、あっさりと強くなっていくのだろうからな」
聖騎士が正面に構えた剣から、僅かに魔力が漏れ出る。籠められる魔力の量が上がったのを、ソフィアは明確に感じ取った。
これだけの量の魔力を剣に籠めて、少ししか魔力が漏れ出ないということは、それだけ聖騎士の魔力の扱いが上手い、ということである。にもかかわらず、レオは聖騎士の魔力制御が下手だと言った。これは、レオの見当違いなのか、レオの魔力操作が卓越しているのか――。
「聖人さま、さすがに、これではレオさんが――」
「静かに」
にこりと微笑んだクロニクルに、ソフィアは思わず口を閉じる。
汚泥に塗れて会得した、基礎の極致――それは、どんな魔法よりも輝いて、きらめいて、この凡庸なる騎士を聖騎士へと押し上げたものだ。
レオは、この技を剣で受けるつもりは無いらしく、うっすらと笑みさえ浮かべながら、大きく両手を広げている。
騎士の雄叫びが、遠くに聞こえた。殺気を受けた鳥が、バサバサと羽を揺らして飛び立つ音すら、今は遠のいてしまって聞こえない。
「驚いたよ。すごいね」
レオの衣服の表面で、一本の糸が切れていた。
「何発かまともに当たったら、怪我しちゃうかも」
――騎士の必殺は、届かない。
「……はは、そちらこそ、素晴らしい魔法だな」
聖騎士は、疲労と諦観を滲ませた声で、レオを讃える。
逃げ去った鳥は、木の上で、呑気に毛繕いをしていた。この空間に、もはや、殺気は無い。




