第10話 完璧な勝利
騎士は、眩しいものを見るかのように、レオを賞賛した。
それは実に美しい光景で、聖騎士としてのあるべき姿で――だから、レオは、それが気に入らなかったのだと思う。
「お褒めに与り光栄だけど、ひとつだけ、あなたの勘違いを修正してあげるよ」
するり、とレオが剣を構える。少しだけ片足を引く構えは、先ほど騎士が極限の技を見せた際の構えと、よく似ていた。
たったそれだけのことで、場の空気が、変貌する。何とも形容しがたい恐怖が、ふんわりと漂った。
「ちゃんと受けてね。魔力は無くても、体は使えるでしょ」
ふ、とレオから威圧感が消えて、ソフィアは、レオが身体強化の魔法を解除したのだと悟った。
それは、レオと対面している聖騎士にも分かったのだろう――聖騎士は少しだけ瞠目すると、慌てて剣を構える。
「じゃあ、行くよ」
レオはゆっくりと、見せつけるように、聖騎士へ向かって一歩を踏み出した。
騎士は漠然と感じた恐怖のために一歩後ずさろうとして、寸でのところで踏みとどまる。
それは、剣戟と呼ぶことすらできないような代物だった。
レオが、軽く剣を振る。剣同士がぶつかった静かな静かな音の後に、ぱきん、という衝撃的な音が、観衆の心に大きく響いた。
音の出所を探ってみれば、どうやら、聖騎士の剣が折れたらしい。騎士は驚愕に目を見開いている。
「なにか、魔法を……?」
「使ってないよ。魔法の類を使ってないことくらい、あなたなら、見れば分かるでしょ」
騎士は押し黙って、俯いた。
「剣の極致、だっけ」
レオは手に持った剣を器用にくるくると回しながら、騎士へ一歩だけ近付く。
聖騎士がずっと保っていた距離――剣の間合いとしては、最適な距離だ。
騎士は呆然として、揺れる瞳で、ただレオを見上げていた。
「極致っていうくらいなら、剣だけを使いなよ。僕がさっき、やったみたいにね」
下手に魔法を使うから、剣が弱るんだ――レオの言葉とともに、ぱらぱらと、鉄の欠片が地面の土に舞い落ちる。地面に無様に転がった剣先が、鉛色に、鈍く太陽光を反射していた。
騎士は答えない。
レオは、この機に反撃してこない騎士を、つまらなく感じたのだろう――冷徹とも受け取れる無機質な表情で、剣を振りかぶった。
観衆が息を呑む。審判が慌てて試合終了の声をあげようとしたところで、審判の横を、一陣の風が通り抜けた。
「お疲れさま。良い試合……いや、良い決闘だったよ」
風の正体は、クロニクルだった。
指先が、レオの剣の、刃の無い腹の部分に触れる。
大きな力が加えられているようには見えないのに、クロニクルが軽く手を添えただけで、レオの剣は軌道を変えた。
「そこまで!」
遅れて、審判の声が強く響く。レオの剣は、その切っ先を、少しだけ地面に埋めた。
審判の責めるような視線など気にも留めず、レオは、ぽいっと剣を放り投げる。流れるようにクロニクルに視線を向けて、レオは呆れたように口を開いた。
「僕を使って人材発掘をするのは、やめてくれないかな」
「おや、なんのことかな」
今度こそ重い溜め息を吐き出して、レオは会場に背を向けた。別れの挨拶代わりに、振り返ることなく、ひらひらと誰かへ手を振っている。
「やぁ、こんにちは。相手が悪かったんだ、そんなに落ち込む必要はないさ」
「聖人、さま……ですが、俺は――」
「君ではレオには勝てない」
騎士の言葉を遮って、クロニクルが冷酷にも言い放った。
騎士は、口元を真一文字に強く引き結んで、苦く地面に視線を落とす。
とある騎士が、ひとりの聖人に救われた。聖人としては、なんてことはない独り言のつもりで、記憶の片隅に置いておく価値すらない日常のひとコマだったのだろう。けれど、それは正しく助言として作用して、騎士の人生を変えたのだ。
同僚を見返してやりたいという感情はやがて、恩返しをしたいという想いへ変わっていった。自分が、自分こそが、あなたの助けになるのだと――凡人として生まれたとしても、何かを残せると、誰かを救えると思っていた、そんな己を恥じた。
「やはり、俺は……」
「そうだね。君なら、もっと良いところまで行けたはずだ」
それは、ひび割れた心に水が染み込むように、甘く柔らかい毒となって、その身を蝕むのだ。
「信じた道を行けば良いのだよ。君は剣を信じ続けたから、ここまで来れたんだ。いま、その剣を信じきれなくなったなら、浮気したって誰も怒りはしないさ。別の道に進むことで、見えてくるものもあるだろう」
聖人の言葉とは、すなわち祝福である。そして、それを妄信する者にとっての、呪いである。
「君は私の言葉を信じ続けてきたと、そのおかげで聖騎士になれたと、そう思っていたのだろうけれど……それだけでは、君は剣を信じ続けることなどできなかったはずだよ」
人は、結局のところ、自分が信じたいものしか信じることなどできないのだから――クロニクルは、にこりと笑った。
にこりと笑って、最高の祝福を――最高の呪いを騎士に渡すのだ。
「誇ると良い。君には、才能がある」
騎士は、ずっと、地面を見ていた。
ただ、地面の一点だけを見つめて、嬉しくも恐ろしい言葉を、口の中で小さく反芻している。
「才能が、ある……俺に――」
何よりも欲しかったはずの言葉が、何よりも渇望した才能が、今はこんなにも、恐ろしい。
その恐怖の正体に気付くより早く、クロニクルが言葉を紡ぐ。
「じゃあね。もし君がレオに勝てたなら、その時は、君の名前を尋ねてあげよう」
レオのように手を振ることも無く、クロニクルは会場に背を向けた。騎士が零した剣先を踏みつけて、ふと、手のひらを見る。
「いやぁ……利き手で受けなくて良かったよ」
レオの剣――その軌道を逸らしたほうの手には、うっすらと血の赤が滲んでいる。
「スプーンを握れなくなるのは、とても困るからね」
クロニクルの視線の先には、不器用にもレオを心配するソフィアと、クロニクルを見つつ、「うわぁ」とでも言いたそうに顔を顰めるレオの姿があった。
「おや、レオ、そんなに私を熱烈に見つめて、どうしたんだい?」
「うわぁ……」
間もなく――塔の攻略が、始まる。




