第7話 交渉の勝敗
満足そうな笑みを浮かべるクロニクルの表情に、俯いたソフィアは気付いていない。
レオは、クロニクルの背中を見つめた。しかし、見られていることに気付いているはずのクロニクルは、自分の仕事は終わったのだから、と、レオを振り返ることをしない。
「僕の願い、か……」
勇者についての情報を彼女に求めるのは、愚かな選択だろう。
たしかに貴族ではあれど、いち貴族の娘でしかない彼女に、国の機密情報が流れているとは考えにくい。勇者についての表向きの情報であれば、書籍を読み漁るだけでも手に入るはずだ。
「ねぇ、勇者って、学園に通う風習でもあるの?」
レオは、学園が何をする場所なのかを、正確に把握しているわけではない。しかし、先ほどクロニクルが読み上げた本の中には、勇者が学園に通うといった旨の目次があった。
いきなり飛び出してきた勇者というキーワードに、ソフィアは戸惑った様子を見せた。
王国の人間は勇者の英雄譚に焦がれるばかりで、勇者が地道に重ねる努力など、見ようともしない。だから、地道に学習をする、英雄譚からは省かれるはずの学園という場所と、勇者という単語が結びつけられた状態でレオの口から飛び出してきたことに、多少の驚きを抱いたのだろう。
しかし、ソフィアの心中には、同時に懸念も生まれている。
この状況下で、どうして勇者と学園の関係性などを尋ねてくるのか――その真意が掴めなかった。
「そうだねぇ。勇者は基本的に、何らかの教育機関で学習をすることになる。国の管轄下にある教育機関のことを学園と呼ぶが……最近は、国外の学園よりも、国内の学園に通うように勧める声が強いみたいだね」
ソフィアが答えあぐねている間に、クロニクルが手に持っていた本を棚に戻しながら解説する。
昔は留学する勇者が多かったみたいだけど、と付け加えてから、クロニクルは新しい本を手に取った。
「国内の学園、ね。学園って、貴族が通う場所?」
「そうだよ。私は通えるけれど、レオは通えない――普通なら、ね」
言ってから、クロニクルはソフィアを見た。気付けば、深い黒の瞳――レオの目まで、ソフィアをじっと見つめている。
「えっと……学園へ入学させる、ということでしたら、わたくしがレオさんを支援しているということにすれば、可能ではありますが……」
――いったい、何のために?
わざわざ学園に通いたいと申し出る庶民の子どもは、あまりいない。学園は基本的に社交の場であり、庶民にとっては、通ったところで使い道の無い場所だからだ。
――ねぇ、勇者って、学園に通う風習でもあるの?
ソフィアの脳内に、やけにはっきりとしたレオの声が、よみがえる。レオとクロニクルの真意を探って思考の海に沈んでいたソフィアは、はっとしたように顔を上げた。
「まさか、勇者に会うために学園に通いたい、と……?」
「うん、そう」
ソフィアの半ば独り言にも近い問いかけに、レオは軽い調子で頷く。
「……レオさん、あなたが勇者に会う目的は、なんですか?」
警戒を滲ませたソフィアの問いかけに、レオは、今度は答えなかった。
「危険すぎます。あなたが、万が一にでも、勇者さまを害するような人であれば、わたくしは……!」
勇者とは、人類の希望である。魔王を撃ち滅ぼし、人類を脅かす魔物たちを一掃する――人類が未来へ向かうための、希望なのだ。
だから、万が一にも、勇者が損なわれるようなことがあってはならない。
「塔の攻略よりも、勇者のほうが大事なんだ?」
「もちろんです。貴族として、人間として、それは当然のことでしょう。勇者は、我々の、希望の星ですから」
少し間を置いてから、レオが「そっか」と呟く。その声は少し安堵しているようでもあり、同時に小さな憂いを含んでもいるようだった。
「安心しなよ。僕は勇者を見てみたいってだけで、害するつもりなんて、まったくないから。むしろ、勇者は守られて然るべき……そうでしょ?」
「……ですが、そう簡単に、あなたの言葉を信用するわけにはいきません」
勇者はまだ、成長途中だ。なにより、安全なはずの学園という場所においてまで、勇者の命が脅かされるようなことがあってはならない。
ソフィアの返答に、レオは「だよね」と短く返す。ソフィアはまだ、険しい表情を崩さない。
「それじゃあ、こうしよう。レオの人柄は、塔を攻略しながら知っていけばいい――私とレオ、そしてソフィア、この三人で塔を攻略しようじゃあないか」
いつの間にやら椅子に座って机に頬杖をついていたクロニクルが、明るい声で提案する。ソフィアが、より一層、険しい表情を見せた。
「いけません。いくら聖人さまがいらっしゃるとはいえ、一般人を塔に連れ込むわけには……」
「そんなに機密情報がたくさんある場所なの?」
何とはなしに机に寄り掛かったレオが、無邪気にソフィアへ尋ねる。
ソフィアがどう答えようかと思考を回している隙に、クロニクルが「まさか!」と、大げさにレオの質問に否定を返した。
「塔はそもそも、一般開放されていたからね。ただ、第二の試練で、不死の怪物によって多くの挑戦者が命を落とした。だから、今は閉鎖されている。ただ、それだけさ」
「ふぅん」
レオは、「じゃあ、問題無いね」と言った。
「問題無い、とは……いえ、ですから、そもそも塔は閉鎖されていて、部外者を連れ込むことはできません」
「そこは私が何とかするよ。安心したまえ」
「ですが……!」
渋るソフィアに、クロニクルは面倒そうに天井を仰ぎ見た。天井の黒いシミを数えながら、「レオが強ければ良いのだろう? それじゃあ、適当な聖騎士と決闘をさせよう」と言い放つ。
「近くで彼の強さを見れば、君も納得するだろうさ」
手筈は私が整えておくから、と言って、クロニクルはレオを手招いた。興が削がれたから、今日はもう帰ろうということらしい。
クロニクルが朗読してくれる気がなくなったのであれば、レオとしては、書庫に居座っても意味がない。
「わたくしは――!」
レオは静かに椅子から立ち上がると、ソフィアの横を通り過ぎた。
振り返ったソフィアが口を開く前に、扉が閉まる。扉が閉まる直前に見えたソフィアの顔には、焦燥が浮かんでいた。




