第5話 隠しごと
怪しい宿屋を後にして、大通りへと舞い戻る。
教会の図書館は、街の中央付近に位置していた。
この街は円形だ。市民にとって重要な建造物である教会は、街の中で、最も安全な場所――つまり、外壁から最も遠い、街の中心部に建てられる必要があったのだろう。
必然的に、教会に付属する図書館も、勇者の塔を避けて、街の中央付近に建設されることになる。
「やぁ、こんにちは。図書館に入りたいのだけれど、構わないね?」
礼拝堂の奥に、訪れた信者を観察している警備員らしき男がいた。クロニクルが彼に、笑顔で話しかける。
怪訝そうに眉を顰める警備員がその口を開きかけたときに、クロニクルは手に持っていたペンダントを軽く掲げて揺らして見せた。
人間には、動く物体を目で追ってしまう習性があるらしい。警備員は吸い寄せられるように揺れるペンダントへ視線を向けると、軽く目を見開いた。
「これは、失礼しました。図書館……ええと、小さな書庫でしたら、この奥の地下にございます」
案内いたしましょうか、という警備員の申し出を、クロニクルが軽く断る。
「かしこまりました。足元にお気をつけて。何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」
警備員がクロニクルに向かって深く一礼してから、ふたりに道を譲った。クロニクルは、彼に軽く手を振って応えると、振り返ることなく奥の廊下へ進んでいく。
レオは、会釈しながら警備員の隣を通り過ぎた。
廊下は入り組んでいたが、クロニクルは迷わず歩いていく。レオは代わり映えのしない殺風景な廊下を見つめながら、時折、壁に掛けられている絵画に目を奪われているようだった。
「さ、着いたよ」
クロニクルの言葉に、絵画を追って後ろ向きだったレオの視線が、正面へと戻る。
レオの眼前には、思わず開けるのを躊躇ってしまいそうなほどに重厚な、両開きの扉があった。
無表情で扉を眺めるレオの返答を待たずに、クロニクルが扉を開ける。扉の先には、応接室程度の広さの空間が広がっていた。
地下であるため、当然のように窓は無い。発光する石が、蝋燭の代わりに室内を淡く照らしている。
照らされているのは、本だった。
壁に埋め込まれている古びた本棚が、青白い光を反射して、温かいはずの木製を、どこか冷たい印象に見せている。
部屋の中央にある木目が美しい机にも、いくらかの本が積まれていた。
「この部屋には主に御伽草子が、奥の部屋には専門書が置いてあるはずだ。好きに見て回りたまえ」
泊まり込んでも構わないよ、と、クロニクルが付け加える。レオはそれに「泊まりはナシかな、布団も無さそうだし」と言った。
「寝ている間に、地震で本が落ちてきても嫌だしね」
「地震? この辺りは、ハリケーンしか来ないよ。川も遠いから、浸水の心配も無い……この地下室は、それなりに安全だとも」
レオは、ふぅん、と興味が無さそうな声を返した。地形については、あまり興味が無いらしい。あるいは、この街に来るまでの道中で、すでに街の周辺の気候を把握できたのかもしれない。
「それじゃあ、私は奥の部屋で遊んでいるね」
クロニクルが背を向けると、レオは少しだけ焦ったように、クロニクルを呼び止めた。
「待って、僕、字が読めないんだけど」
「……なるほど、たしかに。それもそうか」
情報収集のために図書館へ行く、という方針は、レオの口から飛び出してきたものである。そのため、レオは文字の読み書きができると、クロニクルはそう思い込んでいた。
図書館で情報収集ができることを経験として知っている――つまり、レオは実際に図書館で情報収集をしたことがあるのだろうと、クロニクルは、そう感じていたのだ。
しかし、必ずしも、レオがこの世界の文字を読めるとは限らない。
本来であれば、国どころか世界が違うのだから、言語の壁があって然るべきである。会話できていることのほうが例外的なのだ。
たとえ元の世界では貴族教育を受けていたとしても、それが、この世界でも通用するとは限らない。
さらに、先進的なこの王国であっても、識字率は高くない。
会話ができるからといって、文字が読めるとは限らないだろう。
「それなら、私が読み聞かせてあげよう! 安心したまえ、難しい言葉は分かりやーすく、かみ砕いて教えてあげるからねぇ」
思考の海に潜っていた意識を無理やり浮上させるかのように、クロニクルは明るい声で言った。レオは、彼の輝かしい笑顔を見て、「うげぇ」と言わんばかりに顔を顰める。
「なんだか、子ども扱いされてるみたいで嫌なんだけど」
「ふふ、なんのことかな」
とんだ茶番だ、と、レオは呆れた視線をクロニクルに向けた。
クロニクルはさっさと本棚まで歩いて行って、陳列している本たちを指先でなぞる。
最近になって誰かが本を開いたらしい形跡はないが、埃が積もっている様子もない。
クロニクルは、記憶の中の情報との違いに、ふと首を傾げた。
「そこって、勇者についての……おとぎ話とか、伝説についての本がある棚なの?」
レオの問いかけに、クロニクルの意識は引き戻された。本の背表紙を指先でなぞりながら、目当ての本を探す。
「そうだね……んー、初代勇者の手記とか、勇者の冒険譚とか――脚色が多い冒険譚よりは、手記とか記録が良いのかな?」
「それが良いと君が思うなら、そうなんじゃない」
他人事のように話すレオに、クロニクルが肩を竦める。言葉は柔らかいものの、どうにも棘を含んでいるように思えたからだ。
本選びをクロニクルに任せているとも受け取れるセリフだが、とても、相手を信頼しているような声色ではない。
「それじゃあ、目次から読もうか。召喚とその目的、王城での訓練、学園での勉学、仲間との出会い、魔王討伐に向けての――」
クロニクルが、ゆったりとした声で目次を読み上げる。魔王討伐に向けての旅立ち――と読み上げようとしたところで、ギギィという音を立てながら、入り口の扉が開いた。
扉を開けたのは、太陽のような長い金髪に、海のような深い青色の碧眼を持つ少女だった。年の頃は、十代後半ほどに見える。
白を基調とした、清楚な衣服を身に纏っていた。その衣服には、教会の紋様が刺繍されていて、彼女が教会に連なる者であることを分かりやすく示している。
「はじめまして。わたくし、ソフィアと申します。あなたに、お願いがあって、失礼を承知の上で参りました」
ソフィアと名乗った少女の眼中に、レオはいない。
「今は、クロニクル、と名乗っていらっしゃるのですね――」
レオが欠伸をした。
クロニクルが、顔を上げる。
「――聖人さま」
その少女の碧眼は、まっすぐにクロニクルだけを、見つめていた。




