第3話 旅立ち
――少年が勇者召喚に巻き込まれてから、数週間が経った。
「彼について、どう思います?」
青年が魔王に問いかける。魔王はちらと青年を一瞥して、「お前さんは、どう思う?」と、質問を返した。
「そうですね……天才とは、ああいう人のことを指す言葉なのかなぁ、と思っていますよ」
少年は今日まで、魔王の傍を離れようとしなかった。それは、魔王の技術や知識を、ちょっとした仕草や言葉から盗んでやろうという意気込みの表れだったのかもしれない。
しかし、いま、この玉座の間に少年はいない。魔王が、「ひとりでダンジョン内のモンスターを倒してこい」と、少年に命じたからだ。
ダンジョン内のあちこちを魔王と共に歩き回って、時に指導を受けながら、少年は強くなった。
魔王が教えた技術と知識を簡単に吸収して、少年は、魔王が使う魔法を、すぐさま自分専用にカスタマイズしてみせた。そのカスタマイズのおかげで、少年は既に、実践レベルで魔法を扱うことができる。
「なるほど、天才か……」
青年の口から「少年は天才である」という評価が飛び出してきたことに、魔王は意外そうな顔をした。
青年は、才能で他者を評価することを嫌っている。そのことを、魔王は知っていたからだ。
「俺は、自分はそれなりに才能があるほうだと自覚していた、が……俺も、お前さんと同じ感想を抱いている。俺の弟子は、正真正銘の天才なんだろうよ」
魔法の才という点において、魔王の右に出る者はいない――はず、だった。
魔法使いの頂点にして戦闘のプロ、根源魔法と召喚陣について研究した歴代最高の宮廷魔術師――それが、かつての魔王の姿である。
魔王は、今は全盛期ほどの戦闘能力を有していない。しかし、彼は未だに、この世界の最高戦力として、君臨している。
「あなたほどの人であっても、彼をそう評価するのですね……」
魔王も青年も、優れた人材である。周囲からは、奇跡だと、天才だと、そう評価されてきた。
「あぁ、そうだな。あれは紛れもなく、天才という生き物だ」
少年の登場によって、天才という言葉に対する上限が引き上げられる――天才という概念が、塗り替えられていく。
「まぁ、俺と勝負して勝てるかどうかは、また別の話だがな。積み重ねた年月が違う。すぐさま追い抜かれることはないだろうさ」
青年の表情がどこか暗いことに気付いたのか、魔王が明るく言った。その目元は優しく細められている。
青年はその優しさから目を逸らしたくなるのをこらえて、魔王の顔を見ながら、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「私、知ってます。それ、フラグって言うらしいですよ」
「うるせぇ!」
あはは、と笑った青年の声が反響すると同時に、玉座の間の扉が開いた。どうやら、少年が帰ってきたらしい。
「ただいま」
魔王が、ぎこちない声音で「おかえり」と言う。少年は魔王の目を見てから、小さく口角を上げた。
「反抗期の娘を持つ、お父さんみたいだね」
少年の言葉に衝撃を受けた様子の魔王を気にすることも無く、少年は玉座に向かって歩みを進める。
彼は、モンスターの死骸を背負っていた。ずるずると、巨大な魔物の残骸を引きずって歩いてくる。
少年の身体は、小さく細い。魔物の圧倒的な重量に押し潰されてしまいそうだ。しかし、その小さいはずの少年は、圧倒的な強者の風格を漂わせていた。
魔王も青年も、驚きはしなかった。
この数週間で、少年の強さは当然のこと、命を躊躇いなく刈り取ってしまうだろう精神性についても、正しく把握していたつもりだ。
どん、と、玉座の前に血まみれの死骸が落とされる。死骸には軽量化の魔法を、自分には身体強化の魔法を、同時にかけているらしい。これは、非常に高度な技術だ。
少年は顔に付着していた返り血を軽く拭ってから、黒曜石のような色の、切れ長な瞳を魔王へ向けた。
「ねぇ、僕の名前、聞かないの?」
「唐突だな……まぁ、なんだ、名乗りたければ勝手に名乗れ」
魔王の返答に、少年は不満そうな表情を見せた。
いつかのように、床へ、胡坐をかくように座る。少年はもう一度、「ねぇ」と魔王に呼びかけた。
「そろそろ、僕をここから追い出すつもりなんでしょ」
魔王は思わず天井を仰ぎ見た――少年のその言葉は、事実であったからだ。
少年は、魔王をじっと見つめている。
「ねぇ、僕の名前、聞かないの?」
青年は、横目で魔王を盗み見た。魔王は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
魔王は、少年が独力で魔物を倒すことに成功したなら、彼を地上へ送り出すつもりでいた。
その餞別に何を送ろうかと悩む魔王の姿を、青年は知っている。
たっぷり三十秒ほど唸ってから、魔王はしぶしぶ、「名前は?」と、拗ねたように少年へ問いかけた。
「レオ。レオだよ」
どこか嬉しそうに無邪気な声で名乗った少年――レオは、その調子のまま、魔王に「あなたの名前は?」と問いかける。
「……イグナだ」
「そっか、イグナね。覚えた」
レオ少年は、どこか晴れやかにも見える表情で、玉座に背を向ける。
魔王イグナの名前を知れただけで、満足したのだろう。あるいは、青年に対しては、特に思い入れが無いのかもしれない。
「私のことは、クロニクルと呼びたまえ」
去り行くレオ少年の背中に向かって、青年が声を投げる。レオは、振り返ることもせずに、「偽名には興味ないね」と宣った。
「そんな悲しいことを言わないでおくれよ。これから一緒に旅をする仲じゃあないか」
青年の言葉に、レオ少年が、ぴたりと動きを止めた。魔王イグナですら、驚いた表情で青年を見ている。
「ねぇ、イグナさん。私と彼は一緒に旅をする……そういう話でしたよね?」
話しかけられた魔王イグナは、青年の眼力に耐えられず目を逸らした。小さな声で、「好きにしろ」と告げる。
「ありがとうございます。そういうわけだから、少年……いや、レオ――」
いつの間にやら振り返っていたレオが、げぇ、と心の底から嫌そうな顔をしている。
そんなレオの様子に、クロニクルと名乗った青年は愉快そうな笑い声をあげて、玉座の斜め後ろから、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「――これから、よろしく頼むよ」
クロニクルが、にこりと微笑む。レオは少しの警戒心と共に彼を見上げて、その警戒心を、ため息と共に吐き出した。
「うん、よろしく」
それじゃあ地上まで私を守ってね、と言ったクロニクルに、レオは今度こそ、「げぇ」と、嫌そうな声を出したのだった。




