第2話 魔王の刻印
「状況を整理するぞ」
魔王は、気を取り直してから言った。
「えぇ……? それって、必要?」
少年は、いかにも「面倒だから嫌だ」と言わんばかりの表情で言った。
「必要に決まってるだろうよ。お前さんは、むしろ、この一瞬で何を把握したんだ……」
「この世界には魔法がある。僕は、この世界の住人じゃない。何らかの思惑で僕を召喚した人がいるけど、その召喚者にとって、僕はイレギュラーだった。だから、あなたは僕をここに連れてきた。……これ以上の説明ってある?」
少年の言葉に、訂正すべき箇所は見当たらない。
玉座に尊大な態度で腰掛けているはずの魔王は、庶民らしい仕草で、少年の言葉に頭を抱えていた。
「簡潔で分かりやすい、良い説明だねぇ」
青年が呑気な声音で口を挟む。
「君が異様だ、ということが一瞬で理解できる、実に――分かりやすい、説明だ」
青年の言葉は、穏やかな声のまま、少年を挑発するかのような棘を含んでいた。
青年の挑発じみた声に興味を示すこともなく、少年は、揺れる蝋燭の炎を、じっと見つめ続けている。
青年は笑顔のままで、少年もそっぽを向いている。だというのに、重苦しい空気が流れていた。
溶けるはずのない蝋が、この部屋の重圧に負けて、ねじ曲がってしまいそうだ。
「整理させてくれよ、俺のために……」
天井を仰ぎ見ながら、魔王がぼやく。
そこで、少年はようやく、揺れる炎から視線を外した。
ふらりと玉座の手前まで歩いて、床に腰を下ろす。自宅を歩いているかのような、気軽な動きだった。
「いいよ。何が聞きたい?」
どうやら、少年の中にある僅かな好奇心が、魔王に、会話の主導権を握らせてくれたらしい。
魔王は苦々しい表情とともに、少年の言動について深く考えることを諦めた。
「まず、俺は魔王を名乗っている者だ。そして、お前さんは別の世界からこの世界へ、一方的に連れてこられた。召喚陣の発動そのものは、止めることができなくてな……」
魔王は、すまん、と謝罪の言葉を口にしてから、しかし、頭を下げることはなかった。勇者を召喚した張本人は、魔王ではないからだ。
上っ面だけの謝罪というわけではない。だが、召喚者として少年に頭を下げるべきは、魔王ではない。
「まぁ、そういうわけで、本来なら、お前さんは王国に勇者として保護され、大切に育てられ、そして、俺と戦う――はずだった」
少年は、ぼんやりと魔王を見つめ返していた。何となく居心地が悪いのだろう、魔王は先ほどの少年と同じように、蝋燭の炎に視線を向けている。
「それで、召喚の儀式に介入してまで、お前さんを引っこ抜いた理由だが……これは、お前さんが悪いわけじゃあない。ついでに、俺が悪いわけでも、ないんだが……お前さんは――魔王の刻印、ってやつを持っている」
「魔王の刻印? 何それ?」
少年がようやく、意思を持って魔王を見た。それに引き寄せられるように、魔王も蝋燭から目を離して、少年を見返す。
「魔王の刻印ってのは……そうだな、一部の人間が生まれつき持っているもので、体表のどこかに紋様として現れるもんだ。そんで、魔王の刻印があると知られれば、間違いなく迫害される。……そういう代物だな」
「ふぅん、そっか。それは、たしかに大変だね」
魔王の説明の途中で、少年は関心を失ったように明後日の方向を見た。
魔王の返答には、少年が欲しいと思っていた情報が、含まれていなかったのだろう。
もっとも、少年が求める情報が何だったのかは、誰にも分からない。もしかすると、魔王の説明が的確すぎて、子どもらしく飽きただけかもしれなかった。
「お前さんは勇者として王国に召喚されたが、召喚した勇者が魔王の刻印の持ち主であれば、お前さんは何も分からないままに幽閉されるか、殺されるか……まぁ、何にせよ、良くないことが起こると思って攫ってきたんだが……」
この少年であれば、なんとなく上手く切り抜けそうではある。魔王は「余計なお世話だったか……」と続けようとして、やめた。代わりの言葉を考えて、観察するものがなくなったのか、暇そうに爪先をいじっている少年へ、言葉を投げる。
「だから、お前さんを弟子にしたい。問題無いな?」
「え、大問題だけど」
少年の返答に、魔王は思わず、「なんでだよ」とツッコミを入れた。
少年は何に対しても執着が無さそうな様子だったから、簡単に承諾してもらえると、魔王はそう思っていたのだろう。なのに、これはいったい、どういうことか。
混乱した様子の魔王は、助けを求めるように、隣に控えている青年を見上げた。
青年は、いつの間にやら、すでに魔王のほうを見ていたらしい。ついでに、なぜか、にやにやと笑っている。
魔王は、「嫌な予感がするから口を開くな」とでも言いたそうに、青年を強く見つめた。
その努力も虚しく、青年は「あはは」と笑って、魔王の眼力を跳ねのける。
「フられましたね!」
「うるせぇ!」
少年は、魔王と青年のやり取りを、じぃ、と眺めていた。
その視線には、少しの羨望が混ざっている。
青年が少年を見返せば、彼はあっさりと目を逸らして、羨望の視線は消え去った。
「で? 何が問題なんだ、言ってみろ」
少年は少しだけ床に視線を落とした。間を置いてから、口を開く。
「弟がいる。双子の弟。一緒に帰宅してたんだ、だから――」
「あぁ、あれは、お前さんの弟だったか」
少年が顔を上げた。魔王を見る少年の目の中で、人間らしい形をした何かが、動揺みたく揺れている。
「あっちは……お前さんを引き込むための召喚陣に巻き込まれただけ、だろうな」
魔王の言葉に、少年が勢いよく立ち上がる。そのまま魔王に背中を向けたところで、魔王が軽く片手を振った。
少年が立っていた床が軋む。少年の目の前には、瞬く間に、巨大な土の壁ができていた。
「まぁ、待て。そう心配すんな」
「心配するな、って? 僕の唯一の家族が、殺されるかもしれないのに?」
少年は、苛立ちを隠そうともせずに、魔王へ言い放った。
王国に召喚された「少年の弟」は、真の勇者ではない。勇者の召喚に「巻き込まれただけの一般人」に、果たして、勇者と並ぶだけの才覚、ポテンシャルがあるのか。
「少年の弟」が「真の勇者」ではなく、勇者としての基準を満たさない「偽物」だということが王国に知られたら、少年の弟は、どういう扱いを受けるのか――。
「少年、私も、君はもう少し落ち着くべきだと思うよ。事態は、そこまで深刻じゃあないからね」
少年は、最悪の可能性について考えたのだろう。しかし、魔王も青年も、少年の弟の扱いに関して、特に心配してはいない。
少年は暫し考える素振りを見せた後、ひとつ息を吐いてから魔王に向き直った。どうやら、話を聞く気になったらしい。
「あの召喚陣は、絶対に勇者を召喚する。少なくとも、王国の連中はそう思っている。だから、お前さんの弟が害される心配は、しなくていい」
魔王は、次に続けるべき言葉を探しながら、軽く手を振った。
少年の背後で、土の壁が音も無く崩れ去っていく。
「……弟子、か」
少年が呟く。
この少年から、次は、何が飛び出してくるのか――それはきっと誰にも分からなかったが、なんとなく、事態は好転するような気がした。
「いいよ、僕はあなたの弟子になる」
「どういう風の吹き回しだ?」
魔王が問いかける。
少年は少し考えてから、首を傾げた。少年の濡羽色の髪が、小さく揺れる。
「暇つぶしだよ」
少年の表情は、相変わらず何の感情も映していない。青年は笑みを浮かべたまま、鋭く目を細めた。
今の少年の実力では、魔王には到底、及ばない。少年はそのことを、ついさっき、魔王の魔法を見て理解したはずだ。
魔王が実力行使に出れば、魔王の望みは、それが何であっても叶うだろう。だが、魔王はそれをしない。魔王は、あくまで、少年の意思を尊重する。
たとえ少年自身に大した意思なんてものがなかったとしても、少なくとも魔王は、少年のために、少年を想って行動するのだ。
「せっかく異世界に来たんだから、楽しまないと。そうでしょ?」
少年の言葉の真意は、正確には分からない。ただ、怪訝そうに眉を顰める魔王を見て、青年はひとり、「大丈夫かなぁ、これ」と呑気に笑っていたのだった。




