第20話 学園に向けて
「感動的な場面に口を挟むようで、とても心苦しいのだけれど……そろそろ日が暮れる時間だよ。帰らないのかい?」
クロニクルの言葉に、ソフィアはハッと周囲を見回した。空模様を確認できる窓などは存在しなかったが、代わりに、面白くなさそうに壁にもたれかかっているクロニクルの姿がある。
「教会へ報告に行くのは明日で良いとして……レオの籠手の代わりになる、刻印を隠すための手袋は、早めに探したほうが良いだろうね」
この街に来た時みたいな不審者らしいローブを身に纏っていても、私は別に構わないけれど――そう言うクロニクルの声音は、どうしてか、不貞腐れているようにも聞こえる。
「報告、明日で良いの? 怒られない?」
「大丈夫だよ、私に対して怒ることができる教会の人間なんて、いないから」
ふーん、とレオが言う。その声には少しの疲労が滲んでいて、ソフィアは、一日の終盤になると彼も疲れるんだな、なんて、妙なところで感動を覚えた。
「あ、そうだ! 例の聖騎士くんに、おつかいに行ってもらおう! それが良い!」
さすが私、名案だ、などと宣っているクロニクルは、その笑顔に、どこか仄暗いものを漂わせている。
レオが「嫉妬してるの?」と無邪気な問いを発すると、クロニクルはその昏さを強めた。
「糖分をまき散らされて吐き気がしてるだけだから、気にしないでくれたまえ」
「うん……?」
分かった、と素直に頷いたレオとソフィアに、クロニクルは天を仰いだ。
「……嫉妬、ねぇ」
――レオの言葉にドキリとした、なんてことは、口が裂けても言えないだろう。
「せめて、ずっと蚊帳の外にいたから、とかいう適当な言い訳をするべきだったかなぁ」
仲良く目の前を歩くレオとソフィアの背中を見つめつつ、クロニクルは呟く。
その声には、感情らしい感情というものが、乗っていなかった。
塔の攻略は、無事に終了した。今後のことも何とかできそうだと、クロニクルは自信を持って言える。事実として、クロニクルは、今後の教会で起こるだろう諸々を、丸く収めることができるだけの技量を兼ね備えていた。
「まぁ、いいか! 細かいことは気にしないのが良いさ」
地上まで戻れば、クロニクルが一足早く、塔を出る。律儀に外で待機していた聖騎士に向かって、「手袋を買ってきてくれると嬉しいなぁ」なんて言えば、聖騎士は理由も尋ねず小走りに街中へ消えていった。
そんな聖騎士の様子に呆れつつ、レオはクロニクルにも、同じような呆れた視線を向けた。
先ほどの言葉は、聖騎士の反応を分かったうえでの――お願いという形をした命令だったのだろう。もっとも、聖騎士はそれを命令としては受け取っていないようだ。クロニクルは、聖騎士を上手く使っている。
聖騎士が帰ってきたのは、僅か数分後のことだった。
聖騎士ともあろう人が息を切らしていたから、相当に頑張ったのだろう。レオは、いいように使われている聖騎士に同情した。
「あの、レオさん」
ソフィアは少し気恥しそうに、レオの名前を呼んだ。夕日が、彼女の頬を赤く染めている。
レオが振り返ると、ソフィアは、「あの」とか「その」とかの言葉を歯切れ悪く口の中で転がして、たっぷり十秒ほど時間を置いてから、ようやく意味のある文章を発した。
「本来、学園に、平民……爵位を持たない人が入学することはできません。なので、慣習に従うのであれば、レオさんは、私の付き人として学園へ通うことになります」
レオは、学園のシステムも知らなければ、この世界の文字も読めない。異世界人なのだから、この世界について知らないのは当然なのだ。
ソフィアは、レオに伝わるよう、丁寧に言葉を選んだ。
「ですが、例外も認められています。勇者の通学もそうですが、学園には……ええと、首席特権、という仕組みがありまして。学園長に、直々に要望を伝えることができる、という特権です」
ソフィアはおそらく、その特権を使える立場にいるのだろう。
ソフィアの優秀さと真面目さは、たしかに首席という立場と見合っている。レオもクロニクルも、これといって驚いた様子は見せなかった。
「私が、レオさんを特別入学生として推薦してみます。貴族ではない特待生となれば、やっかみも多いでしょうが……」
ソフィアは、ちらりと、レオに視線を戻した。
レオは、実に興味が無さそうに地面の石を眺めている。ソフィアは苦笑して、「問題は無さそうですね」と言った。
「レオさんの実力があれば、特待生としては問題無く受け入れてもらえると思います。読み書きができなくても、戦闘訓練に特化したコースもありますし」
「いいの?」
地面の石を足で小突いて遊んでいたレオが、ふと、顔を上げた。
その表情から、感情を読み取ることは容易ではない。ソフィアは少し考えてから、レオの真意を探ることを諦めた。代わりに、自分の感情や考えを伝えることにしたらしく、口を開く。
「当初の私は、レオさんが勇者を害そうとする何者かである可能性を、危惧していました」
レオの目が、その視線が、ソフィアを射抜く。
愚直なソフィアにしては珍しく、彼女は、真っすぐなレオの視線から目を逸らした。
「ですが、レオさんは……そういう性格では、ないでしょう?」
なぜ目を逸らされたのかが分からなかったのか、レオは不思議そうに、未だにソフィアを見つめている。
ソフィアは言ってしまった後で、恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
「あぁ、私としたことが……! いくら私がレオさんに言われて嬉しかったからといって、こんな……!」
もごもごと呟くソフィアの言葉を聞き取れなかったのか、あるいはその内容が理解できなかったのか、レオは首を傾げている。
こうしていると、感情も真意も読めないせいで得体の知れない存在だったレオが、今は、年相応の少年らしく見えてくるのだから、不思議なものだ。
「塩が欲しいな……」
クロニクルの呟きが聞こえて、ソフィアは一層、夕日の色に頬を染めた。
「そういうわけなので! レオさんは、えぇと、学園への入学に向けて、準備が必要になるかと思います!」
「うん? そうだね」
「だから、急に、突然いなくなったり、しないでくださいね! 一緒に学園に通うのですから!」
勢い良く「いいですね! 約束ですよ!」と叫ぶソフィアの剣幕に押されて、レオが少し、たじろぎながら「うん、分かってるけど……」と困惑気味に答えた。
クロニクルは、先ほどまでの不機嫌が嘘だったかのようにニヤニヤと笑っている。
「青春だねぇ」
クロニクルの言葉に賛同するように、聖騎士がぶんぶんと首を縦に振った。首が、もげてしまいそうな勢いだ。
「さて、と……さすがに、夜になると治安も悪くなるのかな」
聖騎士の首が生み出す風圧を鬱陶しく感じたらしく、クロニクルが「さっさと帰ろうよ」と提案する。
「私はもう疲れてしまった。早く帰って寝たいなぁ」
「そうだね。僕も疲れた。眠い」
ソフィアの剣幕に押されていたレオが、早口でクロニクルの提案に便乗する。
クロニクルは小さく笑ってから、「それじゃあ、またね」と別れの挨拶を済ませた。
これから忙しくなるね、とクロニクルが言っても、レオは無言のままだ。
クロニクルはそれに気を悪くした様子もなく、宿までの道中、レオに向かって延々と喋りかけ続けた。
この寂しい子どもに、どうか良き友人ができますように――そんなクロニクルの人知れぬ願いは、どうやら、思ったより早く達成できそうだ。
夕日が沈み込むまで、あと少し。
暗い夜が始まるまで、あと少し。
――死者が起きる時間まで、あと、少し。




