第21話 宴の開幕
ロジアータ王国立中央学園は、王国内では、通称、学園とだけ呼ばれている。その学園長室にて、クロニクルは学園長に勧められるままに、堂々と着席した。
クロニクルの対面に腰掛ける学園長は、先代勇者のパーティに同行した経歴を持つ女性だ。誰もが尊敬と憧憬の念を抱く、偉大な魔法使いである。この国の王女という立場でありながら、彼女がその行動を制限されていないのは、ひとえに、その魔法使いとしての功績ゆえだろう。
学園長室は執務室のようであり、同時に、会議室のようでもあった。学園長の、金糸のように細く長い金髪が、今は、彼女の顔に影を落としている。
「この部屋は、いつもこんなに暗いんです?」
クロニクルが、にこりと笑って問いかける。学園長はおっとりと微笑んでから、可愛らしい仕草で、頬に手を添えた。
「まさか。これは密会だもの。カーテンを開けるわけには、いかないわ」
なるほど、と納得したふりをして、クロニクルは目の前のカップに手を伸ばした。中身は紅茶らしい色をしているが、何が混入しているか、分かったものではない。
「ふふ、警戒しているの?」
学園長は、貴族の女性らしく魅惑的に微笑んだ。クロニクルは、まさか、と否定の言葉を吐き出そうとして、その口を噤む。
「さぁ……どうでしょう。多少の警戒は、しているかもしれませんね」
クロニクルの曖昧な返答に、学園長はうっそりとした笑みを崩さない。彼女は笑顔を模ったままで、まぁ、と感嘆の声をあげた。
「警戒しなくていいのよ。私では、あなたに勝てないのだから」
クロニクルは、相変わらず是も非も返さず、曖昧に笑っている。そうして、笑顔のまま、「学園長、ひとつだけ、よろしいですか?」と、彼女に呼び掛けた。
「マリア、と呼んではくれないのかしら?」
「……学園長、あなたの作戦は無謀だ。到底、成功するとは思えない」
クロニクルは、じっとカップの中の紅茶を見ていた。
軽く手元が揺れるのに合わせて、中身の紅茶も、ゆらゆらと波打っている。それはまるで、クロニクルの現在の心情のようだった。
「あら、そうかしら。たしかに、完璧な成功には、ほど遠いかもしれないわね。でも、やってみなければ、何も分からないわ」
学園長が言葉を続ける――「それで、あなたは私の計画に乗ってくれるのかしら」と。
「計画に乗るといっても、私がすることは何もないでしょう」
「そうね。あなたはただ、知ってしまった計画について、黙っていればいいだけだもの」
クロニクルは、カップの中身に口を付けた。紅茶は流れる方向を定めてしまったのか、揺れることなく、クロニクルの唇を濡らす。
「……分かりました。学園長、あなたの計画は確かに無謀だが、納得できる部分もある。私で良ければ、喜んで、手を貸しましょう」
マリアは、すかさず、「対価は何がいいかしら」と問いかけた。クロニクルは、彼女の言葉を聞いて、ゆっくりと首を傾げる。
「対価など、必要ありませんよ。私は、あなたを敬愛しているのですから」
先代の勇者に付き従った魔法使いであり、治癒と守りに特化した結界術の使い手たる彼女を嫌う者など、この国どころか、世界中を探したって、多くはいないだろう。
勇者を支え、王女でありながら旅を厭わず、魔王の勢力圏を現在の領域にまで押し戻した彼女は、今なお世界中に結界を張り巡らせている。
国民が内心で彼女のことをどう思っているかなど、誰にも分かりはしない。それでも、表立って彼女を批判する者は、世間からつまはじきにされるだろう。
なぜなら、現在、人々の平穏を守っているのは、彼女だからだ。魔王から国民を守っているのは――魔王の侵略から世界を守っているのは、他ならぬ彼女の結界術だからだ。
「あら、聖人という立場のあなたですら、わたくしを敬愛してくれるのね」
「当然でしょう。私とて、魔物を憎む、ひとりの人間なのですから」
クロニクルの目の奥で、黒が光った。
マリアはそれを直視して、クロニクルが嘘を言っていないことを悟ったらしい。嬉しそうに微笑んで、「えぇ、私も魔物が憎いわ」と言った。
「全ては、魔王を討つために」
――そのために、人類はひとつになる必要があるの。
マリアの笑顔の奥に、底知れない闇が巣食っている。
彼女は、慈愛に満ちた王女である。おおよそ、憎悪とは遠い場所にいると、誰もがそう思っている。
彼女の闇を間近で垣間見ながらも、クロニクルは、ただ冷静に、彼女と同じ言葉を返した――全ては、魔王を討つために。
「有意義な時間が過ごせたわ」
「えぇ、まったく、その通りです」
マリアの笑顔に、クロニクルも同じく笑顔で返す。
カップの中の紅茶を、クロニクルは、いつの間にか飲み干していた。
「マリア・ディ・ロジアータ王女殿下……あなたに敬意を。必ずや、あなたに、最善の結果をもたらしてみせましょう」
椅子から立ち上がったクロニクルが、大仰に、恭しく一礼する。
それを眺めながら、マリアは、嬉しそうに笑っていた。
曇りなど微塵も無い、屈託のない笑顔で、笑っていた。




