第15話 第三の試練
第二の試練を突破して、螺旋階段を登る。ソフィアは心なしか足取りが重く、周囲を警戒しているようだった。
「先に言っておくと、階段が襲ってくることはないよ」
レオが言うと、ソフィアは「恐ろしい可能性を、思い出させないでください……!」と情けない声をあげた。
「さて、では質問だ。ソフィア、この塔の目的は何だと思う?」
クロニクルが、ソフィアに笑顔を向ける。
レオはその笑顔を見て「胡散臭い」と顔を顰めたが、ソフィアは特段、そのような感想は抱かないらしい。そうですね、と呟いてから、素直に思案している。
「第一の試練は、挑戦者が常識を持っているかどうかを、確認する試練でした。ですが、第二の試練は、常識を疑う心を持っているかどうかを問う試練でした。だとすれば、この塔は、私たちの常識を覆したいという願いのもと、建造されたのでしょうか……」
ソフィアは思考の海に深く潜り込んでいる。クロニクルはといえば、問いかけるだけ問いかけて、ソフィアからの返答は求めていなかったらしい。ソフィアを放って、彼は正面を向いている。
「ねぇ、僕が戦ってる間にも、なにか話してたよね。何を話してたの?」
レオの疑問が意外だったらしい。クロニクルは珍しく、ぱちくりと目を瞬かせた。そうして、ゆっくりと目元を細める。
「ふふ、ひみつ」
レオの不満そうな顔を見て、クロニクルはケラケラと笑った。そうして、ふと懐かしさを覚えて、己の過去を見つめる。
真っ先に襲い来るのは後悔で、寂しさが――否、その奥の暖かさが、胸元に潜む何かを締め付ける。クロニクルはその暖かさを直視しながら、笑顔を形作った。
「なぁに、ちょっとだけ、聖人らしいことをしてみただけだよ」
レオは、ふぅん、と頷いてから、「珍しいこともあるんだね」と軽く言った。興味なんて微塵も無いような顔をしつつ、クロニクルから顔を逸らす。
見てはいけないものを、うっかり見てしまったかのような感覚だった。クロニクルの表情があまりにも優しく――その優しさの奥に、大きな諦観が眠っていることに、気付いてしまった。
「さて、ここからは未知の領域だね」
誰も第二の試練を突破できなかったのだから、当然、第三の試練の内容を知る者はいない。
レオは先ほどのクロニクルの表情を引きずって、どことなく抱えたままだった居心地の悪さを払拭するように、すかさず、クロニクルへ向かって、答えなど分かりきった問いを投げた。
「第三の試練が終わった後に、実は第四の試練が待っていました、なんてことはない?」
「先代の勇者の言葉を信じるのであれば、試練は全部で三つのはずだけれどねぇ」
問いを投げたところで、レオの中の居心地の悪さは、消えてはくれないようだった。
螺旋階段を登りきる。
第三の試練の会場であろう広間は、今までの広間とは少し違っていた。
壁には凹凸があり、何らかの模様を描き出している。模様の上には、小さく文字が書かれているようだ。
「第三の試練を開始します」
無機質な女性の声が響く。地面の石は相変わらず綺麗に磨かれていて、三人の姿を反射していた。
「これは……謎解きに見えるね」
「書かれているのは、古語ですね。えぇと、あなたの出身地はどこか……と、書かれているようですが」
紋様が描かれた壁に近付いて、クロニクルとソフィアが話している。レオは壁には近づかず、じっと、遠くから壁を眺めていた。
「……地図?」
ぽつりとレオが単語を落とす。クロニクルは、ハッとしてレオを振り返った。
クロニクルとソフィアにとって見覚えはなく、レオが知っている紋様――レオの言葉を信じるならば、これはつまり、異世界の地図なのだろう。
これが地図であるならば、紋様の上に書かれている文字の内容とも合致する。
しかし、ここにはソフィアがいるのだ。レオが異世界人であると知られれば、厄介なことになりかねない。少なくとも、ソフィアに事情を説明しなければならないという面倒ごとは、確実に生じるだろう。
「それは……レオ、言ってしまってもいいのかい?」
ソフィアは首を傾げた。ふたりの会話の内容は、ソフィアには当然、分からない。ソフィアは、レオは異世界からやってきたのだという事実を知らないからだ。
だが、ソフィアは追求することをしなかった。ソフィアにとって、それは礼儀にも等しい。他者に踏み込みすぎず、場合によっては聞かなかったことにする――ソフィアは貴族らしからぬ娘ではあるが、決して子どもじみているわけではない。
「ダメじゃないなら、別に……いいんじゃないの」
ソフィアを見ながら、レオは言った。レオの声音には、若干の迷いが滲んでいる。
沈黙――やがて、クロニクルが「じゃあ、いいか」と軽く言いながら、壁から離れた。
「無理に尋ねはしませんが……おふたりは、その、色々と秘密が多そうですし」
ソフィアが遠慮がちに言う。レオはその言葉を聞いて、少しだけ目元を柔らかくした。表情の変化はほとんど見られないが、心なしか、笑っているようにも見える。
「いいよ。知ってたほうが、今後、動きやすくなるだろうし」
レオの声音は穏やかだった。
クロニクルは、レオの様子を物珍しそうに見ている。やがて、合点がいったのか大げさに頷いた。
「なるほどねぇ……青春だなぁ。レオに恋人ができるなんて……」
「は? 違うけど」
「あなたは何を言っているんですか?」
素っ頓狂な声で「あれぇ?」と言ったクロニクルのおかげで、レオは再び無表情に戻ったようだった。
「心の雪解けといえば、恋人じゃないの?」
クロニクルはどうやら、レオの表情の変化を、恋心に由来するものだと思ったらしい。
無論、恋心を抱いていたとして恋仲になれるわけではない。クロニクルは理論の飛躍に対してツッコミを入れて欲しかったようだが、そもそも表情の変化と恋心はまったくの無関係だ。間違った前提条件の認識のせいで、クロニクルの言葉は見事なまでに宙に浮いていた。
「えぇと、地図! そう、地図ですよね!」
ソフィアが分かりやすく話題を変える。クロニクルから目を逸らしながら言ったせいで、クロニクルはショックを受けたような顔をしていた。とてもシュールな光景だった。
「どこの地図なんでしょう? 暗号ですか? この突起の並びには、何らかの法則性があって、それを読み解くと、どこかの地図になる、ということでしょうか」
「暗号も法則性も無いよ」
レオの言葉に、ソフィアは首を傾げる。ソフィアは、この紋様のような地形には見覚えが無い。
未発見の大陸か、どこか小さな町の地図を拡大したのだろうか――そこまで考えたところで、ソフィアの思考をレオの言葉が遮った。
「見たまんまの地図だよ。ただし、異世界の地図だけど」
たしかに、暗号も法則性も無いのであれば、見たままの形として地図である、ということになる。
「異世界の、地図……?」
――どうして、異世界の地図なんてものを、レオは知っているのだろうか。
「……え? まさか、いえ、ですが、そんな……本当に?」
ソフィアの脳内を、ひとつの仮説が通り過ぎる。
「うん、僕は異世界人だよ。ただし、勇者じゃない、ただの一般人だけどね」




