第14話 彼女のための試練
「現在を正しく認識しすぎるレオは、感情に振り回されないレオは、果たして人間と呼べるのか――君はこの命題について、どう思う?」
「彼は人間です」
ソフィアは、目を逸らせなかった。ただ真っすぐに、ひたむきに、クロニクルの視線を跳ね返す。
ソフィアが半ば勝負じみてクロニクルを見返していることなど、きっとクロニクルは気にも留めていないのだろう。クロニクルはあっさりとソフィアから目を逸らして、レオへその視線を向ける。
「あれを見ても、同じことが言えるのかい?」
レオの刃が、魔物の首を断つ。巨体が倒れて、しかし、床に広がった魔物の血潮は、次の瞬間には、吸い込まれるように倒れた肉体へと戻っていった。
骨が軋む音が響いて、ぶわりと魔物の毛が逆立つ。魔物は何事もなかったかのように傷ひとつなく、レオを視界に収めた。
「なるほど……肉体の治癒じゃなくて、状態の巻き戻しに近いのかな。モンスターのスポーンって、現実だとこんな感じで実装されるんだ」
レオが軽く、小さな炎を魔物へ放つ。
命中した炎は、ぼんやりと佇んでいた魔物の外皮を僅かに焦がした。
あの小さな炎によって、魔物はレオを、敵であると見定めたらしい。
魔物がレオに突進する。レオはそれを面白そうに、避ける素振りも見せずに観察していた。
きっとレオにとって、この魔物の攻撃を避けることは、実に容易なことなのだろう。それが分かっていてなお、ソフィアは戦慄する。
純粋に相手を心配する心の隅に、恐怖が巣食っている。レオは強い。そして、それ以上に――恐ろしい。
「自分を嫌悪する必要は無いよ。恐怖を抱くのは当然のことだ。彼のあの暴力的な強さが、いつか自分に向けられるかもしれない……そんな未来を予想して、ひとは力を恐れる」
クロニクルは優しい声音で言った。
直感する。ソフィアはずっと、この塔では、自分がレオを見定めるのだと思っていた。ソフィアはレオの人柄を見るために、戦う術を大して持たないにもかかわらず、塔への同行を申し出たのだ。レオと共に塔へ挑むのは、ソフィアがレオを見定めるための時間が必要だからだと思っていた。ソフィアのための、同行許可のはずだった。
見定められているのは、ソフィアのほうだった。クロニクルは、最初からずっと、ソフィアを――見ている。
「それでも……彼は、人間です」
彼は人間であると言い放ったソフィアは、その実、自分自身の発言に驚いているようだった。
どう答えるのが正解かなど、ソフィアには分からない。クロニクルの聡明な脳内で何が描かれているのか、ソフィアには到底、計れない。
ただ、直感したのだ。彼は人間であるとソフィアに言わしめたのは、きっと、ソフィアの胸に深く根差す、信念にも似たナニカだ。
「彼のことを、怖いと思っているのに?」
言葉に詰まる。
ソフィアはたしかに、レオに対して、恐怖の感情を抱いた。抱いてしまった。
その恐怖は、同じ人間に向ける類の代物ではない。未知のモノに対する恐怖に近い感覚であることを、ソフィアは明確に知覚している。
「まぁ、無理に答えを出す必要はないよ。この問いに、明確な答えは存在しない。だから、君は君が思うように……君だけの答えを、見つけるといいさ」
ずしん、と音が響いて、再び魔物の巨躯が倒れる。
こちらを振り返って、レオは「ねぇ、そろそろ終わりにしてもいい?」とクロニクルへ尋ねた。
「もう学べることは無いと、君がそう判断したのであれば、終わっていいと思うよ」
当然のように進んでいく会話に、ソフィアは「え?」と困惑の声をあげた。ふたりの会話の内容は、まるで、この不死の魔物の倒し方を知っているかのようだ。
先ほどまでの神妙な空気を霧散させて、クロニクルは爽やかな、けれど底の知れない笑みを浮かべている。
「どうやら、彼の分析結果と、私の予想は、どちらも同じ結論を示したらしいね」
「えぇっと、それは、どういう……?」
クロニクルは、武器も持たずに魔物へ近付いた。正確には、懐には護身用の短刀を忍ばせているのだろうが、それを使う気配がない。
「あ……聖人さま、危険です!」
「うん? そうかい?」
ソフィアは戦う術を持たない。だが、意を決して、敬愛する聖人の後を追いかけた。
レオとクロニクルは、魔物に背を向けている。
倒されたばかりの魔物は意識がぼんやりとしているのか、こちらを攻撃してくる様子はない。だが、この魔物がいつ襲い掛かってくるか分からない状況で、どうしてこのふたりは平然と敵に背を向けているのか、ソフィアには理解できなかった。
やがて魔物を通り過ぎて、奥の壁で息をひそめる。魔物はこちらの気配を完全に見失ったのか、この広間に足を踏み入れた時に見たのと同じ体勢で、眠りについたらしい。
ソフィアは、ほっと息を吐く。第一の試練の時にも聞こえた無機質な女性の声が、第二の試練の突破を伝えた。
「戦うのではなく、気配を消してやり過ごすのが正解だった、ということですか?」
「違う」
ソフィアがクロニクルに問いかけると、レオがすかさず否定の言葉を返した。ソフィアが思わずレオに顔を向けると、レオもソフィアを見つめている。
その眼差しは淡々としていて、真っすぐで――同時に、言い知れぬ哀愁と、嫌悪にも似た剣呑さをまとっているような気がした。
「……勇者は、平和主義者だったんだよ」
「平和主義者、ですか?」
レオの端的な言葉にソフィアが首を傾げれば、クロニクルがひょっこりと口を挟む。
「この試練の肝は、この魔物は自主的に我々を攻撃してくるわけではない、という点にある。つまり、こちらが攻撃しなければ、そもそも戦闘にはならない。気配を消していなくても、人間側が魔物を攻撃さえしなければ、この試練には合格できるのさ」
階段がせりあがってくる。三階へ向かうための螺旋階段だ。
レオはすでに正面を見据えていたから、ソフィアはそんなレオの端整な横顔を見た。
平和主義という言葉を脳内で再生する。ソフィアは、ひとこと、「勇者さまは、とても素敵な人だったのですね」と微笑んだ。
レオがちらりと、ソフィアを横目で確認して、何も言わずに視線を戻す。ソフィアはきっと、レオの視線の、その剣呑さに気付いていなかったのだ。




