第13話 第二の試練
「本当に、この階段、途中で沈み込んだりしないですよね?」
「しない」
レオを先頭に、第二の試練に向かって、階段を登る。螺旋階段だ。
ソフィアは、先刻のレオの冗談を真に受けて、まだ引きずっているらしい。おっかなびっくり、心なしか小さい歩幅でレオの後ろに続く。
「壁が急に狭くなって押し潰されたり……」
「しないよ」
怯えるソフィアの言葉を、レオは即座に否定する。
震えるソフィアに対して、レオはいい加減にしつこくて面倒だと思い始めているようだが、それでも律儀に返事を続けているのは、事の発端は自分にあるという責任感ゆえだろうか。
そして、こんなに面白い状況を、クロニクルが放っておくはずがなかった。
レオが否定の言葉を口にした直後に、「たぶんね!」などと茶々を入れて遊んでいる。そのたびにソフィアが再び怯えだすので、レオは恨めしそうにクロニクルを睨んだ。
「実はこの階段こそが第二の試練で、この階段がモンスターで、それで死傷者が出たとか、そんなことは……」
「ないよ」
「たぶんね!」
そうこうしている間に、長い階段を登り切ったらしい。次の広間に到着するなり、「いやぁ、良い暇つぶしになったよ」と言ったクロニクルに、レオは今度こそ舌打ちをした。
広間は円形で、第一の試練の時の部屋と大して変わりはない。
変化があるとすれば、広間の中央に、巨大な生物――イノシシのように凶暴そうな、あるいはクマのように頑強そうなモンスターが居座っていることくらいだろう。
「思ったより大きいんだね」
モンスターは眠っているようで、レオたちに攻撃を仕掛けてくる気配はない。
これが、不死の魔物――この勇者の塔にて、多くの死傷者を出した強敵である。
平然とモンスターに近付いていくレオに、ソフィアは思わず制止の目的で手を伸ばした。軽い靴音が室内に響いて、ソフィアの手は届かない。
ソフィアの脳裏を、夢で見る景色が通り過ぎた。
見えている。届きそうな距離にそれはある。なのに、どうしても手が届かない。
その眩しさに目を焼かれて、夢の中のソフィアは目を伏せる。やがて夢から覚めると、手が届かなかったことを、目を閉じたことを後悔するのだ。そうして、その後悔の中に僅かな安堵を感じてしまう己を、嫌悪する――。
「レオ、君は強い。だが同時に、実戦経験が圧倒的に少ない。それは、昨日の聖騎士との決闘でも実感しただろう?」
「分かってるよ。僕に……僕が戦え、って言いたいんでしょ」
ふと、ソフィアの意識が浮上した。ソフィアの沈んだ気持ちなど知らない様子で、ふたりは軽口を言い合っている。
「うん、その通りだよ。私はこの戦闘において、手を出さない。君が戦うべきだ。……まぁ、ほどほどに頑張りたまえ。私はその間、のんびりお菓子でも食べてるから」
サボりたいだけじゃん、とレオが言うも、クロニクルは変わらぬ表情で笑っている。
「レオはこれで良いとして……さて、ソフィアに質問だ。この塔の目的は何だと思う?」
「……え、はい? 目的ですか?」
上着のポケットに忍ばせていた茶菓子を頬張りながら、クロニクルが問いかける。
クロニクルは、その視線をレオに向けたまま、始まろうとしている戦いを眺めていた。
「……分かりません。ただ、この魔物は、ただ討伐するのではなく、何らかの……ギミックがあるのだと思います。たとえば、特定の手順を踏む必要がある、とか。ですが、それ以上のことは分かりません」
どうして、死傷者が出るような危険な塔を、根源魔法の神髄という餌を用意してまで、人々に攻略させようとしているのか?
そもそも、どうして勇者は、こんな塔を作り上げたのか?
それらの答えを、ソフィアはまったく予想することができない。
「だよね。安心したまえ、私にも分からない。正確には、憶測の域を出ない仮説しか、立てることはできていない」
「はぁ、そうなの……ですか?」
この話の終着点が見えず、ソフィアは何となく問いを返した。
もしかすると、クロニクルにとって、この会話は、レオが戦っている間の暇つぶしにすぎないのかもしれない。だが、それ以上の意図を含んでいるように感じて、ソフィアはクロニクルの目元を覗き込んだ。
「さて、レオは確かに分析に優れているが、それだけだ。あの分析能力は万能に見えるが、実のところ、穴も多い。既に在る事象を解析することはできても、それ以上のことはできないからね。だから、レオは実戦経験を積む必要がある」
そうなのですね、と、ソフィアは曖昧に返答した。
クロニクルの言葉の真意はソフィアにはよく分からなかったが、そういえば、なんとなく、レオとクロニクルのふたりの会話には、置いていかれがちだったような気もする。クロニクルは、ソフィアに配慮して、話を振ってくれているのだろうか。
「目の前に在る事象しか分析できないなら、予想外の攻撃にも弱いということだからね。予想外をなるべく予想内にしておく必要があるのさ」
「それはまた、難儀な課題ですね……?」
難儀とは言いつつ、レオほどの強さがあれば、たいていのことは問題無くこなせるだろう。これ以上の強さを求める必要は無いのではないか、と、ソフィアは心中で独り言ちる。
実際、不死の魔物は、既に何度も倒されていた。レオは危なげなく攻撃を避けているし、敵を観察する余裕もあるように見えるし、この魔物はレオの訓練相手たりえているのかどうかすら分からない程度に、レオは強い。
「レオの弱点を教えてあげよう。それはね、感情だ」
「えっと……」
クロニクルの言葉に、ソフィアは困惑した。
感情が弱点となる、というのは、一般的に言われる言葉でもある。感情とは、人間の普遍的な弱みであり、同時に、強みでもある。だから、それを特別にレオの弱点と呼んでも良いものなのかどうかについて、ソフィアは疑問を抱いた。
その疑問を伝えるべきかどうか、ソフィアは迷っている。なぜなら、クロニクルはこの疑問をソフィアに抱かせるために、今まで会話を重ねてきたのではないかと、そう感じたからだ。
「感情だって、もちろん分析はできる。だが、感情から生成される未来について、レオは解析できない」
「そう……えぇと、そうですね……?」
クロニクルの話は、難解だ。だから、ソフィアは再び、伺うようにクロニクルの目を覗き込んだ。淡いはずの紫色の瞳が、影になって暗く沈んでいるように見える。
ソフィアの視線に気付いたクロニクルがそっとソフィアを見返して、ソフィアは思わず目を逸らした――クロニクルの瞳の昏さに、ぞっとしたからだ。
「そこにある事象を解析できるなら、そこから起こり得る未来も、まぁ、多くは予想通りになるだろう。ひとの感情だって等しく分析対象なのだから、事象だけではなく、感情だって分析できると言っていい。つまり、レオには致命的な死角がない」
クロニクルの言葉が矛盾しているように思えて、ソフィアは口を噤んだ。やはり、話の終着点が見えない。
「だから、レオの弱点はひとつだけ――自分の感情だ」
クロニクルは、今しがた思いついたアイデアを独り言として呟くように、淡々と述べた。
「他人の感情なら、レオは分析できるだろうね。表情や声、呼吸に、魔力の揺れ――そういった、現実に表れる事象を分析して、心の内を逆算すればいい」
感情は、表出された時点で事象に変化する。不確定なそれも、表出された時点で現実に固定されるという点は、魔法と同じだろう。
「でも、自分の感情は違う。自分の内側で起きていることを……表出されることなく、そこに事象として表れていない未完の感情を、レオは解析できない」
クロニクルが、ソフィアを見ていた。あの、ぞっとするような紫色の瞳で、その奥に黒い光を宿した瞳で、ソフィアを見ている。
瞬きの後に、その色彩は消えていた。クロニクルは綺麗な笑顔を浮かべている。それが、ソフィアには、より恐ろしくて見えて仕方がない。
「ところで、ソフィア。人間とは感情に振り回され、現在を正しく認識できない生き物だ」
ソフィアは目を逸らせなかった。心の中に、クロニクルの言葉が滑り込んでくるようだ。
「現在を正しく認識しすぎるレオは、感情に振り回されないレオは、果たして人間と呼べるのか――君はこの命題について、どう思う?」




