1.澪と青(前)
本日は2本に分けて投稿いたします。ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
「あぁ、すみません。絵を見ている君の表情があまりにもコロコロと変わるから、気になって話しかけてしまったんだ」
「はぁ……」
私に声をかけてきたのは、Tシャツにジーンズの男性客だった。私が1つ目の絵を観ようとした時には、奥の展示室に入って行ったから、私が2つ目の絵を観ている時にすぐ隣にいて驚いた。
その男性は肩にかかる長さの黄みがかった茶髪を後ろでハーフアップにしていた。腰辺りからポケットにかけてチェーンがぶら下がっている。男性は20代半ばというところだろうか、格好はいかにもチャラそうな出で立ちである。私が一番苦手とするタイプだった。
――きっと耳に幾つもピアスをつけていて、彼女が何人もいて……。いやいや、そんなことはどうでもいい。それにしても、こんな場所で話しかけてくる人がいるなんて……。
周囲を見回すと、展示エリアには白髪の男性客と若い女性客は作品を観終わったのか、すでにいなくなっていた。すっかり私とその男性客の2人だけになっていた。入口そばの売り場には女性がいるから、おかしなことをされる心配はないだろうが、全身に緊張が走り、不安は増していく。
――何だろう? この個展の作者のファンなの? 私は絵に関しては素人だし、こういう時になんて答えればいいのか分からない。どうしよう、面倒臭いなぁ。1人で静かに絵を観ていたいんだけどな……。
まさか、このお皿の絵にぴったりな食べ物を考えていた、なんて正直に言ったら笑われるだろうし……。あぁ、むしろ「こいつ、変な奴だから関わらないでおこう」と思って去ってくれるかもしれない。
「あの、このお皿にぴったりな食べ物は何だろうって考えてたんです……」
「えっ……」
その男性客は私の答えが思った以上に衝撃的だったのか、抜けた答えだったのか、口をポカンと開けて固まっていた。
――あぁ、やっぱり、こういう反応になるよね。意図して言ったとは言え、気まずい……。もう、さっさとどこかへ行って〜!
「――あ、あぁ、なるほど、ね。そう、なんだ、へぇ〜」
その男性客は明らかに動揺していた。必死に笑顔を作ろうとしているのか、その表情は酷く引き攣っている。
――もう、答えたんだから、早く去ってよ、お願いだから〜!
私の願いが通じたのか、その男性客は引き攣った笑顔のまま「あ〜それじゃあ、俺はここで!」そう言うと、慌てるようにギャラリーを出て行った。
――ふぅ〜、良かった。負った傷は深いけど、何とか撃退することに成功した。それはそれで良し、ということにしておこう……。次よ、次っ!
青い花、皿と続き、青色のワンピース、カーテン、家の順で作品が飾られていた。それぞれの作品を観て、いろいろと妄想しては楽しんでしまった。あまりにも幼稚すぎて、誰にも言えないが……。
順路の矢印の方向を辿ると、次は奥にある展示室へ進むようだ。
――わぁ! 大きな作品。
奥の展示室は絵画が飾られたギャラリーよりも広く取られていて、見上げなければ全体像が見えないほどの大きな作品が展示されていた。天井の高さも通常の建物よりも高めになっている。
「大きい作品……」
その作品も全て青色で表現されており、絵画と違うのはさまざまな素材を青で染めて組み立てられている点だった。
葉のない細い枝のある青い木を中心に、それぞれの枝にテーマの異なる作品が飾られている。低い枝にあるのは雫型のガラス細工だろうか。青い染料がマーブル状に入っていて、表面は人工的に削られている。クルクルと回っていて、削られたガラスの表面が照明に当たって、スワロフスキーのようにキラキラと輝いていた。
別の枝には、藍色に染められた端切れが数本結ばれていて、空調の風でひらひらと動きを見せている。藍色の端切れは濃淡でグラデーションになっていた。他にも、青色に染まった和紙や糸、青い折り紙のバラ、木製の青い林檎などが飾られている。
――何だか……こう言っちゃ何だけど、まるで日本の伝統工芸品の寄せ集めみたい……。これはこれで綺麗だと思うけど、何で1つの作品にまとめたんだろう? 1つずつ展示した方がいい気がするなぁ。まぁ、玄人にしか分からないセンスなのかも。さぁ、絵画の続きを観に行こう。
絵画に費やした時間は果てしないが、この大きな作品は数分で見飽きてしまった。気を取り直すように、展示室を後にした。
――さて、次の絵画の作品は靴か……あれ? もしかして、ガラスの靴?
目を凝らして見ると、靴はうっすらと透き通っていた。
――これは水彩画じゃなくて、アクリル画かな? ガラスの靴が1つだけ。あぁ、これはあの有名なおとぎ話のお姫様の靴?
頭の中におとぎ話のワンシーンが浮かんだ。美しく着飾った少女が深夜0時の鐘が鳴る中、階段を駆け下りる際に片方だけガラスの靴が脱げてしまう。追ってくる王子から逃げるため、止む無く靴を置いたまま走り去っていく少女……。
――そういえば、ガラスの靴は魔法で作られた物なのに、どうして0時の鐘が鳴り止んだ後も存在し続けることができたんだろう? まぁ、ガラスの靴が消えてしまったら、ストーリーはそこで終わっちゃうんだけどね……。
問いの答えが見つかる訳もなく、意識は次の作品へと移った。
――次は青空と海だ! ん? 白い雲があるみたいだけど、この絵は白を使ってるのかな? もうちょっと近づいてみよう……違う、この白はキャンバスの白をそのまま使ってるんだ。雲と砂浜がキャンバスの白を活かして……。
夜空だったら白がなくても描けそうなのに、あえて難しい昼間の空を選んだのかな? 小さく細かいうろこ雲が、本当に風で流れているように見える。
海には青空が映り込んでいて、とっても綺麗だなぁ。このスカイブルーの青色が好きなんだよね。あぁ、よく見ると遠くにカモメも飛んでる。繊細な絵だなぁ。素敵……。
次は星空、そして宇宙というように作品のテーマが青色であることは変わらないものの、壮大な景色へと変わっていく様が素人目にも見てとれた。
――そういえば、前半の5作品は日常生活に身近なものが描かれていたんだっけ? あっ、やっぱり。それなら、後半の作品は……。
絵画に前半と後半で何か異なるテーマがあるのではないかと、キョロキョロと視線を前後に入れ替えては思案する。
――後半の作品はガラスの靴に、海、星空、宇宙……。おとぎ話の主人公の少女が忘れていった靴。彼女にとってお城で過ごした一夜は夢のような出来事だった。
海は……、海も、星空も、全て繋がっている? 地球のどこにいても海と空だけは繋がってる! そして、宇宙……何だか壮大なテーマが隠れてる気がするけど……う~ん、分からない。とにかく、最後の作品を観てみよう。
絵画の最後の作品は海、星空、宇宙と来て、青い鳥だった……。
――えぇ! 青い鳥? どうして? 青い鳥、青い鳥……幸せの青い鳥?
最後に来て、意外な題材の作品が現れて驚いてしまった。何か分かりかけていた気がしたが、それは間違いだったようだ。
――いや、まぁ、私の考え過ぎかな。ギャラリーの全体のテーマは「青の世界」な訳で、絵画の全てが繋がっているとは思えない。私ったら、アートなんてまるっきし分からないクセに、分かったような気になっていたのがそもそもの間違いだったわ……。
さて、全ての作品をゆっくりじっくり観れたし、お土産にポストカードでも買って帰ろうかな。
入口そばの売り場へ向かうと、ガラス棚の裏で椅子に座っていた先ほどの女性が慌てて立ち上がった。
「じっくり観てくださってありがとうございます。いかがでしたか?」
「あっ、はいっ。どの作品も素敵でした。『青の世界』という看板に魅せられて思わず中へ入ってしまったんですけど、青の絵具だけで描かれていたなんて、本当に驚きました」
「そうですか、楽しんでいただけて良かったです。もしも気に入った絵画があれば、展示終了後に購入することもできますよ」
「いえいえっ! きっと私では買えないくらい高い金額だと思います。とてもじゃありませんが、私にはっ!」
売り場の女性はにっこりと微笑み、「でしたら、ポストカードはいかがですか? 今回展示した作品をまとめた画集もございますよ」と言った。実に商売上手なお姉さんである。
同性の私も思わずドキッとする妖艶な微笑みに、「ぜひっ!」と前のめりで、5枚入りのポストカードを2セットだけでなく、画集まで手にしていた。
「ありがとうございました、ぜひまたいらしてくださいね」
「はぁ、入場料に3千円、ポストカード2セットで2千円、画集が4千円……この1時間半で1万円が……はぁ。まぁ、金額は別として、とっても素敵な絵を観られたし、良かった。そうよ、良かった、良かった、ということにしておこう……」
今日は本屋で仕事に役立つ専門書を購入し、行きに見つけた向かいのレトロな喫茶店でスイーツと紅茶を楽しみながら読書をしようと考えていたが、随分と予定が変わってしまった。さすがに想定外の出費で、喫茶店に入ってスイーツを、という気分にはならなかった。
「仕方ない、今日はこのまま大人しく帰るしかないか……」
喫茶店に立ち寄るのを諦めて帰りのバス停のある方向に足を向けた時だった。後ろから声が聞こえてきた。
「あの! ちょっと待ってよ! ねぇ、君。そこのスカイブルーの服を着てる君っ!」
――スカイブルーの服を着てる……? 私のこと? 誰が私を?
後ろを振り向くと、若い男性が立っていた。どこか見覚えがあるような気がしたが、彼の次の言葉を待った。
「俺とさっきの話の続きをしない?」
「はっ?」
――これは、何だろうか? 唐突に話しをしよう、だなんて……。新手のナンパか? いや、それは流石にないか。
自慢じゃないけど、この30年間、一度だってナンパされたことがないし、今日の服装だって上はスカイブルーのシャツに下は黒のパンツで女性らしさが一つもない。間違っても男性が声をかけたくなるような要素はないはずだし。
う〜ん、それにしてもこの人、どこかで見たことがあるような、ないような……!
「あなた、さっきのっ!」
「あぁ、忘れられてたのか。道理で反応が薄かった訳だ」
その男性に見覚えがあると感じたのは間違いではなかった。彼は、さっき散財したギャラリーで作品を観てた時に声をかけてきた男性客だった。
――チャラい、チャラすぎる……。私のタイプではないし、むしろ陽キャすぎて苦手だ。この人は何で私と話したがってるのっ? 折角、恥を忍んで正直な感想を言って、絵画を静かに観るために撃退したというのに。逆効果だったなんて、どうやって断ろうか……。
どうやってこの場を切り抜けようか、そんな考えを巡らせていた時、彼は魅力的な提案を持ちかけてきた。
「そこの向かいにある喫茶店で美味しいスイーツでも食べながら、絵画の話でもどう? もちろん、俺が奢るからさっ!」
――あの喫茶店で、彼の奢りで、美味しいスイーツを……。
私の中の彼に対する拒絶心はどこかへ吹き飛んでしまった。まるで、目の前にぶら下げられた人参を咥えようと必死になる馬のように……。私はまんまと、餌に釣られてしまった。
「さぁ、遠慮しないでね。好きなものを、好きなだけ頼んでいいからね! おすすめはねぇ……」
彼はメニューを開き、私が見やすいように置いてくれた。メニューには盛り付けされた写真とメニュー名、簡単な説明書きがあった。ページを捲ると、喫茶店の定番メニューのナポリタンやオムライスなどの軽食から、メロンクリームソーダや昔ながらの固めの食感が特徴的なプディング、ホットケーキなど、ドリンクやスイーツのサイドメニューも並んでいた。
彼が勧めてきたのはプディングだった。私は滑らかなプリンよりも断然、固めのプリンの方が好きだった。これは外せない、と彼の提案に頷いた。
――あぁ〜、でも悩むなぁ、どうしよう。プディングは絶対に食べたいけど、このシンプルなホットケーキも美味しそう! あぁ、両方食べたいけど、流石に両方注文してもらうのは、はしたないよね……。う〜ん。
「眉間にシワを寄せてまで、何を悩んでるの?」
彼は私の眉間にシワが寄っているのに気づいたらしい。まさか、プディングとホットケーキで悩んでいるとは言いづらい……。ホットケーキを諦めことにして、ページを捲り戻してプディングとアイスティーにすると彼に告げた。
彼はじっとメニューを見てから、私に視線を移したかと思ったら、ニカッと笑って店の人にオーダーしてくれた。
――この人はホットケーキとアイスコーヒーにするんだ。男の人もホットケーキ食べるんだ。甘党なのかも……。




