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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
第2集 青の世界
10/17

1.澪と青(後)

本日、2本目の投稿です。

 オーダーをし終えると、彼は自己紹介を始めた。


「俺の名前は桐生青(きりゅうせい)。桐に生まれるで桐生、せいは色の青」

「青って書いて『せい』って読むんですか? 素敵な名前ですね」

「素敵? まさかっ、両親が青色が好きだっていう適当な理由だけで、(せい)になったんだぜ? 子どもの名前なのに適当すぎだろ」

「そうでしょうか? 私も青色が好きなので、名前に『青』の字が入っていて羨ましいです」

「あんたも青が好きなのか……もしかして、それであのギャラリーに?」

「――はい、実はそうなんです。子どもの頃から何故か青色が好きで、青いものを見ると他のものが目に入らなくなるんです」

「それはまた、特殊な癖を持ってるんだな……」

「特殊な癖……」


――特殊な癖? いや、彼の言う通りかもしれない。実際にあの青色の看板に惹かれてギャラリーに入ってしまったのだから。挙句の果てに散財まで……。あぁ、また思い出してしまった。もう済んだことなんだから、ぐじぐじしないっ! ほら私も自己紹介しないと。


「――あの、私は安桜澪(あさくらみお)と言います。安心の『安』に『桜』と書いて『あさくら』です」

「へぇ、珍しい名字だな。みおは『さんずい』の一文字の『澪』?」

「はい、そうです」

「澪か、あんたにぴったりの名前だな」


 彼は口角を大きく上げて笑んでいる。彼の屈託のない笑顔に思わずドキッとしてしまった。温度が上がった体を冷やすようにグラスの水をゴクゴクと喉へ流し入れ、テーブルに置かれているお絞りを手に取って、手汗を拭き取ってやり過ごした。


「それで、安桜さん……澪でいいよな? 澪は……龍青(りゅうせい)の、ファンなの?」


――おいおい、初対面で名前を呼び捨てかいっ! 流石、陽キャは違うな。まぁ別に呼び捨てするくらい構わないけど……。それはそうと、「りゅうせい」って誰のことを言ってるんだろう?


「あの、『りゅうせい』さん、って誰のことですか?」

「はっ? 『龍青』を知らない? あー、なるほどね。澪は、本当に『青色』が好きだって訳か……」


 彼の言葉に棘があるように感じたのは何故だろうか?


「澪、いいか? 『龍青』ってのは、さっきの個展を開いている画家の名前だ。難しい方の『龍』に色の『青』で『龍青』だからな。しっかり覚えておくんだぞ」

「はぁ……龍と青で龍青。かっこいい名前ですね」

「――そりゃあそうだろう! それは俺が……いや、それはともかく、さっきの話の続きだ」

「……?」

「澪はギャラリーで言ってただろう?」

「えっと~、私、何か言いましたっけ?」


――嘘でしょっ、何で今更あの時の話をぶり返すのよ。あれはあなたを追い払うために言ったことで……。でも、そう思ったのは事実だけど。私、あの話を説明しなきゃいけないの?


 彼はギャラリーでの反応とは違い、瞳をキラキラと輝かせるように前のめり気味に私の顔を覗き込んでいる。


――この状況は一体何なの? 何かの罰ゲームか何か?


「あの時の話を、いや、ギャラリーを一回りしてみて、率直な感想を聞きたいっ!」

「へっ?」


 彼はやはり龍青という画家のファンなのだろう。きっと彼はその画家を()()ているのだ。


――少し分かってきた気がする。桐生さんの推しが龍青という画家で、推し活の一環なのか、斬新で一風変わった視点と感想を持つ私と推しの話をしたい、という訳か、なるほど。

 でも、下手なことを言って逆上でもさせたら大変だ。このチャラい格好からして……いや、外見だけで人を判断するのは良くないことだけど、他に判断材料はない訳だし、まずは自分の保身を図らないと。

 桐生さんの推しへの愛が重かったら、変なことを言った私を刺しころ……や、止めよう。あぁそうだ、万が一に備えて、スマホに桐生さんの名前を残しておこう。


 私はスマホで時間を確認するフリをしつつ、コミュニケーションアプリに『桐生青』の名前を保存した。


――どうか、何事もなく無事に、家に帰れますようにっ!


「澪?」

「あぁ~、えっと作品を観た感想でしたよね?」


 彼の名前をスマホに保存したことを悟られないよう、作品の感想の話題を口にしながらスマホを鞄の中へしまった。


「あぁ! それでどうだった? 率直な感想を聞かせてよっ」

「――そう、ですね。全体的に素敵だと思いました。繊細でやさしさを感じました」

「うん、それで、それで?」

「えっと、私は看板の青色に惹かれてギャラリーに入ったんですけど、絵を観て本当に青色の絵具だけで描かれていて、本当に凄いなって思いました」

「う、ん。他には?」


 当たり障りのない言葉を連ねては答えているのだが、彼の生き生きとしていた表情は徐々に影が落ちていくように沈んでいった。


――マズイっ! 私、地雷踏んだ? でも当たり障りのない言葉を選んでいるつもりなんだけど。何でなの? 画家さんのことを褒めてるのに、どうして喜んでいないの? 何とか話題を変えないと……。


「あっ、それで桐生さん、はどうでしたか? 龍青さんのファンなんですよね? 実は私、あまり絵画のことは詳しく知らなくって、何て表現したらいいのか分からないんです」


――よしっ! うまくフォローできたんじゃない? ナイス、私っ! おっ、桐生さんの表情も何だか明るくなってきた気がする。この調子で、桐生さんに話を振りまくろう。


「そ、そう、俺は彼のファンなんだよっ。だから、他の客がどんな風に作品を観てるのか気になってたんだ。――ほら、そう言えば、澪は言ってたじゃないか、『お皿にぴったりな食べ物を考えていた』ってさ。あの話を詳しく聞かせてよっ」


――あぁ! 戻ってきたぁ〜! 何でよっ! 折角話題を変えたのに、戻さないでよっ! マズイ、マズイっ! どうしよう……。


「澪、そんなに難しいこと聞いてる訳じゃない。澪が作品を観て、頭に浮かんだことをそのまま話してくれればいいんだ。別に素人目線だって構わない。そもそも客は素人の方が多い訳だしさ」


――いやいや、頭に浮かんだことをそのまま話したら、絶対に怒るでしょっ。さっきだって微妙な表情をしてたじゃない。あぁ、もうどうしたら? いっそのこと正直に話して、危なくなったら走って逃げる? 

 自己紹介はお互いに済んだけど、幸い、連絡先や住んでる場所の話はしてない。逆ギレされても、名前だけで私の居場所を突き止める、なんてことはできないよね。

 そうだ、ここは絶対に怒らないって約束してもらおう。きっとムダかもしれないけど……。よしっ! できる予防線は張っておこう!


「――桐生さん、絶対に怒らないって約束してくれますか? 私が作品についてどんな感想を言っても、怒らないって約束してください」

「えっ? あぁ、分かった。澪の話したことに怒らないと約束する。これでいい?」


――あぁ、もう逃げられない。覚悟を決めなきゃ。いざという時は鞄を持ってドアまでダッシュ、最悪近くのコンビニにでも逃げ込もうっ!


「あの……」

「お待たせしました。アイスティーは……」

「あっ、はい」


 白髪と黒髪が綺麗に混ざり合った銀髪のおじいさんが、お盆に注文したドリンクとホットケーキを持って現れた。

 手を挙げた私の目の前にアイスティーを置き、彼の前にアイスコーヒーを置いた。すると、何故かホットケーキをアイスティーの横に置くと、おじいさんは「ごゆっくり」と言い、カウンターの中へ戻って行った。


「店員さん、間違えたみたいですね」


 私がホットケーキのお皿をアイスコーヒーの横に移動させようとした時だった。


「それは澪のだよ」

「えっ? 私はプディングを頼んだので、これは桐生さんのじゃ……」

「だって澪、最後までプディングとホットケーキで悩んでただろ? それに俺はさっき食べたばかりだから、お腹一杯なんだ。だから遠慮せずに食べて」


――えぇ! 何て良い人なのっ! っていうか、ずっと悩んでたのバレてたのか、恥ずかしい……。でも、桐生さんはお腹一杯だと言ってる。幸い、私のお腹はプディングとホットケーキくらい、ペロリと平らげられる余裕がある。ここはお言葉に甘えて、頂くことにしよう! 残すのも勿体ないし。


 つまりのところ、スイーツの誘惑に負けて、はしたないがホットケーキも頂くことにした。


「さぁ、遠慮せず。ここのホットケーキも美味しいんだ。俺は毎日ここに通って一通り全部食べたから、安心して食べてくれていい」


 彼の話を聞きながらも、両手はしっかり動いている。バターナイフでバターを取ってホットケーキの表面にたっぷりと染み込ませる。次に蜂蜜の入った注ぎ口付きの小さなポットを傾け、とろりと垂れた蜂蜜を、円を描くように2回しした。

 人によっては蜂蜜をたっぷりホットケーキに染み込ませてからバターを塗って食べる人もいるようだが、私は断然バターをたっぷり塗ってから蜂蜜をかけて食べる派である。ホットケーキに染み込んだバターの風味が口内に広がっていくのが至福と言っても過言ではない。


 フォークとナイフに持ちかえ、ホットケーキを一口大に切り分ける。1切れを口の中へ入れると、頬がぽたりと落ちるような感覚になった。


「美味しいぃ〜」

「だろっ?」


 彼は少年のようなにっこり笑顔をこちらに向けてきた。


「はいっ! 今まで食べたホットケーキの中で一番美味しいですっ」


――美味しいものには嘘をつけない! たとえ、目の前に画家への愛情が重い、狂信的なファンがいようとも、この後に恐怖の感想会が待っていようとも、今は目の前のホットケーキに集中するのみ!


「それでさ、澪はあの青い皿にどんな食べ物を思い浮かべたんだ?」

「――そう、ですねぇ。あの青くて綺麗なお皿を引き立てるなら、やっぱりバナナじゃないですかね? バナナの黄色が青いお皿をもっと魅力的にします。それに青いお皿なら、バナナもより美味しそうに見えます、し……」


――しまったぁ! ホットケーキを味わうことに集中しすぎてて、言葉を選ぶのを忘れてたぁ! マズイっ、これは……ホットケーキも完食できず、まだ見ぬプディングも諦めて逃げるしかないか――。


「あははは、バナナか、そりゃあいいやっ!」

「へっ?」


 てっきり彼は、推しの作品に失礼極まりない感想を言った私に怒り狂うのだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。


――桐生さんが、笑ってる……。怒ってない? もしかして、大丈夫そう? セーフなの? もしかして、ホットケーキもプディングも完食できる?


 彼が想定外の反応を見せたことで、私の頭の中はすでに目の前のホットケーキと、まだ見ぬプディングのことで一杯になった。


「それだよ、それっ! 俺は澪のそういう話が聞きたかったんだ」


――桐生さんって変わった人ね。普通なら、「何をバカなことを言ってるんだ! あの作品はそのままで完璧なんだ。想像でも不足を補おうっていう考えは到底受け入れられないっ!」とでも怒り出しそうなものを。

 それどころか、こんな無意味な感想を聞いて喜んでるなんて……もしかして、相当重めのファンってこと? やっぱり、言葉には気をつけないと。


 私は残りのホットケーキに集中して、一気に平らげた。アイスティーを一口啜ると、見計らったかのように彼は口を開いた。


「じゃあさ、他の絵を見ても似たようなことを考えてたの?」

「――あぁ、はい。でもそんなのおかしいですよね? 普通は描き方とか、色使いとか、そういうところを観るべきですよね?」

「そんなことはない」

「えっ?」

「そもそもアートに正解なんてないんだから。見る人が変われば、絵の見え方も変わる。10人が同じ感想を言ったらつまらないだろ?」


――確かに、桐生さんの言う通りかもしれない。皆が同じ感想を言うよりも、異なる視点の感想を聞く方が、絵に対する評価も多様化して面白いかも。


「実はさ、俺も絵を描く時、澪と同じことを考えていたんだよ」

「桐生さんも絵を描くんですか? そっかぁ、それで! もしかして美大生とか?」

「あぁ、いや、うん。美大は出たよ」

「画家志望なんですか? それで龍青さんのファンになって、今は修行中とか?」

「えっ、あぁ、まぁそんなとこ、かなぁ……。あ〜、俺のことはいいんだ。それより、澪の話を聞かせてよ」


――そうか、桐生さんは画家を目指してるのかぁ。画家って本当に一握りの人しかなれなそうな職業だよね。有名な画家は亡くなってから作品が評価される、なんていう話もざらにあるし……。どうせなら本人が生きているうちに評価してくれればいいものを。


「じゃあ、澪は他の作品はどう感じた? 何を思い浮かべた?」

「他の作品……」


――そう唐突に言われてもなぁ。ギャラリーで観た絵は青い花、お皿、ワンピース、カーテン、家、ガラスの靴、海、星空、宇宙、青い鳥だったはず。


「そういえば、青いカーテンの絵は窓が描かれてなかったんですけど、カーテンが風に(なび)いているように見えたので、窓は開いていたのかな? それともエアコンの風だろうか? 窓が開いていたなら、窓から見える景色はどんな風景なんだろう、って考えてました」

「うん、うん、それで? 澪はどんな風景が浮かんだの?」

「そうですね、テーマが『青の世界』だから、海とか夜空とか、って言いたいところですけど。私には室内が暗く見えたので、やっぱり青空と草原だといいなって思いました」

「…………」


――あれっ? 桐生さん、反応が……。しまった! 桐生さんが何も言ってこないのを良いことに、私ちょっと調子に乗りすぎたかも……! 今度こそ、ヤバいかもしれない。ホットケーキも食べたし、プディングは諦めて、逃げるしか……。


 隣に置いた鞄に手をかけた時、銀髪のおじいさんがプディングを持って現れた。


――逃げるタイミングを失ってしまった。桐生さんは怒ってる様子はないけど、さっきと違って落ち込んでるような……。やっぱり何かマズイことを言ってしまったんだろうか?


「お待たせしました。プディングです。ゆっくりお召し上がりください」

「あっ、ありがとう、ございます……」


 彼はプディングがテーブルに置かれると、にっこり笑顔で話しかけてきた。


「澪、ここのプディングは絶品から食べて、食べて」

「あっ、はい。じゃあ、遠慮なく頂きますっ!」


 プディングは最近流行りの口溶けのいいプリンとは違い、卵感のある弾力が特徴のやや固めの食感だった。まさに昔ながらのプディングである。その上にはホイップクリームとチェリーが盛り付けられていた。


――う〜ん。これよ、コレ! このちょっと苦味のあるカラメルソースが染み込んだ味わいと、固めの食感が良いのよねぇ! あぁ〜幸せすぎるぅ〜。人の奢りでこんなに美味しいものばかり食べるなんて、私ったら幸せ者っ!


「澪が満足してくれてるみたいで良かったよ」

「へっ?」


 彼はテーブルに肘をついて掌に顎を乗せ、こちらを見ながら微笑んでいた。でも何故か、笑ってるのに悲しそうに見えて仕方なかった。


「桐生、さん?」

「あぁ、澪の飲み物、無くなるね。次は何飲む? 同じにする? 俺もお代わりしようかな」


 追加の飲み物は断ったのだが、プディングは甘いから飲み物があった方がいい、ということで結局、紅茶をお願いすることにした。彼はカプチーノをオーダーした。


「じゃあ、青い家はどうだった? 澪ならいろいろ思い浮かべそうな気がするんだけど」

「うっ。家、ですか? そう、ですね。あの家は小屋のように見えたので……」

「怒らないし、笑わないから話してよ」


――こっちが気を遣って話してるというのに、桐生さんは次から次へと話を振ってくる。もう、こうなったらヤケだ! 怒ったら逃げる! 危なそうだったら逃げる! よしっ!


「――小さな家なので、小人が、住んでいそうだと……」

「――」


 沈黙が痛い。彼の反応を見るのが怖くて、必死に目の前のプディングをスプーンで掬い、口の中へ。


――う〜ん。美味ひぃ〜。何度食べても飽きない。できることなら毎食後に食べたいくらい。次の機会があるなら、また食べたい。でも……。


 口に咥えたスプーンを皿の上に置き、恐るおそる彼に視線を向けると、彼もこちらを見ていたようで目が合ってしまった。目を逸らそうにも、あまりに真剣な眼差しをしていて目が離せなくなっていた。


 その時、彼の方から沈黙を破った。


「澪とは気が合いそうだ」


 彼は柔らかな微笑みでそう言うと、銀髪のおじいさんが置いていったカプチーノを静かに味わっていた。

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