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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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10.抑えられない想い(二)

本日、2本目の投稿です。

 重い瞼を開くと、視界はぼやけていて自分がどこにいるのかが分からず、不安になった。耳を澄ませると周囲は静まり返っている。すると、消毒液のような匂いが鼻をかすめ、思わず眉間に皺を寄せた。何度か瞬きを繰り返すと、ぼやけていた視界は徐々にはっきりとしてきた。


 最初に見えたのは高い天井で、次に、見覚えのある薄いカーテンが視界に入った。


――ん? ここは、病院? どうして私は病院にいるの?


 上半身を起こし、左腕を見ると管が繋がれており、その先を目で追うと、自分は点滴を受けているのだと理解した。周囲を見回すが、誰の気配もなかった。


――私は確か……高木さんと夜景を見ていたはず……。高木さんが何か言って、それから私は振り返って……その時、急に視界が暗くなって……。そうか、私、倒れたんだ。それもそうか、前日の夜からまともに食事をとらなかったし、橘さんのことを考えてて、ろくに眠ることもできなかったんだった。


 その時、カーテンが開く音がした。そちらに顔を向けると、そこには高木さんが立っていた。


「――咲ちゃんっ、良かったぁ~、気がついたんだね」

「――高木さん……あの、私……」

「貧血と疲労で倒れたんだよ。それにしても、急に目の前で倒れたから驚いたよっ。マジで心臓止まるかと思ったよ」

「ご心配かけてしまって、すみませんでした」

「いや、咲ちゃんが無事ならそれでいいよ。それに、謝るのは俺の方だから……」

「えっ?」

「咲ちゃん、待ち合わせ場所に来た時から体調悪そうだったでしょ。それなのに、俺は自分の我儘を押し通して、無理に咲ちゃんを連れ回した。そのせいで、咲ちゃんは……」

「そんなっ、高木さんのせいではありません。私が、体調管理をしっかりしていなかったせいなので……」

「――――」


 2人の間に沈黙が続いた。点滴を見ると、そろそろ終わりそうな頃合いだった。この重い沈黙を破るのにちょうど良かった。


「点滴が終わりそうなので、人を呼びますね」

「――あぁ、そうだね。俺がボタンを押すよ」

「――はい……」



「眩暈などありませんか?」

「はい、今は大丈夫です」

「それなら、もう帰ってもらっても大丈夫ですよ」

「はい……あの、お会計は?」

「あぁ、それならもう済んでいるので、このままお帰りいただいて大丈夫です」

「えっ……」


 看護師はそう言うと、処置室を出て行った。


「咲ちゃん、会計はしてきたから安心して」

「そんなっ、高木さんに払ってもらう訳には……」

「これはっ、俺から咲ちゃんに対する罪滅ぼしだと思って受け取って欲しい。頼むよ……でないと俺は今日の自分を許せそうにない……」


 高木さんは申し訳そうな顔をして、こちらを見ている。そんな顔を見て、喉から出かけた言葉を飲み込んでしまった。


――高木さん、そんなの狡いよ。そんなことを言われたら、断れない……。高木さんは引き下がってくれそうにない……。私はここまでしてもらう理由がないのに……。このままじゃ埒があかないか、仕方ないっ、ここは甘えさせてもらおう。


「分かりました。お言葉に甘えさせてもらいます」

「うんっ、良かった~」

「それじゃあ、私、ホテルに戻りますね」

「あっ、うん……」

「高木さん? どうかしました?」

「――咲ちゃん、倒れた直前のこと覚えてる?」

「倒れた直前のこと?」


――何だろう? 倒れた直前、何かあったのかな? 記憶を辿る限り、何も思い出せないんだけど……。


「私、何かしました?」

「――そうか……覚えてないのか……」

「高木さん?」

「――――」


――高木さんの様子がおかしい。何か私に隠してることでもあるのかな? 何だろう? 気になるけど、早くホテルの部屋に帰って、ゆっくり休みたい……。


「あの……ゆっくり休みたいので、ホテルに戻っても?」

「あぁ、そうだよね。うんっ、ホテルまでタクシーで送るよ」

「――いえっ、1人で大丈夫ですからっ。高木さんも帰ってください」

「――うん……そう、だね……」


――高木さんの話し方がやけに歯切れが悪い。私に何か話したいことでもあるの?


「ふぅー……高木さん、私に何か話すことがあるんじゃないですか?」

「――――」

「――じゃあ、私、帰りますね――」

「咲ちゃんっ! 咲ちゃんは覚えてないみたいだけど、あの時……咲ちゃんが倒れた時、結人があの場にいたんだ……」

「けいと? それって、橘さんのことですかっ?」

「――あぁ」

「どうしてですかっ! どうして橘さんがあの場所にいたんですか? 橘さんは自宅療養中なんじゃっ! 高木さんっ、教えてくださいっ!」

「咲ちゃん、落ち着いて。ちゃんと話すから」


 高木さんの話によると、私が倒れる直前、彼が私の方へ駆け寄ってきていたと。私は振り返った瞬間に貧血で倒れてしまった。彼が私の体を支えたため、地面に体をぶつけることがなかったらしい。高木さんがすぐに救急車を呼んでくれて、意識のない私に彼が付き添ってくれたのだと。高木さんは救急隊員から搬送先の病院を聞いて、その後すぐに向かってくれたらしい。そして、今に至るという。


「――橘さんはもう帰っちゃったんですか?」


「いや、帰ってないよ。結人は……完治してないのに長時間走り回ってたから、状態が悪化して、今、個室で安静にしてるよ……。結人はずっと咲ちゃんのそばで付き添ってたよ。けど、痛みが悪化して、当直の医者に診てもらったら、即入院になったんだ」

「そんな……私……橘さんに会いに行っちゃダメですか? 迷惑でしょうか?」

「――会いに行ってあげて。結人も、咲ちゃんが会いに来るのを待ってるはずだから……結人がいるのは新館12階の1201号室だよ」

「高木さんっ、ありがとうございますっ! 私、行ってきますっ」

「あっ、咲ちゃんっ! これ、面会許可証、これを首に掛けてれば直接病室に行けるから」

「ありがとうございますっ!」


 私の足は彼のいる新館のある方へ駆け出していた。スマホの画面を見ると、午後7時半を回っていた。面会時間は午後8時までだから、今から行けば少しは彼と話すことができそうだ。


 久しぶりに彼と会えることに胸が高鳴った。それと同時に、彼のケガが悪化したことが気がかりで仕方なかった。この目で見て、彼が大丈夫なのかを確かめたい。




 エレベーターの中に鳴り響いた音が、新館12階に到着したことを告げる。ドクンドクンと周囲に聞こえそうなほど鼓動が高鳴っていく。特別室の病棟の扉を開け、ナースステーションからこちらを見ている看護師に会釈をしてから彼のいる特別室へ歩みを進めた。


――ここだ。1201号室……ここに橘さんがいる……。室内から話し声や物音は聞こえないみたい。高木さんは病室で安静にしてると言ってたから、この中にいるはず。


 ドアをノックしようと持ち上げた拳に力が入った。1回、2回と深呼吸をしてから、ノックを2回した。


 少し間を開けて、室内から「はい、どうぞ」という声がドア横のインターホンから聞こえてきた。その声は間違いなく彼の声だった。


 逸る鼓動を鎮めようと、再び2回深呼吸をした。少し落ち着きを取り戻すと、ドアをゆっくり開ける。


 室内に入ると、正面に見えたのは立派な応接セットだった。辺りを見回すと、右側に彼の姿を見つけた。彼は、ベッドの頭側を高く上げて上半身を起こした状態で座っていた。

 彼の両腕はギプスで固定されていた。腰から下にかけられている布団は片方だけ盛り上がっていて、片足もギプスを装着していることが分かった。痛々しい彼の姿を見て、胸がギュッと締め付けられた。


――橘さん、こんなにケガをしてまで……どうして私を……。


「――佐倉さんっ! こんな所まで来て、もう大丈夫なのっ?」


 彼の第一声は自分のことではなく、私を心配する言葉だった。彼の言葉に応えたいが、喉が詰まるように収縮し、思うように言葉が出てこなかった。


「佐倉さん? もっとこっちに来て顔を見せてよ」


 声にならず、コクリと頷いてから彼のいるベッドサイドへ近づいた。


「その椅子に座って……」


 私は彼の顔を直視できず、彼の視線を避けたまま、ベッドサイドの椅子に座った。私が椅子に座るのを確認すると、彼は一言も話さない私に穏やかでやさしい声で話しかけてきた。


「体調はもう大丈夫なの?」

「――はい……点滴を受けたので……」

「そう……それなら良かった……ここへは晋から聞いて?」

「――はい、倒れた時のこと覚えてなくて……高木さんが教えてくれました」

「そうか……それにしても、佐倉さんが倒れた時、間に合わないかと思って焦ったよ。足の痛みも感じなかったし、あの時、佐倉さんをしっかり受け止めることができて良かった……まさか、あそこまで走れると思わなかったよ。あれこそ、火事場の馬鹿力ってやつなのかも――」

「どうしてですかっ! どうしてそんなに無理して私を探しに来てくれたんですかっ? 私のせいで……橘さんはこんなに……」


 大粒の涙が視界を奪い、ぽたりぽたりと頬を伝って落ちていく。ベッドの上に顔を伏せて、泣き続けた。



 どのくらい泣いたのだろうか? 病室は静まったままだ。彼は私が泣いている間、一言も口にしなかった。彼の手が私に触れることもなかった。


――いけないっ。病室で勝手に1人で泣いたりして、橘さんに迷惑かけちゃった。どうしよう、謝りたいけど、恥ずかしくて顔を上げられない……。


 すると、沈黙を割くように、彼が静かで穏やかな口調で声をかけてきた。


「佐倉さん、悪いけど、こっちに来てくれる?」


 涙を拭って顔を上げると、彼は右手の指先でベッドの上を指差した。右手はギプスで覆われており、指先だけが辛うじて動かせるようだ。

 私は言われるがままに、彼の右手に触れないよう細心の注意を払いながらベッドの上に腰を掛けた。


 すると、彼の不自由な両腕が私の背中に回った。ギプスの重さなのか、彼の両腕はずしりと私の肩に圧し掛かった。一瞬、何が起こったのか分からず、思考が止まった。彼が何をしているのか、その意図が読めずにいた。


「ははっ、やっぱりこの腕じゃ、抱きしめてあげることもできないな……」


 彼の言葉を聞いて、ようやく彼が私を慰めようと抱きしめてくれようとしたことを理解した。


「ごめん……泣かせたりして……」

「――橘さんは何も悪くありませんっ。悪いのは私ですっ――」

「違うよ、佐倉さんが泣いたのは俺のせいでしょ? 俺の情けない姿を見て、自分を責めている……。自分が情けなくて仕方がないよ……本当に……」

「そ、そんなことありませんっ!」

「痛っ――」

「あっ、ごめんなさいっ!」


 私が急に動いたせいで、彼の右手にぶつかってしまった。彼は一瞬だけ痛みに顔を歪め、「大丈夫だよ」と弱々し気な笑顔を見せた。


 私はゆっくり彼の両腕を自分の体から引き剥がし、そっとベッドの上へ戻した。


 彼の表情は曇っていた。いつもの彼らしくない、暗く辛そうな表情だった。

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