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恋愛小説のオムニバス  作者: 蒼井スカイ
桜と橘
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9.追憶(後)

本日2本目の投稿になります。

 退院の前日、彼女を食事に誘うためメッセージを送った。彼女から承諾の返信が届いた時、うれしさのあまり、看護師が検温に来ていたのを忘れて、「やった!」と大声を上げて、年甲斐もなくガッツポーズもしてしまった。顔がニヤけるのを必死で堪えていたが、看護師のそわそわした様子から、ニヤつきを隠しきれていなかったのだろう。


 彼女とのディナーはとても楽しかった。何より表情がコロコロと変わる彼女が可愛くて、つい虐めたくなった。可愛いと言う度に、彼女は顔を赤らめていた。


 食事中、俺はいつあの話を切り出そうか、頭が一杯だった。それは、休暇中に彼女をドライブデートに誘うことだ。海外旅行に行った時の話をして、うまいことデートに誘えたらいいと前日から策を練っていた。

 彼女が承諾してくれるかは分からなかったが、準備は抜かりなくしておく質だ。退院した日に、免許更新の手続きを行い、その足でレンタカーを借りに行った。これでドライブデートの準備は全て完了した。後は彼女からOKをもらうだけだった。


 偶然を装って海外旅行の話を切り出すと、思いの外、彼女は海外旅行に興味を示した。話を聞くと、海外に行ったことがないと言っていた。俺は今がチャンスと言わんばかりに、できるだけ冷静さを保ちながら、さりげなく世界一周を体験できるテーマパークがあるから、一緒に行こうと提案した。

 何とか、彼女の興味を引くことができ、翌日のドライブデートの約束を取り付けることに成功した。彼女と一緒にいられることに、ニヤつきそうになる顔を必死に抑え、表情を保つのに苦労したのは言うまでもない。


 デート当日、彼女はやけに大荷物だった。女性のことだ、何かと準備するものがあるのだろうと、荷物には触れずにテーマパークへ向かった。


 テーマパークに着くと、彼女がその大きな荷物を車から持ち出そうとしていた。てっきり車に置いておくのだと思っていたが、どうやら園内に持ち込む気らしい。さすがに大荷物を持って行くのは大変だろうと思い、車内に置いてくように提案したが、その荷物の中身を聞いて驚いた。


 彼女は今日のために朝から弁当を用意してくれていたのだ。これまで何人もの女と付き合ってきたが、手料理を振る舞おうとする女は1人もいなかった。それどころか、高級レストランやハイブランドのプレゼントを要求してくる女ばかりだった。

 それもあってか、秘書をする学生時代からの友人の赤津からは、ずっと女の趣味が悪いと釘を刺されていた。その時は特に気にすることもなかったが、彼女と出会ってから、赤津が言っていた意味が分かった気がした。


 彼女の手料理はとても美味しかった。思いがけず、彼女の手料理を食べれると分かって、年甲斐もなく喜んでしまったが、彼女は笑顔で受け止めてくれていた。

 毎日、彼女の手料理を食べることができたら、どんなに幸せだろうと、想像していた。特にうれしかったのは、彼女が手料理をふるまった初めての男になれたことだ。それを知って、うれしさのあまり、口元が緩み、必死に片手で抑えた。今、ニヤニヤすれば、彼女に気味悪がられると思ったからだ。

 彼女は俺のようなおじさんに好意を持たれていると知ったら、嫌がるかもしれない。平然とした表情を保つため、関係のないことを考えるのに必死だった。彼女の態度を見る限り、うまくごまかせていたと思う。


 帰り道に立ち寄ったサービスエリアで、赤津から着信が入っていたことに気づいた。せっかくのデートで仕事のことを考えるのは嫌だったが、しつこく電話がかかってきたため、折り返すと、案の定、俺が対応しないいけない案件が回ってきて、翌日の始発で東京に帰らざるを得なくなった。

 彼女ともっと一緒に過ごしたかったが、仕事をおざなりにする訳にはいかない。後ろ髪を引かれる思いで、彼女と駅で別れた。



 東京に戻ってからは、彼女にメッセージを送り続けた。回数こそ多くは無いが、出張でどこに行ってるとか、観光で何をしたとか、軽く流せるくらいの話題を短いメッセージで送った。彼女は律儀にも、毎回欠かさずに返信してくれた。彼女とは遠く離れてしまったが、彼女への気持ちは募るばかりだった。


 そんな時、海外の取引先との交渉時に思わぬトラブルに見舞われ、帰国できなくなった。対処に追われているうちに、彼女から届いたメッセージに返信するのをずっと怠ってしまった。

 彼女からメッセージが届くのが、俺にとって当たり前の日常になっていたが、それが途絶えて、彼女の存在の大きさを改めて感じた。


 帰国して、溜まっていた仕事を片付けて余裕が出た頃には、季節は冬になっていた。彼女は就活で忙しくなっている時期だ。彼女の近況が気になり、メッセージを送った。彼女は忙しい中でも、返信をしてくれた。再び彼女とやり取りをするようになった。

 仕事で忙しい時でも「おはよう」や「おやすみ」の一言だけでも欠かさずに送り続けた。それは、彼女との繋がりを切ってしまいたくなかったからだ。彼女からの返信は、多忙な毎日を送る俺にとって癒しであり、心の拠り所になっていた。また彼女と会えるように、ただそれだけを願ってがむしゃらに、仕事に取り組んだ。



 春になってから、彼女が東京で就職すると聞いた時は正直うれしかった。彼女が上京すれば、就職して落ち着いてから、何か理由をつけていくらでも会うことができると思ったからだ。彼女との時間を作るためにも、今のうちに会社の経営をより大きくして安定させる必要があった。それからの毎日は必死に国内外を飛び回り、いくつもの大きな契約を勝ち取った。


 ある日、彼女から企業説明会に参加するため、上京するとメッセージが届いた。彼女と会えるチャンスだと喜んだ。すぐに夕食を一緒にしようと返信を送った。彼女は快諾してくれた。

 その夜、彼女は口にすることはなかったが、表情から見て少し疲れているようだった。無理もない、見知らぬ土地にたった1人で来て、就活をしているのだから。少しでも元気になって欲しくて、明るさが取り柄の幼馴染み――高杉遼――が経営する飲食店で食事をすることにした。彼女は店の雰囲気も、料理も、喜んでくれた。

 遼が時折、余計な話をしてきたり、彼女を下の名前で馴れ馴れしく呼んだりするのは癪に障ったが、彼女が楽しそうだったから、よしとした。


 食事中、就活の話題になり、東京で2週間滞在すると聞いた。彼女はシェアハウスを考えていたようだが、俺は賛成できなかった。シェアハウスとなれば、同居人を選べないし、変な男にでも目をつけられたら、と思うと、心配で仕方が無かった。


 見知らぬ男に奪われるくらいなら、俺の部屋から通えばいいと考え、その場で提案した。だが、彼女は俺を警戒してなのか、すぐに首を縦に振ることは無かった。

 少し考えれば分かることだ。出会って間もない男が1人で暮らす家に、年頃の女性が1人でノコノコと警戒心もなく、泊まれるはずがない。下心が皆無という訳ではないが、仕事が忙しくて家に帰らない日が続くのも事実だし、せめて彼女が安心して休める場所を提供したいというのが本音だった。だから、俺の家を丸ごと彼女に貸すと伝えた。

 それなら、俺を警戒することなく、安心して部屋で休んでもらえると思ったからだ。それでも、彼女は悩んでいるようだった。ここは無理強いして彼女を困らせるのは良くないと思い、結論を出すまで待つと伝えた。


 彼女から「どうしてそんなにやさしくしてくれるのか?」と聞かれた時、正直、返答に困ってしまった。彼女は俺が自宅を無償で貸すのは、入院した時の礼だと思ったらしい。

 流石に、今の状況で彼女への気持ちを伝える訳にはいかず、「佐倉さんを応援したい」なんて、それらしい答えを言って納得してもらった。



 数週間後、彼女から「部屋を貸してほしい」と連絡が入った。彼女がシェアハウスではなく、俺の自宅を選んでくれたことに安堵した。すぐに俺は幼馴染みの晋に連絡し、同じマンションの最上階の部屋を契約した。

 最上階の部屋なら直結のエレベーターがあり、彼女がマンションの住人とエレベーターの狭い密室で2人きりになることを避けられると考えたからだ。いくらセキュリティがしっかりしてるマンションでも、住人の中におかしなヤツがいたら、彼女に危害を加えられる恐れがある。俺は常に彼女のそばにいてあげられないから、彼女の危険になりそうなリスクを全て排除することにした。

 そういう意味では最上階の部屋は打ってつけだった。彼女は俺の家がペントハウスであることに驚いて、表情が曇っていたのが気になったが、彼女の安全を考えるとこれ以上の選択肢は考えられなかった。俺は贅沢な暮らしに一切興味はなかったし、彼女が安全であるなら、それでいいと思った。


 彼女が俺の自宅にいると思うと、鼓動が高鳴った。態度には出ていなかったと思うが、柄にもなく緊張していた。出張の荷造りを終えて、家を出る時、彼女から「行ってらっしゃい」と言われて、思わず、新婚夫婦を想像してしまった。

 うれしい不意打ちに、必死で顔がニヤけるのを堪えたつもりだが、彼女が笑っていたから、顔が赤くなっていたかもしれない。彼女が俺の妻だったら、毎日こんな甘い雰囲気を味わえるのかとうれしい妄想に少しの間、浸っていた。うれしさの反面、彼女と一緒に過ごす時間を取らせてくれない赤津――俺の優秀な秘書――を恨めしく思った。


 彼女の滞在中、食事をしたり出かけたりしたかったが、赤津がやたらとスケジュールを詰め込んだため、彼女と顔を会わせることができたのは自宅に着替えを取りに行った2回程だった。その時も、赤津がエントランスの外に停めた車の中で待っていたこともあり、彼女と一緒にいられた時間は短かった。



 その後、彼女は無事に採用試験と面接を終えたことをメッセージで報告してくれた。その日も会社で会議が続いており、通知に気づいたのは夜遅くだった。返信するのを止めようか悩んだが、彼女に1日でも早く労いの言葉を送りたくて、結局メッセージを送ることにした。彼女が返信を気遣わないよう、最後に「おやすみ」と入れておいた。



 9月の末、ようやく最後の海外出張から帰国した時、ハードなスケジュールをこなし終え、気が緩んだのか、信号待ちをしている時に倒れてしまった。運悪く、車の玉突き事故が発生し、事故車を避けようとした車が突っ込んできて、緊急手術をするほどの大ケガを負った。

 後で担当医師に聞いて驚いたが、手術中に1度心臓が止まったらしい。奇跡的に息を吹き返したらしく、1週間ほどICUで経過観察してから、個室に移ることができた。夢か妄想か分からないが、三途の川を渡るその時、温かい光が現れて俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。その声は朧げだが、彼女のようだった。

 幸い、内臓機能に問題はなかったが、脳震盪の後遺症に加えて、右足と左腕を骨折したため、退院するまでに2カ月を要した。


 赤津は「治療に専念しろ」と言い、俺からノートパソコンとスマホを取り上げた。流石にそれはやりすぎだと思っていたが、生死を彷徨った後だったからか、赤津はスケジュールを詰め込んだことを後悔していたようだった。赤津に随分と心配させてしまったようだ、反省の意味も込めて、暫くの間、赤津の言う通りにすることにした。


 もちろん、彼女から連絡があれば必ず知らせるように言っておいた。だが、赤津に何度確認しても、彼女から連絡はないと言われた。赤津からスマホを返してもらって、メッセージの受信ボックスを見ても、彼女からのメッセージは1通も来ていなかった。

 彼女が内定を取れたのか気になったが、彼女から連絡があるはずだと思い、あえて自分からメッセージを送らないで待つことにした。その後も、彼女からメッセージが届くことはなかった。「きっと忙しいのだろう」そう思うしか、俺にはできなかった……。


 彼女は俺が事故に遭ったことは知らないし、知らせるつもりもなかった。自分の事を過大評価するつもりはないが、彼女のことだ、俺の入院を知れば、きっと無事を確認するために上京してくると思った。

 彼女は就活が一段落して、卒論に集中している時期だ。彼女の邪魔にだけはなりたくなかった。結局、俺は自分から連絡は取らず、彼女から連絡を来るのを待ち続けた。



 年が明けても、彼女から内定を知らせる連絡はなかった。彼女に何かあったのだろうか? 何度メッセージを送ろうかと迷ったが、結局、送ることはできなかった。

 自宅療養中の俺は、彼女のために何かしてやることができない。部屋に閉じこもってばかりだったからか、無力な自分を腹立たしく思うと同時に、こんな情けない姿を彼女に見せられないと思った。



 彼女と会えない、連絡も取れない、そんな日が続いた。気分も沈みがちになったある日、幼馴染みの晋からメッセージが届いた。そこには都内の水族館でうれしそうに微笑んでいる彼女の姿が映った写真が添付されていた――。

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